2021年08月04日

A熱 禍 打ち水するよりコンクリートを引っ剥がせ “2021 最悪の東京オリンピックを前にして”

A熱 禍 打ち水するよりコンクリートを引っ剥がせ “2021 最悪の東京オリンピックを前にして”

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古川清久(元自治体職員)2013091420210622再編集版


熱 河(ネッカ)


私が勝手に創り出しただけのものですが、ヒート・アイランドの意味を持たせた造語で「熱禍」(ネッカ)と読みます。

"ネッカ"と言えば、ついつい満洲事変から支那事変の泥沼に引き摺り込まれるきっかけとなった満洲(国)の一省、熱河省を巡って行われた「熱河作戦」(*)を思い出してしまいますが、これについて書き始めては、最初から脱線になってしまいます。

 ただ、敗戦から七十年を経て、ひとりよがりの国土交通省の官僚によってもたらされたヒート・アイランドという名の新たな敗戦(国民が蒙る災禍を敗戦と言うならば)を思う時、「熱禍」から「熱河」を思い浮かべる事に全く必然性がない訳でもないのです。

 まず、ヒート・アイランド現象は人間の手ではどうしようもない天災とか異常気象、さらには天変地異とかいったものでは全くなく、ここ数十年で到達した国土交通省を先頭とする国家機関(農水省など)の暴走(かつての武藤章や牟田口蓮也といった連中が引き起こした陸軍の暴走)によってもたらされた人災、国による国土、生活環境の決定的破壊でしかないのであり、この無能極まりない国家機関という国民と国土への敵対者=国賊によって引き起こされた第二の敗戦に等しいものなのです。

 """わざわい"であり、鬼のなす業(ワザ)のハヒ=ありさま のことですが、人間というよりも国土交通省のもたらした災難のことを意味するものと思っていただいて構いません。

 それはともかくとして、前段の「"打ち水大作戦"の大間抜け」がヒート・アイランド問題の総論とでも言うべきものであった事に対して、今回は、国土の再建に向けた各論になるものであり、さらに下世話な話をしたいと思います。


熱河作戦 :


満洲国は満洲事変により中国東北三省、内蒙古(熱河省)に成立した植民地国家(私は本来、満洲は満洲族の国土であって漢族のものなどではないと考えており、"日本が中国を侵略した"といったありきたりの議論に単純にくみすることはしません。満洲が中国の領土であるという議論は歴史を鵜呑みにする人間の言う事でしかなく、傀儡政権といった政治的な意図を持った蔑称は使いませんが)でした。その熱河省の主席であった汪兆銘派の湯玉麟(トウギョクリン)は張学良と通じ、熱河省奪還のための抗日軍を組織して侵入を繰り返します。このため、一九三三年、関東軍は熱河作戦を発動し山海関を占領するに至ります。満洲事変の元凶であった石原莞爾は満洲を確保する事を第一義的課題として長城線を越えて中国本土に入るような戦線の拡大には一貫し無題.pngて反対しますが(山海関を越えるな!)、満洲国内である熱河すら安定せず、その後の北支事変へと発展していくのです。

この作戦は、緒戦では関東軍の機動作戦が図にあたって、約十日間で熱河省を掃蕩(そうとう)したが、三月初旬、喜峰口をはじめ、長城線重要関門を攻撃する段になって中国中央軍の頑強な抵抗にあい、予想外の苦戦を味わわなければならなかった。そのために、戦闘は長城線を越えて、やがて後のらん(三水偏に糸+言+糸、下に木)東作戦につらなるのである。

「関東軍」在満陸軍の独走 島田俊彦(講談社学術文庫)


 今回、満州の表記を"満洲"としました。前述の島田俊彦による 「関東軍」在満陸軍の独走 においても、表記は"満州"とされていますので、必ずしも拘る必要はないのですが、ツングース系の民族である"マンチュリア"の表記は、水に生きる民との認識から"満洲"とされたのであり、本来、その方が正しいと考えるからです。
 中国共産党政権はこの民族が打ち立てた国家である清国の存在をよしとせず(漢族が清国によって支配されていた)、水に生きた独立した民族の記憶を消したいと考えているかのようです。


C) ヒート・アイランド対策と建築確認申請


 家、マンション、オフィスビルを建てる際に建物の設計審査が行われますが、その際に駐車場、玄関、庭などの舗装を可能な限り制限し、最低でも透水性の舗装にすることを義務付けるべきでしょう。
排水路や側溝を浸透性のものに施工し、雨水を一時的に貯留する底穴の空いた防火水槽(プール)の設置を義務付けるとか、庭の隅に素堀りの地下浸透升を造るようにする事を奨励するのです。
 これは新規の着工時に行うものですが、このような考え方で地面の改築を進めていくのです。
これらの施策はもっと早く行われていてもおかしくないのですが、国土交通省に都市のヒート・アイランド化の責任が自分達にあるという認識がかけらもなかった事により対策が全く打たれていないのです。



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どこにでも見られるコンクリートで覆われた駐車場


D) 巨大地下貯水池


 
 

 ただし、洪水調節が目的ならば通常は空にしておかなければならないわけで、大雨の後に、河川に還流させれば、その時だけは一定の効果があるという程度の代物です。
 この計画は時間雨量五〇ミリを想定したものでしたが、昨年(2005年)九月の六〇ミリに対しては無力であったと言われています。
 建設費一〇〇〇億円を投じて当初の目的であった洪水調節さえも達成できていないのですから、まずは、大手ゼネコンにくれてやった事業と言わざるをえないでしょう。
地下貯水池はダムの抑制、再生水の循環利用と多くの可能性を持っていますが、今回はヒート・アイランド中心の話に限定していますので割愛します。

東京都は、都市型豪雨によって溢れ出した水の受け皿として、杉並区の環状七号線の地下四〇メートルのいわゆる大深度地下に延長数キロ、貯水能力数十万トンという巨大貯水池を一部完成させています(一期、二期合計:延長四.五キロ、五四万トン)。
 現在(これは書いた時点での話で現時点では確認していません)、この計画は都の財政悪化によって凍結されていますが、本来は東京湾まで地下河川として伸ばすことになっているのです。
 現状では完成していない地下放水路で雨水を一時的に溜めるものでしかありませんが、長期間溜めて利用できる可能性もあり、また、渇水期に本来の河川(神田川)に上流域から還流できる可能性もあるので単純な評価はできないでしょう。
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 ただし、河川の地下埋没は、それ自体として都市のヒート・アイランド化を大規模に促進するものであり、所詮は生まれてしまった私生児をどうするかといった程度の話なのです。
 少なくとも、夏場の大都会の地下に巨大な水塊があることそれ自体は多少の冷却効果があるとは言えるのですが(もちろん無いよりはましという程度のものです)、将来、上水機能を持たせる計画があるのか、洪水対策だけを考え、一時的に貯水して徐々に放水するのかも分かりません。


E)地下街、地下空間をどう評価するのか


日差しの強い日に日傘を差すように、日の射し込まない地下に入ることはそれなりの効果があるのは事実ですが、これをどう考えるのかはかなり難しい問題です。

無題.png夏に鍾乳洞や風穴に入ればそれだけでもかなり涼しいことはどなたも経験されているでしょう。鍾乳洞や風穴といった特殊なものに限らず、トンネルや防空壕(こんなものにはあまり入られた経験はないでしょうが)やダムの堤体内通路でもある程度は実感できますので、冒頭で"黄土高原の穴居住宅のように地下で生活しなければならないかもしれない"などと書いたわけです。
 では、地下街や、地下空間はどのように評価するべきでしょうか。
 この手の話は近藤邦明氏の領域になりますのでアドバイスを得なければなりませんでしたが、彼によると、コンクリートで固めた人工的な地下空間と鍾乳洞や風穴といったものには多少構造的な違いがあり、同視する事はできないという事でした。
 ただのメールでのやり取りでしたが、正確を期すために、以下、近藤見解をそのまま掲載します。

