新ひぼろぎ逍遥 スポット 339 不思議な坂本一族 探求編 ➊ 山ちゃんブログより
20240725
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
坂本、阪本、坂元、酒本、酒元、坂下…と多くの表記のある人々ですが、私にも多少関係のある一族でもあるのです。
伊号1号潜
当初、坂本神社については志賀海神社の宮司家の一族は安曇姓を名乗っているが、配下にいる人々は皆坂本姓を名乗っており、海神族であり外洋航海をできる人々であったから、古い時代に列島に入っているフェニキア系の人々ではないかと考えていたのですが、今回、彦太忍信命がヘブライ系である事が漸く分かってきました。知人に阪本様がおられた事から少しお尋ねしたのですが、サカモトでも九州(熊本)では少ない阪本ですが…と断られた上で話始められました。お父さんが外洋航路の船長だったとも言われており、びっくりしましたと言われたのでした。
実際、サカモト姓は坂本も阪本もあり、大阪城も元は大坂城であった事からどちらも同じ意味である事が分かっていましたので、構わずお話を勧めた経緯がありました。
特に家紋についても、跡で三盛亀甲紋に唐花=花菱である事が分かり、アーリア系ではなくヘブライ系なのであろうと、その様に考を改めたのでした。
実は、私(古川)の仲人さんも職場の上司(地方公務員)の坂本様でした。
この方のお父さんも旧帝国海軍の潜水艦の艦長で、本来はアメリカ海軍の、迎撃戦を戦う予定だったのですが、ガダルカナル戦に於ける制空権、制海権の喪失に伴って、丸通業務を行わされ、糧秣(米、味噌、醤油)や弾薬、薬品…をドラム缶に詰め込み補給を行う)という消耗戦に追われ、とうとう米艦船による攻撃を受け、半舷は飢島に上陸するも残った半舷と伴に今も海底に横たわっておられる…という話をお聴きしたのでした。具体的には申し上げませんが、伊号1号潜の艦長で…その孫も(つまり仲人の方の息子様)三菱重工で新型魚雷の開発に携わっているとお聴きしたのでした。私はその事を偶然ですが戦記としてハヤカワ文庫で読んでいたので驚いたことがあったのでした。
29日1830、ガダルカナル島カミンボ岬付近で半浮上して揚陸準備中、ニュージーランド掃海艇モア、同キーウィの爆雷攻撃を受けて損傷したため、浮上して交戦する。1920、伊1は左舷後部にキーウィの体当たり攻撃を受ける。モアとキーウィの砲撃により艦長が戦死したため、水雷長の是枝貞義大尉(海兵64期)の指揮で南緯09度13分 東経159度40分 / 南緯9.217度 東経159.667度のカミンボ沖合1km地点付近で2315に座礁した。やがて、伊1は浸水で右舷側に大きく傾斜して放棄され、その後沈没した。艦長の坂本榮一少佐以下乗員27名が戦死し、66名が生存した。その後機密書類の一部が回収され、海岸で焼却された。しかし、艦内の暗号書等の機密書類のほとんどは処分が不徹底のままだった。生存者は艦内の機密文書の捜索のために乗員2名を残してガダルカナル島に上陸し、後に帰還した。30日、モアは機密文書を捜索中の生存者2名を発見し、1名を機銃で射殺して1名を捕虜にした。生存者からの、機密文書の処分が徹底されていないとの報告を受け日本軍は伊1の処分を行った。2月2日夜、乗員5名と陸軍第1船舶団11名が大発で現場海域に向かい、爆雷2発を使用して艦体を爆破するも失敗。10日、第26航空戦隊第582海軍航空隊の99式艦爆9機が直援の零戦20機とともに爆撃を行うも、1発を命中させたのみにとどまった。11日、米魚雷艇のPT-65が伊1の艦体の調査を行った。13日、ニュージーランド特 設敷設艇マタイと米潜水艦救難艦オルトラン(英語版)(USS Ortolan, AM-45/ASR-5)によるさらなる調査が行われた。この結果、艦内水没部を米軍の潜水夫に隈なく捜索されて20万頁に及ぶ日本海軍の暗号書や機密書類が引きあげられ、日本軍の暗号解読に大いに役立った。同日、姉妹艦の伊2が雷撃処分するために現場海域に到着。15日まで伊1を捜索するも発見できず、さらに米魚雷艇からの爆雷攻撃を受けたため伊2は帰投した。 伊号第一潜水艦 (初代)
沈没した伊1を捜索するアメリカ海軍のPT-65 以上、推敲前草稿
新ひぼろぎ逍遥@ 1048 坂本(阪本)、八木(矢木)姓の方について零れ話 (下)坂本編 より
