2022年07月24日

スポット 280 ケナフを植えたらCO2が減らせるなどと本気で考えた佐賀県職員 098号再編修20170403

スポット 280 ケナフを植えたらCO2が減らせるなどと本気で考えた佐賀県職員 098号再編修20170403


太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 ひぼろぎ逍遥 スポット084(前)(後) 地球温暖化が嘘である事をNASAが認めた 2017-03-29

5年前の3月に公開しましたのでお読み頂いた方もおられると思います。

 これは、過去二十数年に亘る「CO2温暖化論」という国家的、国際的大嘘、デマゴギーの発信源であったNASAが昨年の夏辺り(当時)から方針を転換したのか、部分的にも真実を語るべきとしたのか、トランプを始めとするネットから真実を知ってしまった人々にある程度は歩調を合わせるべきとの自己保身からなのか…“南極の大陸氷の絶対量は増大しているとの報告を行い、とうとうユーチューブにも公開し、”温暖化によって極氷が減少しているなどといった現象は認められない“と発表している事をお伝えしました。ここまできて、関連報道も増えてきた事から、一例ですが、補足の意味で以下もお読みください。

無題.png

ツバルは脆いサンゴ礁が沈んでいるだけ  海に浮かんだ氷が解けても海面は上がらない(北極は海)


ネット・ニュース 「南極大陸の氷が増えている」は本当か NASAの最新の研究結果が物議、真相は?


 南極の氷は減っているのか、増えているのか。そして、そのことは世界の海面上昇にとってどんな意味があるのだろうか。 

 1130日からパリで始まる国連・気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)に向けて各国首脳が準備を進める中、この問いは世界の気象学者たちの熱い議論の的だ。そんな折、「南極の氷はむしろ増えている」というNASAの気象学者チームによる研究成果が発表され、物議を醸している。

 研究チームは、科学誌「Journal of Glaciology」に掲載された論文の中で、「西南極の氷河質量の減少分は、降雪の増えた東部内陸で氷河が厚さを増したことで相殺されている」と結論を出している。その結果、南極の氷は毎年およそ1000億トンずつ増えているという。(参考記事:「南極の海氷面積増加、その意味は?」)

 論文の筆頭著者で、米メリーランド州にあるNASAゴダード宇宙飛行センターの主任雪氷圏学者、ジェイ・ズワリー氏は、「こうした氷の増加は、毎年の海面上昇幅が従来の予想より約0.25ミリ小さくなることを意味します」と話す。                         無題.pngによる

 ここで、二十年を越え長きに亘って流されてきた“CO2温暖化論”デマ・キャンペーンに完璧に毒されてきた事を改めて考えて頂く為にも、まずは、その最悪の例を佐賀県庁内で行われた真面目な、しかし、レベルの無題.png低い議論が存在した事を再度公開したいと考え、ひぼろぎ逍遥 015 として公開している "ケナフを植えて二酸化炭素を吸収しよう"と考えた佐賀県職員 を再度お読み頂こうと思います。

 本文にもあるように、元々は、200444日付アンビエンテで公開していますので、13年前、3年前以来の再々公開になります。(これも当時)3年前の公開時点当時はアクセス数も少なかったことから改めてお読み頂く必要を感じています。

そもそも、南極大陸は夏でも氷点下30度以下であり、0℃以上にならなければ決して氷は溶けはじめることさえないのです。科学的思考と言うものがいかに重要かという事がお分かり頂けるでしょう。

015 "ケナフを植えて二酸化炭素を吸収しよう"と考えた佐賀県職員 (再掲載)

20131226

太宰府地名研究会 古川 清久


013で山の栄養、山の物質循環の話の中で、「行政も識者もあまり関心を持っていない、もしくは気づいていないようなのです。」と書きました。

これには、無駄な拡大造林をなおも推進める利権構造もあるのですが、それにとどまらず、その背後に、彼らの科学性の欠如があるように思えてならないのです。

これを思わせる好例がありますので紹介しておきましょう。

この小論は、200444日付で「環境問題を考える」のサブサイト、アンビエンテの「有明海諫早湾干拓リポート」Tに書いた、11. "ケナフを植えて二酸化炭素を吸収しよう"と考えた県職員を編集して再度オンエアするものです。

「環境問題を考える」への訪問者の方々ならば、こと"二酸化炭素の増加による地球温暖化という話"が極めて疑わしいものであるということは十分お解りになっていることと思いますが、やはり一般的にはそうではなく、誤りを、それも二重の誤りを繰り返しているのです。

これから紹介するのは佐賀県庁に勤務する友人から教えてもらったものです。前年度にまとめられた県における「職員提案」の一例(従って関係課名は旧名)ですが、相当数の提案の中から特に"重要"とされたものの一つということですので、それなりの評価を受けたものということになりそうです。

ほんの一例ですが、佐賀県(よその県でもほとんど差はないのでしょうが)という行政機構のなかでどのような論議が行われているかを理解していただくために、一目最悪と思えるケースを紹介したいと思います。この他にもかなりおかしなものが散見されるのですが、全てを紹介するわけにもいきません。