鍾乳洞ないし風穴の場合、石灰岩の浸食地形であるか、火山性地形であるかには差がありますが、共通するのは多孔性の構造を持っていることです。一つは寒冷な時期に地表に通じる穴から寒気が侵入して多孔性の風穴や鍾乳洞内の壁面を蓄熱装置として冷却しているというものです。場合によっては部分的に氷室になっている部分もあるでしょう。夏には外気が高温=低圧になるため相対的に高圧になった風穴や鍾乳洞から冷気が噴出することになります。もう一つの理由は要するに冷却水の存在です。地下水自体が地面の断熱によって年間ともに15℃程度で安定しているのは勿論ですが、さらに風穴や鍾乳洞内の壁面にしみ出す地下水が蒸発するときに潜熱を吸収することによって更に冷却するというものです。
 地下街や大規模下水道の「発達」した都会では、まず地下水位が極端に低下していると考えられますから、地表からの蒸発量が減っています(ヒート・アイランド現象ですね)ので、地表面の断熱効果はかなり低くなるばかりか、逆にコンクリートやアスファルトで被覆された蓄熱装置として機能するため、都市化以前の地下空間ほど涼しくはないでしょう。また地下水はあったとしても、都市の地下空間への「漏水」は邪魔者として速やかに排除されますから、蒸発の潜熱として冷却するという機能も期待できそうにありません。

というものです。いつもながら明解ですね。ここでも水循環が熱循環の鍵である事が分かります。
 多少似たものとして、核シェルターや長時間潜航する原子力潜水艦内部の熱環境の問題があります。
 前者は放射能の流入を一切拒絶する事を目的とするために造られる完全に閉鎖された空間であり、後者は海中の潜水艦内という完全に閉鎖された環境ですが、最大の問題は人間自体が発する体温と人間の生活に伴う廃熱の処理と言われています。
これが前者においては特に難しいのです。
 地下街は必ずしも完全に閉鎖された空間ではありませんが、内部の熱の問題によって直ぐに冷却装置に頼らなければならなくなるのでしょう。

 
 

無題.png気口を使って熱せられた空気を排出するとしても、替わりの空気を巨大な鍾乳洞のような大きな地下空間から永久に供給できるならば別ですが、そのようなことはほぼ不可能であり、地下街は、太陽の直接放射を遮る事が可能になる以外は、何の意味もないものであることが分かると思います。
つまり、素堀りの壁面を維持する黄土高原の穴居住宅以下のものであるということは明らかなのです。
 仮に、鍾乳洞や風穴にレストランを作ったとしても、大繁盛してあまりにも多くのお客がやってくれば、直ぐに破綻し、大型の冷却装置が必要になることでしょう。
地下街も、地下マンション(そんなものがあればですが)も決して住民を快適にはしないのです。


F)上、下水道をどうするのか


現状で上、下水道を全て廃止する事は不可能です。
しかし、上、下水道は既に後進国のものと理解すべきでしょう。
本来、水はそれを使う人間の周辺で調達し、極力その人間の周辺の河川に還元するべきなのです。
この周辺の範囲をどのように考えるかは、その土地条件、環境によって全く異るでしょうが、一例を挙げれば、企業単位で工場とその社宅などの居住部において雨水を一時的に地下貯水池や遊水地に集めその一部をその敷地内で浄化して使用するのです。
飲用まで利用するかどうかは選択であり、地下水に頼れる場所では地下水を、また、雨水による天水利用をできる集水面積があれば、それを浄化して使ってもよいでしょう。
上水、またトイレ、風呂などの中水に利用しても良いのです。

 
 

無題.png浄化槽で処理した再生水は下水道に流さずに河川に流すのです。こうすれば、事 実上、既存の上、下水道から独立したエリアが実現できるのです。
 既にその水道料金の高さから上水からは企業の撤退が静かに進行しています。
 その理由はダムの過剰供給状態の中でも新たなダムが乱発され続け、その無駄な事業のコストが水道料金に確実に上乗せされているからに外なりません。
 いずれ、企業などを中心に大型下水道からも撤退が始まることでしょう。
下水道が市街地から郊外へと延長が延びるに従って、管の大型化、施設の巨大化が等比級数的に拡大し、下水道は非常に割高なものになっているのです。
 上、下水道ともに一極集中型のものにするのではなく、葡萄の房のように小規模な連携の集合体に変えていくべきであり、そのぶどうも可能な限り巨峰からデラウエアのような小粒の集合体に変えていくべきなのです。
 下水道で多くの水を一箇所に集めて処理する事が元々無茶な話で、起原が分かりやすい小さなエリアで集めた水をその汚染状況に合致した処理をするのが効率的であり、赤、青、黄、緑、黒、白、灰と多くの絵の具で混ざったものを真水に戻すよりは、緑一色が混ざった水を真水に戻す方が簡単なのです。
下水道が後進国のものだと言ったのは、こういう意味からです。
高度処理とか言ってはいますが、実態は極めてお寒いものだという話は下水道関係者の間では常識なのです。
 上水にしても、巨大な駐車場や屋根で集められた水をただ海に流し込んでいる現状ほど愚かなことはないでしょう。
 既に都市河川の中流域で取水した水を飲んでいる都市住民も多いわけですから、実質的には下水を飲んでいるのと変わりがないという話も良く聞きます。
 そのような中ではさらに一層雨水の利用を進めるべきなのです。少なくとも過剰供給の中でダムを建設する口実を与える必要はないのです。
 個人レベルでも企業レベルでも、可能ならば上下水道から極力撤退することをおすすめします。
これらはコレラが蔓延しているような後進国でこそ有効なシステムなのです。
 既に、雨水の利用、浄化槽による処理の技術水準は遥かに上がっています。上、下水道の廃止は新たな産業と豊かな自然を取り戻す一歩となるのです。 
 まず、新たな発想と新たな理想の構築をその延長上に上、下水道に寄生し続ける土建業者や腐敗した官僚、議員どもの追放も可能になるのです。


G)最大の問題である河川をどうするのか


 ここでは都市河川のあり方一般を考えるつもりはありません。
あくまでもヒート・アイランド現象に対する問題として、その側面についてだけを議論するものです。と、言っても極めて単純です。
河川を洪水の側面だけで考えれば、普段はほとんど水が流れず、洪水時にはいち早く海に流し込めるものが理想ということになります。
このためには、できるだけ直線化されて、瀬や渕といったものがない、平坦で障害物の無い、また、周りにも通水を阻害する可能性のあるものが一切ないものということになるでしょう。
ひところ前までの彼らの理想を簡単に説明すると雨樋だったわけです。
事実、都会の河川はそのようなものになっているのです。
このため可能な限り直線化され、堤防周辺では木が切り倒される(根が張ると決堤の原因になるとされるのです)ことになります。
実際には川が直線化されると流速が増し、このことによってかえって堤防は破壊されやすくなるのですが、それを補うものとしてコンクリートなどによって補強が進められるのです。この点から考えると土木業者の理想とも重なっているのです。



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宮崎県名貫川源流部


川をコンクリートで囲むことは道路の幅を拡大する要請から始まったものですが、同時に水の蒸散を促進するものであることは言うまでもありません。
 また、地下河川、下水道はそもそも水の蒸発による熱循環に全く寄与していません。
と、言うよりも大半の水を地下に流し込むことが、ヒート・アイランドの最大の原因なのです。
 対症療法的ではありますが、地下河川(地下貯水池型のものは運用によって、洪水調節後にポンプ・アップでも  自然流下でも極力河川に還流させ、都市河川の維持水とすべきでしょう。
 また、浅いスリット状の堰を設け、また、河川に水深の違いを設け、極力貯水、溜水、流水化を求めるべきでしょう。
 もちろん、川床に変化を付け、渇水期でも水が残るようにするのです。
 一方、枝葉の小河川や市街地の側溝といったものも、ほぼ、完全にコンクリート化されているために、雨水を流し出すという一方向の役割は持っていますが、雨がやめばただのカラカラの溝になり、僅かな水さえ保つこともできません。
 このコンクリート側溝というくだらないものは、周囲の地面から少しずつ水分を集めて安定した水を徐々に下流に送り出すということもできなければ、乾燥した時に自らが保つ水を周囲の地面に戻すこともできません。
私が理想と考える側溝とは、コンクリートの壁面ではなく、乾燥した時には室内に水分を補い、湿潤な時は余分な水分を吸収し蓄えることができる土壁のようなものです。
つまり、周囲の地面と水分のキャッチ・ボウルが行えるような水路であり側溝ですが、必ずしも難しいものではなく、多孔質コンクリート、ネット状の側溝、極端な言い方をすれば既設の水路に一定の孔を開けても良いのです。
また、側溝の形状を、深さの違うでこぼこのあるものに変えても良いのです。
 こうすれば、僅かながらも水を保つ事ができますし、側溝に浅いスリット状の堰を義務付けても良いのです。
掃除がやりにくいと言うのならば、スロープ状の堰にしても良いのです。
泥が溜まると言うのならば望むところでしょう。なぜならば、それこそが長時間水分を保つスポンジになるのですから。