第五十五話 「崇神天皇」(1) 百嶋神社考古学東海ビューロー 「やまちゃんブログ」より転載
2022.02.19
写真 貴志川 十三神社の参道梯(みやばし)より撮影出典:Wikipedia(2 022/02/18 20:50)
○『古事記・日本書紀』記事の特徴
○崇神天皇は正統な天皇ではない
○贈崇神天皇の皇后・妃と皇子・皇女
1.『古事記・日本書紀』記事の特徴
同天皇に関する『記紀』記事は「安寧〜開化天皇」までとは対照的に極めて豊富です。その意図するところは、阿蘇ご一家を先祖とする藤原氏による遠大な歴史改ざん計画の中核を成すものです。
2.崇神天皇は正統な天皇ではない
御真木入日子印恵命こと崇神天皇は、藤原氏によって贈られた天皇で、正統な天皇ではありません。
『記紀』は、父開化天皇、庶母伊迦賀色許売命との皇子としますが、名に「倭」あるいは「倭根子」がなく、明らかに開化天皇の皇子ではないことが一目瞭然です。
「神々の系図−平成12年考」では、御真木入日子印恵命(みまきにゅうひこいにゑのみこと)は、天忍穂耳命こと贈孝昭天皇と市杵島姫(いちきしまひめ)の御子大山咋(おおやまくい)こと熊甲安羅梶彦(くまかぶとあらかじひこ)を父、母は市杵島姫と大国主の間に生まれた鴨玉依姫(かもたまよりひめ)とし、姉に活玉依姫(はえたまよりひめ)、兄は稻飯命(いなひのみこと)、弟に梶取こと椎根津彦(しいねつひこ)またの名に倭彦としています。
したがって、正当な天皇ではなく藤原氏によって贈られた「贈天皇」と、故百嶋氏は述べています。
3.『古事記』記事が記す皇后・妃と皇子・皇女
(1)木の国造荒河刀弁(あらかわとべ)の娘、遠津年魚目微比売(とおつあゆめはしひめ)を娶り、豊木入日子命(とよきにゅうひこのみこと)・豊鉏入日女命(とよすきにゅうひめのみこと)の二柱。
「神々の系図−平成12年考」によれば、荒河刀弁は、紀の川の最大支流である貴志川、別名荒河とも呼ばれる川畔(現和歌山県紀の川市桃山町)に盤踞した女性首長(酋長)としています。
写真 貴志川 十三神社の参道梯(みやばし)より撮影
私は大学生時代訪れたことがあり、それはきれいな清流でした。出典:Wikipedia(2022/02/18 20:50)
娘とされる遠津年魚眼微比売は、父御年神(みとしのかみ)、母古許牟須姫(こけむすひめ)との間に生まれ、兄は水沼君(みぬまのきみ)・伊予御村別(いよみむらわけ)の祖武国凝別命(たけくにこりわけ)です。
したがって、この系譜は御年神こと贈孝安天皇の系譜を紛れ込ませたようです。
○豊城入彦命を祀る神社 二荒山(ふたらさん)神社 宇都宮市馬場通り 祭神:豊城入彦命とされていますが、豊城入彦自身が東国下向の際、御諸山の大神(大物主こと大己貴命)を祀ったとされています。
赤城神社 前橋市富士見町赤城山
祭神:赤城大明神(=大己貴命)豊城入彦命
写真 赤城神社周辺の四季 出典:赤城神社HP
大荒比古鞆結(おおあらひこともゆい)神社 高島市マキノ町浦
祭神:豊城入彦命・大荒田別命・須勢理比売命・大己貴命・誉田別命
写真 大荒比古鞆結神社 「変形三ツ鳥居」
大荒比古神社 祭神:大荒田別命・豊城入彦命
大荒田別命は、おそらく豊城入彦のまたの名と考えられます。
豊城入彦命は武将として能力に優れ、九州王朝に忠実で、最初は近江国へ赴任、その後大己貴命が支配する上野(こうずけ)国へ赴任。その後、安羅国王として赴任したと推測します。
(2)尾張の連の祖意富阿麻比売(おおあまひめ)を娶り、大入杵命(おおいりきのみこと)・八坂入日子命(やさかにゅうひこのみこと)・沼名木入日売命(ぬまなきにゅうひこのみこと)・十市入日売命(といちにゅうひめのみこと)の四柱。
「神々の系図−平成12年考」によると、ウガヤフキアエズと下照姫との間に生まれた大海姫(おおあまひめ)は意富阿麻比売と同一人物です。
故百嶋氏は講演会で「にゅう(入・乳)」は天皇にお仕えした人物名の特徴と述べています。
(3)大毗古命の娘御真津比売(みまつひめ)を娶り、伊久米入日子伊沙知命(いくめにゅうひこいさちのみこと)・伊耶能真若命(いざのまわかのみこと)・国片比売命(くにかひめのみこと)・千千都久和比売命(ちちつくわひめのみこと)・伊賀比売命(いがひめのみこと)・倭日子命(やまとひこのみこと)の六柱。