ただし、この例も基本的には、所詮「思いつき」程度のものでしかなく、これがそのまま科学誌に掲載できるといった水準にないことは言うまでもないのであって、このことは当の本人から担当部局もそれなりに理解していることでしょう(?)。とりあえず「改革派」知事の登場によって、"職員のやる気""創意"とを引き出すためのパフォーマンスが開始されたといったところなのですが、所詮、これらに合流するのは一部の暇な職員であり(現実的には、教育を受けた若手ほど毎日不毛で繁多な実務に追われており、事実上参加する余裕などないはずなのです)、参加者の中にも功名心や自己の評価を求める職員や管理職に近づきもはや実務の必要がほとんどなくなった職員の「ひまつぶし」に近いものもかなり含まれていたことでしょう。

番号12 区分 政策提案 題名 有明海再生と地球温暖化防止策についての提案


提案内容


 地球環境の問題の一つとして二酸化炭素による地球温暖化がある。地球の温暖化が進めば、気温の上昇、海水温の上昇、それに伴う海水面の上昇が生じる。現在でも東シナ海の潮位が10cmほど上昇しており、地球温暖化が一つの原因と考えられる。

 また、有明海の潮位も上昇しており、さらに潮汐が弱まったことに、少なからずとも影響があると考えられる。これらの潮位の変化が、有明海の潮流の変化をもたらし、潮流が弱くなったことに事に伴い有明海の循環が弱まり、土砂の堆積や富栄養化が進んだ原因の一つと考えられる。

 そこで、二酸化炭素を削減する方法を提案したい。それは休耕田に一年草のケナフを栽培し二酸化炭素を光合成により酸素に変えて、二酸化炭素を削減する方法である。

 ケナフは、一年生で、4m程伸びる草で、二酸化炭素をよく吸収するということである。また、ケナフは、紙(自然素材)に利用されており、近年重要視されており、この後需要が見込まれる。

 今後、ケナフ栽培による二酸化炭素の削減の研究、検討が必要で、効果が良ければこの対策を推進したい。


関係課 環境課、農政課 関係課意見


・二酸化炭素削減のための研究テーマとしては、一定の評価はできると考える。

・紙以外の多量のケナフの有効活用方策を含めて、研究する必要がある。


※ 資料は佐賀県庁に勤めている(た)友人からコピーを貰ったものです。ほとんど漫画ですね。

もちろん「環境問題を考える」の読者諸氏にとっては、この"提案"ばかりでなく"提案への関係課の意見"についても"明瞭な誤り"があることに気付かれるかと思うのですが、この種の話が大真面目に議論され大手を振ってまかり通っているのが(恐らくどの県でも同様なのでしょうが)、現実の県という行政機関の科学性なのです。最低でも理工系の大学生ならずとも少し考えれば分かるはずの事でしょう。

ただし、県職員ともなるとそれなりに市町村その他を指導する立場にもあるわけですから、一定程度の「科学的水準」「知的水準」が要求されるはずなのですが、現状は余りにも絶望的であり全く期待できないことを示しています。

県職員にも理系(技術系)の職員もいるのですが、事務系が多く(私もそうですので偉そうなことは言えませんが)無理からぬことと言わざるを得ないかもしれません。

しかし、「技術立国日本の落日」を示す象徴的な一例にも感じてしまいます。

ただし、高額の給与をもらい時間的な余裕も与えられているわけですから、県民への義務として最低限の努力と一定の水準だけは保持してもらいたいものです。

 もうお分かりでしょう。この"勇気ある"=度胸ある(?)提案者は、"ケナフの成長によって一次的に吸収された二酸化炭素がそのまま永久に固定され続ける"と考えていたのでしょう。ただの恥晒しかも。

 言うまでもなくケナフは一年生の草本です。熱帯雨林に生きる50メートルの高木ならば数百年、縄文杉にいたっては数千年近い長年月にわたって炭素を固定するかもしれません。しかし、巨木といえども朽ち果てるものであって、いつかは""その他に分解され、その過程で当然にも"二酸化炭素"を放出することになるのです。ましてや一年生のケナフに二酸化炭素を数千年単位で固定することができないことは説明の必要はないでしょう。枯れれば様々な分解過程に入っていきます。まさか刈り取ったケナフをそのまま腐ることもなく干拓地に積み上げ続けていくなどとは考えていないのでしょうから。

 雨が降れば枯れた葉は腐るでしょうし、コストを無視して無理やり役にも立たない不必要な""(リサイクルに廻わされた牛乳パックも同様)にされたとしても、結局は短期間で焼却され二酸化炭素を放出するしかありません。それどころか処分に困り果て、刈り取られることさえもなく燃やされてしまうぐらいが関の山でしょう。唯一、提案者の"希望的観測"を受け入れる余地があるのは、ケナフが湿地で泥炭化(炭化)する場合ぐらいでしょう。この場合だけは炭素として長期にわたって固定されることになるのです。