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どこにでもある都市型河川


閑話休題  使用済み紙おむつの花咲かジジイ


末端水路の先にある地面の事を考えましょう。
冒頭で"打ち水するより、コンクリートを引っ剥がせ!"としましたので勢いで書きます。
引き剥がした跡地の荒地に自然に草が生えてくるのを待っている事は理想ですが、本当に乾燥している斜面などにはなかなか豊かな緑は戻ってはこないものです。
 このような破壊された環境での複林には、使用済み紙おむつを、鉛筆や割り箸を鉛筆削りで研いだ木釘などで突き刺し、土を被せてどんぐりの種でもばら撒いておけば、かなり早く草木が生えてくるものです。
 コンクリートを引っ剥がした荒地では、水ばかりではなく栄養が不足しているのです。
これらは河川堤防でも有効ですから、ゲリラ的に複林運動をされる方は浅いダンボール
の箱に使用済み紙おむつを敷き詰め、上から浅く泥を被せどんぐりと言わず、好みの木や草の種などを放り込み、車のトランクに積み込んで荒地にそっと置いてくるだけですからスコップで穴を掘るような苦労をしなくても良いのです。
 このように簡単に緑を取り返す運動ができるのですから、特に環境破壊の元凶として人生を送ってきた土建会社の社長や地方議員、天下り官僚の老後の"罪滅ぼし"、死ぬ前の悔悟の行脚には最適かと思います。
 自然環境を死に追い込んだのだから、きちんと悪事の責任を取ってから死んでいけ!


H)さらなるヒート・アイランドへ地下放水路は延びる


地下放水路の拡大がヒート・アイランドの原因である事は論争の余地のない物理学的事実です。

もしも、ヒート・アイランドが都市にとって重大な危機であるのならば、なにをさておいても国家は全力を上げて対策を取るべきはずですが、実際には全く逆の事が起こっているのです。地下放水路が要因の一つでしかないとしても、環境省がクレームをつけるわけでもなく一方的に拡大を続けています。一例ですが首都圏外郭放水路を見てみましょう。



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ヒート・アイランド禍に苦しむ国民を尻目に、血税で誇らしげに宣伝される地下放水路        

江戸川河川事務所のHPから!


埼玉県の東部で進む、世界最大級の地下河川の建設計画です。
 首都圏外郭放水路は国道16号の地下約50mに建設される延長6.3qの地下放水路です。施設は、各河川から洪水を取り入れる流入施設、地下で貯水したり、流下する地下水路、そして地下水路から洪水を排出する排水機場等で構成されています。


国土交通省関東地方整備局江戸川河川事務所のホーム・ページ"私たちの仕事"から


"私たちの仕事"と誇らしげに書かれていますので、まず、自分達がよほど良いことをやっていると考えているのでしょう。
彼らは洪水調節のことしか頭にないのです。無自覚である事ほど恐ろしいものはありません。しかも、膨大な予算を食い潰すのですから、もはや国家機関は機能停止に陥っているとしか考えられません。
 この手の事業は、首都圏にとどまらずに地方にも拡散を続けています。
 最近、訪れた滋賀県でもその一端を目にしましたので紹介しておきます。
 大津放水路は、大津市街地の慢性的な洪水被害を軽減するために、大津市南部を流れる8つの小河川の洪水を中流部でカットし、放水路を通して、瀬田川へ流下させる地下トンネル放水路です。現在、一期区間(瀬田川〜盛越川までの約2.4q)の工事を終えて、既に通水を開始しています。


無題.png国土交通省近畿地方整備局琵琶湖河川事務所のホーム・ページ"大津放水路事業"から


ここでは、地下放水路が全国的に拡大の様相を呈しているということを紹介しておきます。
個別的にこの事業をどう評価するかについては踏み込みません。問題は、その運用と、コストです。  
ただ、これがヒート・アイランドを助長するものであることは理解しておいて貰いたいと思います。  
まず、琵琶湖沿岸の大津市では大規模なヒート・アイランドは目の前の大水塊によって緩和されていますから、自宅の駐車場をアスファルトで固めた為に暑くてたまらない程度の話であって、自業自得でしかありません。


I)都市型豪雨の頻発と都市の水不足について(驚愕の近藤仮説から)


「環境問題を考える」には近藤邦明氏が書く 5.HP管理者から という非常に水準の高いコラム(?)がありますが、その No225号(2006/08/24)に「都会の豪雨と内陸部の乾燥化」という驚くべき仮説が掲載されています。
詳しくは原文を読んでいただくとして、簡略化して書けば、既に、ヒート・アイランドが点的な孤島にとどまらず、過熱列島、焦熱ベルトとでも言うべきものに成長しており、このことが日本列島の雨の降り方に非常に大きな変化を与えているのではないかというのです。
 それは都市型の集中豪雨の激発です。本来は地表にあまねく広がるスポンジのような土から静かに水が供給され、それが蒸発することによって安定的に雨が降る穏やかな気候だったものが、海に面してベルト化した都市のヒート・アイランド帯によって強く熱せられて生じる上昇気流に南からの海の湿った空気が一気に取り込まれ海岸部の都市部だけで海水起源の大規模化した集中豪雨が発生しているのではないか、しかも、沿岸の都市部だけで降ってしまうために、残りの乾燥した大気が夏場の南風によって内陸部に送り込まれ、結果として、内陸部の乾燥化、脊梁山脈を越えたフェーン現象の拡大といったものに繋がっているのではないかと・・・。
 カーテンと化したヒート・アイランド起源の海岸部の上昇気流の帯が夏場における南からの湿った大気の侵入を遮断し、列島中央部の内陸部まで水分が持ち込まれなくなっている可能性を指摘しているのです。
 つまり、海岸部で降る都市型集中豪雨は受け皿がないためにその大半が海に戻され、都市の生命線でもある脊梁山脈の集水域では全く雨が降らないという傾向が促進されているのではないかと・・・。もしも、この仮説が妥当であるならば、ヒート・アイランドによる都市型集中豪雨の増加と、大都市の水不足、大渇水という現象は裏腹の関係で進行していることになるのです。
この仮説が正しければ、首都の水瓶としての山間部の巨大ダムは、都市型豪雨を横目で睨みながら、カラカラということになるのです。
 既に、"打ち水大作戦の大間抜け"で書いたように、国土交通省の河川の雨樋化、被覆化、地下放水路化、下水道化、さらには農水省のほ場整備、拡大造林などによって、大都市、地方都市、農村、山林を問わず、列島の全てにおいて不可逆的な乾燥化が起こり、そこから夏場の夕立の激減に象徴されるような現象が起こる中、夏以外でもドシャブリ的な降り方が増えていま。ヒート・アイランドはもはや夏だけの問題ではないのです。


見失ってはならないこと


一応、対症療法的なものも含めて、ヒート・アイランドへの対策のようなものを提案しました。しかし、実のところ"心もとない"という思いを払拭できません。
 それは、地方都市ではこの対策も一定が効果を持つのかもしれませんが、大都市ではほとんど手が打てないのではないかと思うからです。
それは、地表に水を取り返すとしても現状ではそれだけの余地が取れないからです。
 まず、消費する水を現地周辺で調達し、また、処理するとしても、そのための空間(例えば合併処理浄化槽)や、還元するための「生きている地表ないし表土」といったものの絶対量が不足するのです。
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これは、大都市の必然でしかないのであり、あまりにも過密になった都市を解体するというベクトル、つまり、人口の分散化がどうしても必要になってくるのです。
従って、現状を前提として「工業的な技術」によって小規模な水循環を回復する事は部分的に可能としても、結局は余計なエネルギーを投入することにしかならないのです。
まず、国や産業界の愚かな技術者達はその方向でしか物事を考えられない社会構造になっているからです。