「神々の系図−平成12年考」によると、御真津姫の父は大毗古命ではなく事代主としています。
御真津姫の本来の名は『日本書紀』が記す御真城姫(みまきひめ)です。結婚前の名は五十鈴姫です。
ツヌガアラシトのまたの名に御間城入彦があり、御真城姫はツヌガアラシトこと贈崇神天皇と結婚して名を改めてからの名です。
伊久米入日子伊沙知命は、五十鈴姫との間の御子ではありません。詳細は「垂仁天皇」の稿で説明します。
倭日子命は前述したように、ツヌガアラシトの弟椎根津彦です。
国片姫はツヌガアラシトこと贈崇神天皇と御真城姫の娘で、後に開化天皇の妃に成られます。
兄は盟神探湯(くがたち)こと壱岐真根子です。
4.『日本書紀』が記す皇后・妃と皇子・皇女
(1)皇后御真城姫との間に活目入彦五十狭茅(いくめにゅうひこいさちの)天皇・彦五十狭茅命(ひこいさちのみこと)・國片姫命(くにかたひめのみこと)・千千衝動倭姫命(ちちつくやまとひめのみこと)・倭彦命(やまとひこのみこと)・五十日鶴彦命(いかつるひこのみこと)の六柱。
彦五十狭茅命・彦五十日鶴彦命は不明です。
(2)紀伊國の荒河戸畔(あらかわとべ)の娘、遠津年魚眼眼妙姫(とおつあゆめまくはしひめ)との間に豊城入彦命・豊鍬入姫命の二柱。
故百嶋氏は「紀の国」を大幡主の支配地としています。
したがって、遠津年魚眼眼妙姫は大幡主の血筋に繋がる姫と推測されます。
(3)尾張大海媛との間に八坂入日子命・渟名城入姫命・十市瓊入姫の三柱。
表 ツヌガアラシトを中心とする家系図
生年は故百嶋氏の推定
次回は「崇神天皇」(2)です。
今回、国方姫が分かり難いためそれをご説明するためだけに、勝手ながら信頼できる文献史学派の「山ちゃんのブログ」を長々と引用させて頂だきました。
悪しからずご容赦を。
以下、百嶋由一郎手書きメモからも坂本皇子を探ってみたいと思います。
百嶋由一郎 006橘系譜
百嶋由一郎氏のこの神代系譜については普段はあまり見ないもので、皇子宮、坂本宮でも神功皇后と開化天皇と間のシレカシの命以下5人の皇子に対して、4人の皇子については仲哀と神功皇后の間に生まれた皇子か仲哀の側室の子なのだろうと言った甘い解釈で留めていたのでした。
ところが、今般、正確に坂本姓や坂本一族を調べる必要が出て来た事から慌てて調べ始めたのが実情であって、ある意味では良い機会を与えて頂いたとも言えます。
こんなことでもなければ本気で考えないのが日常であって、少しでも前進できればまさに天恵とまで言えるのです。
大恋愛の末に一緒になった大山咋と鴨玉依姫ですがその間に生まれたのが活玉依姫でその活玉依姫が古々代ヘブライ系の事代主(大国主の子でもなければ、建御名方の兄でもない人なのです)の間に設けたのが五十鈴姫(我が研修所の近くにもこの五十鈴姫を主神として祀る神社があります)です。
その五十鈴姫が初国神武こと贈)崇神天皇との間に生んだのが国片姫(国堅大神)になるのです。
その国片姫が正当皇統第9代開化天皇との間に産んだのが国堅大神で、大神と呼ばれるのも開化の側室の子だからなのです。ちょっと面倒でしたが、漸く坂本皇子の素性が掴めたのでした。
半島と敦賀、熊本県の球磨川の旧坂本村に近い百済木から「日本書紀」に登場するアリシトの子日羅が百済のナンバー2達率(国防大臣)になっているのも渡洋航海を行う能力を持っていたからであり、
百済来村は、熊本県葦北郡にあった村。現在の八代市坂本町百済来上、百済来下、田上、鶴喰、川岳にあたる。
ウィキペディア20240713 15:44
それはクマカブトアラカシヒコ=大山咋(熊本県の甲佐町の甲佐神社付近から対馬海流に乗り半島に移動していたからなのです。
クマカブトのクマは、熊本、カブトは甲佐町の甲佐神社の甲)の血を引いたツヌガノアラシト(敦賀と安羅伽耶を頻繁に移動した)崇神に渡洋航海の技術が継承されたのでしょうか。
甲佐神社は、熊本県上益城郡甲佐町に鎮座する神社である。肥後国二宮で、旧社格は郷社。
ウィキペディア 20240713 15:45
甲佐神社 カーナビ検索 熊本県上益城郡甲佐町上揚876
こうして、球磨川、緑川一帯から対馬海流に乗り半島と行き来していた人々が九州王朝の航海術が支えられていた事が見えて来たのでしたくるのです。
ここまで掘下げてくると、初めて坂本姓の本質は大袈裟ですが、後ろ姿が漸く見えても来たのでした。