 この問題に関しては「工業的な技術」は結局のところ小手先でしかなく、緊急避難的な次善の手段でしかないのであって、本質的には人を分散させる方が正しいのです。
と、すると、首都機能の移転と分散の方がまだ正しいのではないかと思うのです。
 それでは、都市の分散はそれ自体として可能なのでしょうか?私にはあまり期待できるとは思えません。
 それは、日本の富を独占し、政策決定に力を持っている大都市圏の不動産所有者が、地価の高騰によって成立している収益構造の破壊をもたらすような首都の解体に同意するとは到底考えられないからです(首都移転構想への反対が、繰り返し都市部と不動産所有者から起こる事は良く知られていることです)。
 従って、この大都市圏の巨大土地資本を占拠し、そのことによって日本に君臨し続ける独占的金融資本を叩き潰さない限りそれが可能になるとは思えないのです。
 ただ、ここで、唯一の現実的な可能性を指摘しておきたいと思います。それは、少子化と無産化です。
 現在でもビルの裏庭などで寝泊りするホーム・レスの上には誰も住まない高級マンションが数多く売れ残っていますが、少子化と無産化はこの傾向をさらに助長する事でしょう。
 愚かな米国ハバードのエピゴーネンで竹中平蔵と小泉がもたらした中産階級の破壊、下層階級のさらなる所得低下、富裕層による富の独占は、この少子化、無産化をさらに大規模に推し進め、過剰生産の極致にある都市不動産の価値下落を劇的に推し進める物理的基礎条件を与えてくれる事になるでしょう。
 もちろん、このヒート・アイランド化への道が必然であったのではないのかという思いは消えませんが、いずれにせよ、止まらぬヒート・アイランド化への道は、さらに一層、都市を人間にとって住みづらいものにすることでしょう。
そして、大都市不動産を価値の低いものに変えることでしょう。そうすることによって、始めて都市の解体が可能になるのです。
posted by 新ひぼろぎ逍遥 at 00:00| Comment(0) | 日記

2021年08月02日

@熱 禍 打ち水するよりコンクリートを引っ剥がせ “2021 最悪の東京オリンピックを前にして”

@熱 禍 打ち水するよりコンクリートを引っ剥がせ “2021 最悪の東京オリンピックを前にして”

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古川清久(元自治体職員)2013091420210622再編集版


熱 河(ネッカ)


私が勝手に創り出しただけのものですが、ヒート・アイランドの意味を持たせた造語で「熱禍」(ネッカ)と読みます。

"ネッカ"と言えば、ついつい満洲事変から支那事変の泥沼に引き摺り込まれるきっかけとなった満洲(国)の一省、熱河省を巡って行われた「熱河作戦」(*)を思い出してしまいますが、これについて書き始めては、最初から脱線になってしまいます。

 ただ、敗戦から七十年を経て、ひとりよがりの国土交通省の官僚によってもたらされたヒート・アイランドという名の新たな敗戦(国民が蒙る災禍を敗戦と言うならば)を思う時、「熱禍」から「熱河」を思い浮かべる事に全く必然性がない訳でもないのです。

 まず、ヒート・アイランド現象は人間の手ではどうしようもない天災とか異常気象、さらには天変地異とかいったものでは全くなく、ここ数十年で到達した国土交通省を先頭とする国家機関(農水省など)の暴走(かつての武藤章や牟田口蓮也といった連中が引き起こした陸軍の暴走)によってもたらされた人災、国による国土、生活環境の決定的破壊でしかないのであり、この無能極まりない国家機関という国民と国土への敵対者=国賊によって引き起こされた第二の敗戦に等しいものなのです。

 """わざわい"であり、鬼のなす業(ワザ)のハヒ=ありさま のことですが、人間というよりも国土交通省のもたらした災難のことを意味するものと思っていただいて構いません。

 それはともかくとして、前段の「"打ち水大作戦"の大間抜け」がヒート・アイランド問題の総論とでも言うべきものであった事に対して、今回は、国土の再建に向けた各論になるものであり、さらに下世話な話をしたいと思います。


熱河作戦 :


満洲国は満洲事変により中国東北三省、内蒙古(熱河省)に成立した植民地国家(私は本来、満洲は満洲族の国土であって漢族のものなどではないと考えており、"日本が中国を侵略した"といったありきたりの議論に単純にくみすることはしません。満洲が中国の領土であるという議論は歴史を鵜呑みにする人間の言う事でしかなく、傀儡政権といった政治的な意図を持った蔑称は使いませんが)でした。その熱河省の主席であった汪兆銘派の湯玉麟(トウギョクリン)は張学良と通じ、熱河省奪還のための抗日軍を組織して侵入を繰り返します。このため、一九三三年、関東軍は熱河作戦を発動し山海関を占領するに至ります。満洲事変の元凶であった石原莞爾は満洲を確保する事を第一義的課題として長城線を越えて中国本土に入るような戦線の拡大には一貫して反無題.png対しますが(山海関を越えるな!)、満洲国内である熱河すら安定せず、その後の北支事変へと発展していくのです。

この作戦は、緒戦では関東軍の機動作戦が図にあたって、約十日間で熱河省を掃蕩(そうとう)したが、三月初旬、喜峰口をはじめ、長城線重要関門を攻撃する段になって中国中央軍の頑強な抵抗にあい、予想外の苦戦を味わわなければならなかった。そのために、戦闘は長城線を越えて、やがて後のらん(三水偏に糸+言+糸、下に木)東作戦につらなるのである。

「関東軍」在満陸軍の独走 島田俊彦(講談社学術文庫)


 今回、満州の表記を"満洲"としました。前述の島田俊彦による 「関東軍」在満陸軍の独走 においても、表記は"満州"とされていますので、必ずしも拘る必要はないのですが、ツングース系の民族である"マンチュリア"の表記は、水に生きる民との認識から"満洲"とされたのであり、本来、その方が正しいと考えるからです。
 中国共産党政権はこの民族が打ち立てた国家である清国の存在をよしとせず(漢族が清国によって支配されていた)、水に生きた独立した民族の記憶を消したいと考えているかのようです。


高温多湿の消失


 十年ほど前から感じていたことですが、東京は意外に涼しいと思っていました。
これはそのまま理解されると実質的には誤解になると思うのですが、"大都会の夏は暑くてたまらない"といった先入観を持ち覚悟して田舎から出て来た割には、日陰は涼しく東京湾からの風道になっているビルの谷間などでは爽快感さえ感じられたのです。
 私は佐賀の片田舎の地方都市に住んでいる人間ですから、夏になると周りにある多くの水田には水が張ってあります。
このため、水が多い分だけ周囲の気温は低いとしても、湿度が非常に高く蒸し暑い日が続きます。
一方、コンクリートで固められた大都会は湿度が極端に低く、日陰に入れば結構凌げるのです。
最近は少なくなりましたが、"カリフォルニアは、気温は高いもののカラッとしていて爽快だ!"などといった気取った話をかつては良く聞いたものでした。
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この手の話が少なくなった訳は、私たちの周りでも実際にそのような状態になってきたからなのかもしれません。
しかし、このことは、事実上高温多湿と言われてきた日本型気候の消失とも言え、森を壊し、林を消し、木を無くした大都会東京の最期の姿を示しているとも言えるのです。
 皆さんは高温でも乾燥した国土を愛しますか?それが文明だと考えますか?欧米化は経済、社会、文化の面ばかりではなく、自然環境の面でも急速に進行しているのです。


コンクリートのレイン・コート


都会がコンクリートのレイン・コートに覆われていることは、既に、「"打ち水大作戦"の大間抜け」である程度書きましたが、最大のレイン・コートに覆われた空間は、地下都市とも言うべき地下街でしょう。
しかし、この問題を持ち出すと混乱しますので、ここでは、将来乾燥が進むと黄河流域黄土高原の穴居住宅のように地下で生活しなければならないかもしれないとだけ言っておきます。
 都会がコンクリートに覆われている事のメリットを考えた場合、剥き出しの土は雨によって流れ出します。

 
 

都会の運動場が、一時期コンクリート化された背景には土壌の流出と、その土の補充や草刈のコストや手間が問題になったからでもあったのですが、それは、剥き出しているからであって、日本のような高温多湿の土地では必ず草木が覆い茂り、根を張るのですから、それを保ってさえいれば、それほど流れ出すことはないのです。
 問題は駐車場とか歩道でしょうが、車椅子までも考えて一定の舗装はするとしても、全てを雨のあまり降らないヨーロッパ庭園風に変える必要などないのであって、ここにも明治以来の欧化政策の残滓が見え隠れしています。
 仮に舗装するとしてもやりようはいくらでもある訳で、雑石、廃煉瓦、廃瓦と土を併せて施工し草が生え、水が地下に浸透するように施工してコンクリート舗装を必要最小限に限定すれば良いだけなのです。
 やり方にもよりますが、仮にコンクリートで施工したとしても大した強度はないのであり、二、三十年もすれば劣化して廃棄物に成り下がり処分しなければならないのです。
 それよりも、落ち葉掻きや草刈りするとしても、枯れては生え、毎年、毎年、新たな葉を蓄え、日差しや雨を和らげる木の覆いは永遠にもつのです。
これは、歩道、公園、駐車場、壁面、川端など全てに言える事で、コンクリートの覆いなどは必ずしも必要無題.pngはないのです。
最近では木製(間伐材)のブロックもありますので、歩行者に辛い歩道、道路を改良することは決して難しくないのです。
 そもそも、アスファルトは熱容量が大きく、昼間蓄積された大量の熱を保っており、夜間にそれが放出されることから周囲の気温は一向に下がりません。
ホームレスはこの事を知っているので、道路で寝るとしても冬場はコンクリートよりはアスファルトを選ぶのです。
 道路構造令、河川構造令、建築基準法、その他の補助金の規則など、一切は人間が決めたものに過ぎないのであり、どのようにもなるのです。


道路で働く人々に人権を


真夏の道路作業ほど辛い仕事はないでしょう。

この炎天下で行われるアスファルト舗装の作業に至っては五〇度にも上がるそうですから、その辛さは想像を絶します。
 いつも思うことですが、ひところ二十代の税務署長などの"馬鹿殿教育"の見直しが叫ばれたことがありましたが、国土交通省の新米キャリア官僚に現場の実態を教えるためにも、道路舗装の交通整理でもさせてみてはいかがでしょう。
 無題.pngまず、数分でノック・アウトとは言わないまでも、まず、一時間とはもたないのではないでしょうか。
 かく言う私も、昔は、夏の炎天下の釣りもやってはいたのですが、十五年ほど前から夏場の数ヶ月は釣りから完全撤退しています。
面白いならばいざ知らず、くそ面白くもない炎天下の交通整理などできるはずもありません。
実際、この辛く危険な仕事を良くやれるものだと感心も驚きもしますが、まず、労働基準法には完全に抵触するでしょう。
 気象台によって伝えられる最高気温といったものは、百葉箱の中で直射日光が当たらない高台のある程度緑のある場所である事が普通ですから、直射日光が当たり、排気ガスと、コンクリートなどからの照り返しに曝される破壊された環境の路面とは全く異なるものなのです。
 歩道までも不必要にアスファルト化された真黒な路面で作業する土木作業員、交通整理要員にとって、雨や強風はそれこそ天の恵みに思えるでしょう。
まず、現実の地表温度、体感温度というものは五〇度を越えているはずであり、人権の面からも炎天下の日昼での作業は禁止し、原子力産業なみの危険業務として短時間、短期の交代制、作業中でも頻繁な交代制を敷くべきでしょう。
 最近は交通渋滞を避けるためと称して長延長、長時間の夜間作業が行われていますが、実際には作業員が対応できなくなっている事が反映されているのではないかと思うばかりです。


閑話休題 “永遠に続く道路工事による通行制限”


リストラの蔓延と、失業者の激増、それに引き続いて発生している「大量の自殺者」、「家庭崩壊」、そして新たな問題としての若年労働者の未就労(フリーター、ニート、プワー・ホワイト)の拡大。
 とりあえず生きていけている人々は自らの幸せに安堵していますが、その彼らも実は極めて脆弱な基礎の上で生存していることに既に気づいていて身の細る思いをしているようです。
 これほど民衆が苦しんでいるにも拘わらず、首都には摩天楼が立ち並び、地方といえども多かれ少なかれその手の無意味な建造物が甍を競い合っています。
 戦乱の中での話ですし状況は全く異なるのですが、応仁の乱期、京都の民衆も犠牲になっていました。食うものに事欠きバタバタと餓死していました。しかし、この前後、足利将軍は唯の別荘としての金閣寺、銀閣寺を造営し能や和歌に熱中していたのです。その間、巷で何人が死のうが、全く気にさえしていなかったようです。
 そもそも、この頃までは、「領有」という考えはあっても、「施政」といった考えは全くなかったのであって、当時の守護、地頭といったものに「経済をどうするか」とか、「民衆の生活をどうすればよいか」といった観念は全くありはしませんでした。
一人将軍義政だか義満だかを非難することはできないのかもしれません。
 「お上が悪い」とか、「御政道がなっていない」といった考えは、おそらく江戸期の幕府誕生以降のことであって、この頃までの政治権力には、およそ「治世」といった感覚はなかったようなのです。
 とすると、彼らは何をやっていたのでしょうか。
それは単に富を収奪し、消費していただけだったのです。
結局、当時の権力の本質はそれだけだったのであり、簡略化して言えば、他人の生み出した富を強奪していただけだったのです。
 では、現代の権力はどうなのでしょうか。
例えば公共工事といったものがあります。確かに、必要不可欠なインフラとしての道路の補修や水道管路の補修=メインタナンスといったものは、それが「適正」に行われる範囲においては民衆のためのものとも言いうるでしょう。
 しかし、必ずしも「適正」に行われているわけではないということは、誰もが既にご存知のとおりです。もはや公共工事の九割方が談合によるものであることは、「誰もが知っていて、知らないことにしているだけ」の公然の秘密でしかありません。
従って、全く必要のない余った予算も決して国庫に返還されることは無く、地元浮揚の美名のもとに完全消化を前提に地場の土建屋どもに流し込むだけの不必要な事業が行われ続けてしまいます。
というのは、それを受け入れ浪費する構造が既に強固にできあがっているからです。
その構造と無関係には中央も、地方も権力が存在できなくなっており、当然にその構造の不断の増殖に使われてしまっているのです。
 道路舗装という、ドライバーならば誰でもが疑問に思う公共工事が存在します。
本来、舗装工事というものは、車が安全に通れるように、通り易いようにするために行われるはずのものです。
しかし、現状はどうなっているかというと、必要性とか合理性とかいったものとは無関係に舗装計画が立たてられており、予算は前年と同程度であり、当然の如く決まりきった業者が受注し続けていくことになっているのです。
これは、事実上、土建屋の固定給といったものに相当します。
さらに言えば、前年と同程度の予算であれば、工事による渋滞は前年と同程度であり、そもそも安全にスムーズに通行できるように維持管理工事が行われるべきであるのに、目的と手段が入れ替わってしまっているのです。
 笑い話があります。「なにゆえ舗装工事が繰り返されるのかというと、それは舗装工事をするからだ」というのです。
つまり、全国で道路工事用の大型ダンプトラックや重機運搬車両が通るからこそ舗装が痛み、何度もやり替えなければならないのであって、無駄な道路工事をしなければ、舗装工事もこれほどのピッチでやり替える必要もないのです。まあ、これは冗談の類ですが。


まだリゾート開発の方がましだ


 ドライバーにとって腹立たしい限りの通行止めというおまけまで付いた道路舗装という永久に続く公共事業がありますが、恐らく過剰にせしめた予算を完全に飲み込む構造が成立しており、舗装の改修など必要性がない道路が工事に回され続けているのです。
 まだ、この手の事業は新たな環境破壊を伴わないだけがましなのです。
 公共事業をこの手の維持管理事業に限定し、本当に必要なものだけを必要経費だけでやって行け、恐らくこの手の事業に対する経費は半減から三割程度までには削減できるはずですが、問題は永久に延び続ける、新幹線、高速道路、一般国道の改修、ダム、港湾工事、砂防、林道建設・・・の方でしょう。
リゾート開発の方は経済原則が貫徹していますから、儲からないとなると、ディベロッパーは直ちに撤退し、その時点で事業は止まるのですが、公共工事の方は、儲かろうが儲かるまいが、役に立とうが立つまいがお構いなしなのです。
結局、リゾート開発の方がましだと言えるのです。
 既に、土木に関する公共事業費を削減し、本当に必要な部門への投資が必要になっているはずなのですが、いまだに土木工事は永久に続く勢いにあります。
 このような不必要な土木工事を止め、本当に必要な事業に予算と人的資源を再配置することが要求されているのですが、最も必要なのはそのシフト変更の振り向け先でしょう。
 まず、ダムに堆積を続ける土砂の改修による採石、採砂の削減、減反田を利用した自然型遊水地の建設、コンクリート護岸をビオトープ・タイプに変える、針葉樹林を処分して広葉樹林に変える・・・といった事がありますが、まず、事務方官僚や技術のない技術系職員の再配置の問題があります。
彼らは元々生産的な労働に就いている訳ではなく、税金に寄生しているだけであって、そもそも役に立っているわけではなく、仮に仕事をしなかったとしても国民が不利益を被ることはありません。
むしろ、仕事を失って困るのはこれまで公共工事にありついてきた建設労働者の方でしょう。私は、シフトの変更が完了するまでの期間(五〜十年)は、民間の災害救助隊といった組織
に再編成し、新たな職業訓練を行いながら三割(兼務)〜六割(専属)程度の所得保障を行えば良いのではないかと思います。
 過剰労働力の産業再配置は急務であり、くだらない土木工事を繰り返している余裕は一切ないはずなのです。


土日になると降ってくる雨


ひところ、"土日になると雨が降る"といったことが言われていました。
私も日曜釣師の端くれでしたから、雨や風には敏感でいつも気をまわします。
被害者意識も手伝ってか、確かにそういった実感を持っていました。
ただし、今ではそれさえも狂ってきたといった気がしています。
 この、"土日になると雨が降る"という、にわかには信じられないような話は、気象予報士などの間で囁かれていたもののようですが、もちろん大都市ばかりではなく、地方の都市部にもあてはまるものと考えています。

当然ながら本来の自然現象ではないのです。
 一般的に人間の活動は週単位で行われます。
土、日、祭日に働かされる人間が増えているのは事実ですが、通常、産業活動は月曜から金曜にかけて行われ、その結果、雨さえなければ大気中の浮遊粉塵量が最も増加するのが終末になると考えられるのです。
 昔は風呂も煮炊きも暖房さえも薪に頼っていたのですから、大気中には煙が漂い、それを凝結核として風の無い日は朝霧が良く出たものです。
もちろん今はそのような優雅な風景は過去のものです。
 最近は工場のばい煙(この言葉も死語になりつつありますが)も減っていますから、現代の凝結核とは、さしずめディーゼル車などの排ガス粉塵になるでしょう。
 その大気中に漂う粉塵量が最も大きくなるのが週末だとすると、週末になると雨が降りやすくなるのは良く理解できるのです。
一旦、雨が降れば、雨とともに大気中から粉塵が地表に洗い落とされるのですから、再び浮遊粉塵が蓄積されるまでは雨が降り難くなるという訳です。
これが科学的な分析であるかどうかの判断は読者にお任せするとして、この現象さえもどうやら消えつつあるのではないかと思うこの頃です。
もはや都市ではいくら凝結核が供給されても、そもそも雨になる水が下水道管で持ち去られ、地表には存在しません。
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なけなしの都市型豪雨さえも国土交通省の愚かな政策のもと、全てが下水道管で持ち去られ雨樋と化した都市型河川で海に棄てられています。私には国土交通省は気が狂っているとしか思えません。
 何度も言って失礼ではありますが、土木をやろうとする人間は理工系とは言っても物理や化学が分からなかった連中なのではないかと思わざるを得ません。彼らは結局、ヒート・アイランドの発生する仕組みなど理解できていない土建屋上がりの地方議員と同程度の頭なのではないかと・・・。だから"打ち水大作戦"などといって無意味なパフォーマンスに下水再生水を配ったりしているのではないかと・・・。


都市型集中豪雨


 都市型集中豪雨が目立ち始めたのは、二十年ほど前からだったでしょうか?

二〇〇六年八月下旬にも大阪の豊中で時間雨量一一〇ミリという都市型の集中豪雨が発生しましたが、この水がどこからやってきているのかを考えていました。
砂漠に雨が降らないのは砂漠の表面に水がない事が一因ですが、既に、都市もその表面から水を失っているのです。
豊中は大阪北部丘陵の比較的緑の多い場所であるのは事実ですが、どうもそこの水をかき集めて降ったとは考えられません。
 都市は熱せられ上昇気流が発生します。
しかし、乾燥しているためになかなか雨にはなりません。ただ、あまりに熱せられ巨大な上昇気流が形成されると、周辺の農村部などからかき集められた水分を多く含んだ空気と海から送り込まれる湿った南風無題.pngとが一気に押し上げられ巨大な積乱雲が形成されて都市型豪雨になるのです。
これは水を含んだ竜巻のようなものですが、この大雨も都市住民からは忌み嫌われているために、いち早く排水され海に押し流されてしまいます。
結局、都市の乾燥化を防ぎ次の雨を準備する材料にはならないのです。もはや、国土交通省を叩き潰さない限り、豊かな自然が傍らにあった時代は戻ってこないでしょう。


内水氾濫


下水道による生活廃水の地中化が都市の乾燥化と気温上昇に関係している事は既に述べましたが、なけなしの雨水さえも地下放水路に流し込み、川そのものに蓋をするといったことによって乾燥化した都市のさらなる乾燥化を推し進め、気温上昇に歯止めが掛からないものにしているのです。
現在、国土交通省によって進められている事業にヒート・アイランドを抑えるものは聴いたことがありません。
自分たちの罪科に自覚が無いことから、今後も、彼らによって都市環境の破壊は最終段階まで進むことでしょう。
無題.pngの中で発生する都市型集中豪雨によって雨水が一気に河川に流れ込み、水位も一気に上昇するために雨水が逆流するのですが、これを彼らは内水氾濫と呼んでいます。
結果、地下水道の空気圧が一気に上昇し、空気銃のようにマンホールの蓋が飛び上がる現象が続発しているとも聞きますが、まさに、都会は国土交通省によって破壊され尽くした結果、このような怪奇現象が起こるお化け屋敷と化しているのです。


カナートとしての上水道を考える


中央アジアなどの乾燥地帯にカナートと呼ばれる地下水道、地下灌漑施設があることは有名です。

オアシス農耕民は延々とトンネルを維持し命の水道を守っているのです。
 では、なぜ彼らはトンネルを掘ってまで水道を地下に持ち込んだのでしょうか。
もちろん地上に水道を造っても直ぐに砂に埋まるばかりか、直ぐに地下に浸透し残った水もすぐに蒸発してしまうからです。
水の絶対量が不足するどうしようもない乾燥した土地ではこのような水道を造る事しかできないし、それこそが正しいのです。では、日本はどうでしょうか、周りに多くの水があるにも関わらず、水道は時として百キロ以上も離れた場所から供給されているのです。
 本来、上水道が建設された背景には大規模な都市化があったのです。
いち早く水道を造った(最も早いのはモヘンジョダロでしたか)ローマも延々と水道を造ったのですが、基本的には水の絶対量が不足していたからでしかありません。
 日本は伝統的に農業国家であったために水を得やすいように分散して居住してきたのでした。このため、上水はそう遠くない周りの里山から獲得し、同じく周りの水路に流してきたのです。
 私は三十年ほど前に熊本県の人吉に近い山村の集落(旧球磨村一勝地)で五右衛門風呂のある農家に泊まった経験がありますが、朝起きるとタオルを渡され家の裏の水路に行くように言われました。
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裏に出るときれいな用水路が流れており、そこで顔を洗い歯を磨いた事がありました。
 このように、一九八〇年代においてさえ上水と下水が一体の場所が残っていたのです。
もちろん、これを普遍化せよなどと言うつもりはさらさらありませんが、比較的水に恵まれている日本においては、可能な限り水は周辺で調達し周辺に還元するべきであり、上水道、下水道を文化的と考えるのはそろそろやめるべきだと思うのです。
 本来、水は使用した人間がその場で浄化して川に戻すべきであり、各々に複雑に汚された水を全部まとめて処理しようとするなど不可能な上に効率も悪いのです。
天水を利用するなど、徐々に広域下水道を廃止し、小さな単位での処理水を川に戻すべきであり、上水道と言えども使用した人間にその場で処理させ、循環させ、極力廃止する方向に向かうべきなのです。こうして、上、下水道の廃止の延長に水循環、熱循環の復元が望めるのです。


閑話休題 百パーセント地下水で上水が賄える町にまでダムの水が使わされる


水前寺公園で有名な熊本市が地下水に恵まれ水道水を地下水で賄っていることは知られていますが、福岡県の筑後地方にも、現在なお水道水を百パーセント地下水に依存する町があります。
 ところが、上水利用がダム建設の理由として無理やりねじ込まれ(将来は必要になる可能性があるからという口実)たことから、ダムの腐水を利用せざるを得ないことになっているのです。
 欲しかったのはダム建設という公共工事でしかなく、決してダムの腐水などではなかったのですが、ダムの誘致のためには、ダム水を受け入れ、多くの負担金を払わせ、地下水で十分満足している住民に水道料金を加算することにしたのです。


高台の岩場


住居をどこに構えるかという事を考えた場合、百姓の目から見た好地は決して高台の岩場などではありません。
例外的に宮崎県の高千穂町、日之影町など崖地の上に集落をつくる場合がありますが、これは作物(概して雑穀)への日照を重視したからです。
この場合でも背後に豊かな里山があり、水の確保には問題がなかったからでした。
 近年、高台(往々にして重要な里山)を破壊し、○○ケ丘、○○台といった醜悪な名の付けられたにわか造成地に集まって住む向きがありますが、一頃前までの稲作農耕民の目から見た場合、そのような土地に家を建てた者は笑われてしまった事でしょう。

 百姓にとっての住宅好地とは、背後に豊かな里山が控え、住居の補修に必要な資材(竹、蔓、木材、土)や飲水、燃料(薪、落ち葉)の確保に困らない土地であり、かつ、通作距離の短い場所に求めたものだったのです。 
 土建屋系議員などが好む眺望だけが売りの豪邸が造られる高台といったものは、およそ住み着こうなどとは考えもしなかった所であり、取引価格としても非常に低いものだったのです。
このような感覚で都市を見た場合、六本木ヒルズなどといった高層ビル群は、こと、古老の百姓の目には「どうしてあのような場所に住もうとしますかなあ」というものになるでしょう。
当然ながら、もしも停電したら水、食料、燃料の調達から、廃水処理さえも直ちに困窮し、地上に降りる事さえできなくなってしまうのです。
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停電を短時間のものと考えるのはイメージ、想像力の欠如した人間と言うべきで、文明への奢りの謗りは免れないでしょう。
そこまで都市文明が磐石なものと考えるのは誤りなのです。しかし、高層ビルはことヒート・アイランドの側面から見れば、風も通り、比較的快適との話は聞きます。
 大災害、暴動、内乱、戦争、巨大津波、エネルギーの高騰、放射能災害(これは都市、農村に関係なく破綻に導きますが)など、都市化の行き着いた先が高層化であり、耐えがたいまでのヒート・アイランドがその先に控えているのだとすれば、結局は高層化によって生み出された空地を緑化し、複林化していくしか方法しかないのではないかと思うのです。
 こと、ヒート・アイランドの側面から都市を見た場合、普通は人が住み着かなかった場所の崖地にまで人が住み着き里山を破壊した事、水と里山を大切にした農業を捨て去り異常な空間を形成した事、水を遠いダムから水道管によって配るものとしてしまったために川をただただ雨水を吐き出すためのものと考え、あまつさえコンクリートで覆い、地下放水路にまで変えようとしている事の延長に現在のヒート・アイランドという=大規模な境破壊も存在しているのです。


国土交通省によって破壊された大都市をどう再建するか


@) 屋上緑化、壁面緑化


これは技術的な問題よりも、「いつまでにどの程度義務付けるか」といった問題でしかありません。
既に技術は完成しているのです。

草花程度なら直ぐにでも可能でしょう。「打ち水大作戦の大間抜け!」で書いた簡易屋上張り水と併用しても良いのです。
 無題.png個人で始めるとしても、屋上に使用済み紙おむつ(植物への第一段階の栄養はこれで十分でしょう)などを敷き詰め、その上から砂や泥や小石を少しづつ敷き詰めるだけで完成するのです。
 問題は、泥の流出と排水口の目詰まりでしょうが、少しずつやるとか、排水溝を取り囲むように浅いプール(沈砂池)を施工すればこの問題は解消できるでしょう。
 いずれ水草などが生え、トンボが卵を産みに来るようにもなるはずです。
 問題は、樹木が植えられるかです。
 もちろん、吹きさらしの屋上ですから、木が成長して台風などで落下するような事態は許されるはずがありません。
 その場合は、ビルの外郭の枠を義務付ければ対応できるはずで、土壌の深さを制限さえすれば、それほど大きな樹木に成長するはずはないので盆栽の大木と同じなのです。
 壁面緑化はそれほど簡単ではありませんが、蔦を這わせるぐらいはすぐにでも可能でしょうし、保水性のある壁面緑化技術はある程度確立していますので(ミラクル・ソル工法でしたか、垂直の壁面でも対応が可能になるのです)、一般住宅や小規模ビル程度にはすぐにでも対応できるのです。


A) 道路を造り変えろ


 道路舗装を透水性のものに変えていく傾向が一般道路でも認められますが、これは雨天でのスリップ事故対策といった話に過ぎず、ヒート・アイランドに対してはほとんど効果がありません。なぜならば、吸い込まれた水は底で受けられ、道路側溝に落とされているからです。
 ただし、これでも多少は道路側溝に落ちる排水嵩を調整することによって、いくらかの効果を得る事は可能ですが、本来は少しでも地下の地盤に浸透させる(逆に地下の地盤から水が引き出せる)事が重要なのです。ただ、応用は可能ですから最初から否定する事は止めておきましょう。要はやりかたなのです。
 道路舗装については、路盤以下に雨水を浸透させると水道(ミズミチ)が生じ、陥没事故が発生するために透水性舗装を敬遠する向きもありますが、これも発生頻度の問題なのです。
ヒート・アイランド対策のためだけならば、路盤以下には手を着けずに、紙おむつ用の素材やスポンジ状の合成樹脂(吸水性ポリマー)を敷き詰めても良いですし、陥没しないようにワッフル構造やハニカム構造にしても良いのです。
 これまで透水性舗装は強度が問題だとされて普及が遅れてきましたが(私は本当に強度が低いかどうかよりも既得権の問題と理解しています)、現実には舗装し直さなくても良いものまでもが、工事が行われ、配分される予算を完全消化し道路舗装企業(大体、大手地場の別会社や子会社なのですが)に吸い込まれる仕組みになっているという話が聞こえてきますので、所詮は屁理屈の類に過ぎないでしょう。
 歩道の方は陥没事故の心配も車道ほど気を使う必要はありませんし、強度などさらさら問題になりません。
それに、歩道の舗装し直しなどほとんど不要だからです。それ以前に、本当に舗装が必要かどうかさえ疑問なのです。
まず、街路樹のある歩道は、地下に水が入るようにもっと地面を大きく開くべきでしょう。
また、煉瓦や瓦や石畳と土とで施工し、草の生える部分を増やしても構わないのです。ジョギングやウォーキングで歩く人間が夜間にシフトしているのも、暑さを敬遠しているからで、硬いアスファルトを歩くよりも土や草を踏んで歩きたいはずなのです。
 また、歩道を路面と同じ程度の高さに施工し、車道に降った雨を歩道の中に引き込み、滞留型の小河川を造っても良いのです。これだけでも道路は人間にとって潤いのあるものに変わるはずなのです。
 そもそも、なぜ歩道を車道より上げてきたのかを遡れば、明治以来の市街地の歩道整備がヨーロッパを模範とし、その猿真似から始まったものが、戦後も意味もなく続いてきただけの話でしかないのです。
ヨーロッパの街中の歩道が路面よりも高く施工された理由については諸説あるようですが、トイレットが完備していなかった時代には道路に面した建物から人糞が投棄される慣行があり(もちろん馬車が主流であった時代ですから馬の糞尿はあたりまえだったのですが)、雨が降るとぬかるんで道を歩く事がほとんどできなかったために歩道を高くせざるをえなかったと言われています。
本当かどうかはわかりませんが、ハイヒールの起源もそれが理由という話を聞いたこともあります。
日本では、道路に人糞を投棄する慣行は全く無く、確実に集められて肥料にされていたのですから、幕末に来た欧米人が日本は清潔な都市だと評したという話しさえあるのです。
 現在、都市部に造られた歩道はともかくとして、車での移動が中心になっている地方都市や農村では、登下校の小中学生をのぞいて歩道を歩いている人間はほとんどいませんが、手始めとして観光地を中心に実験を始めても良いのです。
 現在の歩道は既に道路が過剰供給になっている中で、なおも、道路工事を拡大したいためだけの便法として利用されてきたものでしかなく(車道拡幅、四車線化、歩道、両側歩道化と道路工事を拡大させてきた国土交通省も、そろそろ過剰供給になっている事は十分に認識しているはずなのです)、くだらない工事を繰り返すよりはヒート・ アイランド対策としての転換を図るべきでしょう。
 そもそも、ヒート・アイランドの元凶は国土交通省なのですから責任を取ってもらうべきです。


B) 都市の舗装を変えろ


 都市の緑地率が低下している事は言うまでもありません。しかし、手っ取り早くヒート・アイランド対策を行うとするならば道路よりも簡単でしょう。
駐車場やテラスといったもののアスファルト、コンクリート舗装を引き剥がし、廃材や間伐材などで簡易舗装にすれば良いのです。
土と草の部分を可能な限り拡大し、本当に必要な部分だけを舗装すれば良いのです。
 この手のものは、行政機関、学校、公民館・・・といったものから随時行っていけば、十年を待たずしてかなり具体的な効果が見えてくるでしょう。
 この程度の事なら、権限をほとんど持たない環境省に渡しても良いはずで(かつての環境大臣の小池百合子は"打ち水大作戦"ではしゃぐ程度ですから、恐らく事の重要性については全く理解していないのです)、補助金で自発的に行わせるか(民間企業の敷地の舗装について新規は法で規制し、既にあるものは補助金で行っても良いでしょう)、法律で強制するかは国家の選択の問題ですが、予算規模と対策のスピード、時間との戦いでしかありません。
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2021年07月27日

870 景行記の八女津姫とは誰なのか? “八女津媛神社(福岡県八女市)”

870 景行記の八女津姫とは誰なのか? “八女津媛神社(福岡県八女市)”

20201106

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


福岡県の現八女市に八女津媛神社があります。それこそ急峻な大渓谷に造られた日向神ダムを越えさらに山中に分け入った場所にある神社であることから、「景行記」に登場する有名な神社であるにも拘わらず、実際に現地を踏んだ方はかなり少ないのではないかと思います。

無題.png

10年程前でしたか頻繁に足を向けていた時期がありました。しかし、最近はあまり入ってはいません。

また、この矢部村の地名について講演した事さえもあったのですが、その頃まではこの神社の女神様がどのような素性の方であるかについて全くの見当が着いていませんでした。


「日本書紀」によると、景行天皇が八女の県(やめのあがた)に巡行されたとき、「東の山々は幾重にも重なってまことに美しい、あの山に誰か住んでいるか」と尋ねられました。

そのとき、水沼の県主猿大海(さるのおおあま)が、「山中に女神あり、その名を八女津媛といい、常に山中にいる」と答えたことから八女の地名が起ったと記されています。

八女津媛神社はこの八女津媛を祭った神社で、創建は養老三年三月(719)と伝えられています。

八女の地名の起こりにもなった八女津媛は、弥生時代から古墳時代まで各地の豪族が治めていたクニの、女首長であり祭祀を行なっていた巫女の一人だったと思われます。

この時代は、魏志倭人伝に記されている邪馬台国の女王卑弥呼の様に、巫女の力を持った各地の女首長が、鬼道や呪術といった宗教的な行いによってクニを治めていたのです。

「鬼道」の「鬼」とは、古代では「神」と同じ意味を持っていましたので、「鬼道」とは「神道」と同じことになります。

 無題.pngによる


 いわゆる邪馬台国ファンなどにも景行巡幸に関する話は結構知られており、八女ツ姫も山奥深く住む女神としてご存じの方は多いようです。

 ただ、八女ツ姫が居たから八女という地名が生れたのは如何にも乱暴な話で創られた話の類と言うべきでしょう。

 そもそも八女市の中心部にかなりの大型河川である矢部川が流れ、矢部村に八女津媛神社が在る訳で「矢部」と「八女」とは同一の固有名詞である事が推定されそうで、むしろそちらの方からアプローチをするべき問題であろうと考えています。

 これについてはかつて共に調査を行っていたN氏が「八女と矢部」としてこの二つは全く同一の地名であり、呉音、漢音に関わるM音とB音の入れ替わり現象を反映したものであるとの説を出しています。

 それについてはこれ以上触れませんが、何故、山奥に漢音系の「矢部」が地名として成立し、下流の平野部が古くから「八女」と呉音系の発音を残しているかについては、恐らく南北朝争乱期に宮方として蟠踞した五条家が漢音系の発音を好んだ(呉音は全く馴染みがない)ためではないかと考えています。

 今回、何故この神社を取り上げたかと言うと、熊本で神社トレッキングを行なっている2系統の一つのグループのメンバーからこの八女津姫がどのような素性の人であるかの問い合わせが来たからです。

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八女津媛神像


 一般的にはこの半磐座遺跡とも言うべき神社を訪ねられてもこの女神像が出迎えてくれるだけで、何の由緒書もなくなんとなくイメージだけを膨らませて見るものの、実体は掴めず空しく神社巡りをして帰るだけになるでしょう。この点については神社庁も公には具体的な情報を持っていないようで、「福岡県神社誌」にもほとんど記述といえるほどのものがないのです(下記)。

 つまり、八女津媛がこの一帯に住んで居たといったという伝承があるだけだったのだと思うのです。

 ところが、百嶋先生にはこの女神様の素性がお分かりだったようです。

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 それは、百嶋家のご先祖が熊本県の玉名に移動する以前の本拠地が、福岡県八女市の黒木の一帯の相当に有力な家系の方(当然、津江神社:福岡県八女市黒木町今49の社家に近接する一族)であった事から、その内部に伝わる直接的な情報を得ておられたのだろうと思います。

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百嶋由一郎 八女ツ姫神代系譜


 お分かりでしょうか?皆さん良くご存じのニニギの命(タカミムスビの神の息子)とコノハナノサクヤ姫(大山祗の次女)の間に産まれた古計牟須姫(糸島にありますね)と贈る孝安天皇(玉名の疋野神社の主神)の間に産まれた筑後(久留米)の三潴の君の祖武国凝別の娘宇佐ツ姫(ウサツヒメ:ウサツヒコと共に開化の臣下でしかない崇神を神武として装い出迎えたとした)と贈る景行天皇の間に産まれたのが八女ツ姫なのです。

 さらに言えば、ウガヤフキアエズと市杵島姫の娘の下照姫(絶世の美女と言われた)の間に産まれた水沼の県主猿・大海姫(驚くことに女性なのです)こと八女津姫について景行に告げた随行者も描かれているのです。つまり、役者を全て描いておられたのでした。それは、「日本書記」の景行天皇条の話に登場する人物について、地元の神社に伝わる本当の話を回収できる地位にあった家系の方だったからです。

 それは、百嶋由一郎氏の御先祖が女の黒木の有力者の家系であり、後に玉名に移動し大地主となった(明治の所得番付百傑)家系だったからこそ景行の血筋も、八女津姫の血筋も全て把握されておられた事が分かるのです。景行は玉名の疋野神社の主神である贈る(藤原が自らの勢力に取り込むために第5代天皇扱いにした)孝安天皇の子になるのですが、こう言った隠された情報を得られる立場にあったのです。

 従って、景行とは近畿大和朝廷が熊襲を退治するために送ったものなのではさらさらないのであって、未だにこんなことを信じているのが通説派の畿内説論者なのです。

殆ど漫画の世界ですね。勿論、八女津姫が卑弥呼などではない事も言うまでもないことです。

尚、先生のメモに在る八幡古表神社(福岡県築上郡吉富町小犬丸353-1)の美奴売大神については長くなるため別稿とします。

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posted by 新ひぼろぎ逍遥 at 00:00| Comment(0) | 日記