 結局、モンゴル高原やチベット高原において、夏季には草が生茂ることによって二酸化炭素を一次的に吸収し、冬季にはそれが放出されるといった程度の話でしかないのです。


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栽培されたケナフ(画像はケナフ協議会より)


ともあれ、「炭素循環」(二酸化炭素の循環)は非常に複雑であり、正確に量計的なカウントができる段階には至ってはいないといわれています。

ただ、一年生の草本に「二酸化炭素を吸収させ温暖化を防止しよう」という提案について、仮に百歩譲って「二酸化炭素の増加が地球温暖化の原因だ」というペテンを認めたとしても、あまりにもひどい誤りであって全くの空振りでしかなかったのです。

お粗末なのは「一定の評価はできると考える」とした環境課、農政課の認識ですが、"提案者が有力職員であった"といったことが背景になった共同体的思考の反映なのかもしれません。ともあれ世間の常識からは「税金と人的資源と時間のムダ遣い」と言われても致し方ないでしょう。    20040404


十分にお分かりになったと思います。既に、クライメート・ゲート事件によって、CO2温暖化論が誤りであることも、また、CO2濃度が削減されていないにもかかわらず、ここ数年温暖化していないことも全世界的に明らかになっています。ただ、それにもかかわらず、CO2削減を主張しているのが全世界で日本だけとなっているのです。

温暖化とCO2は無関係なのですが、仮にCO2を削減するとしても、ケナフでCO2が吸収できると考える程度の頭しかないのが現実の佐賀県の行政担当者、本庁上層部であることが良く分かったと思います。

この提案を行った職員は、今頃、一般に比べて高い退職金を手にし外郭団体あたりに天下りしていることでしょうが、皆さんは本当にそれだけの厚遇を受ける価値があったと思われますか?

言うまでもないことですが、我々は、十五年前(当時)から、CO2温暖化論に対する批判を続けてきましたし、この文章も十年前に書いたものなのです。

CO2温暖化論は全くのデマであったことがようやく一般にも通用する時代になったことだけは、多少とも歓迎できるのですが、始めから分かってデマを流す連中に対して、地方の行政担当者の科学的水準の低さには驚かされ続けています。

私たち(近藤、古川)は、CO2温暖化論は誤りどころかデマであると考えていましたので、いずれ寒冷化が始まった段階で馬脚を現すことになるだろうと話し合っていましたが、どうやら、温暖化が止まったことも明らかになりはじめました。

そして、それより前にクライメート・ゲート事件で捏造が明らかになり、自滅してしまったようです。

ただ、今年の夏(当時)が異常な暑さであったことも事実です。これには都市のヒート・アイランドが絡んでいるのです。関心をお持ちの方は、当方の「打ち水大作戦の大間抜け」を検索してお読みください。

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無題.png今回は、「打ち水大作戦の大間抜け」から「熱河」と4本のスポット版を掲載しましたので、切り良く本稿を再掲載し、バン対策、搔き消しに事前に対応しようと先手を打ってアップしました。

確かにケナフの一時的なCO2吸収量は多いかもしれません。だからと言って物質は永久にそのままの形で存在し続ける事はありません。ケナフが枯れて、腐って、燃えて、加工されて…と言う次のステップに進めば、燃えても腐ってもそのステップからはCO2を大気中に放出することになるのです。

その時には他の吸収率の低い植物の7倍の規模のCO2を放出するだけの事なのです。

無題.png冒頭で取り上げた佐賀県職員様もこの7倍と言う吸収率に驚きはしゃいでしまったことがお分かりいただけると思います。

それが、泥炭化する以外の期待は持てないと申し上げた理由だったのでした。このように幹部職員の思い込みだけが幅を利かせる様になると、実にとんでもない結果をもたらすことになる事が分かるのです。

ただ、現在のCO2温暖化論はそれ以上の悪意あるデマであり、あの嫌な顔をしたグレタ・トゥンベリなどと言う知識のない癇のする娘まで利用し、化石燃料を燃やせば良いだけの事を中国共産党だけが金儲けができる太陽光発電などのために大嘘が流布されるCO2温暖化論など叩き潰すべきなのです。

それどころか、CO2を削減するためにとの触れ込みで、もたらされた再生可能エネルギーとかで騙された民衆が酷い目にあっているのです。

風力発電と太陽光にシフトした結果、2122年の冬風が吹かず風力発電ができず、普通の5倍もの電力料金を払わされたオランダ、太陽光パネル設置によって破壊された景観、それどころか、熱海温泉の太陽光発電業者が引き起こした土石流災害によって多くの人命が奪われるという愚かな事が起こっているのです。

世界最高水準のコンパウンドリサイクル発電、最高性能の火力発電の技術を持つ日本が、何故、太陽光発電で酷い目に合うかは、売国議員共が中国の安物の太陽光パネルを買って中共に尾を振っているだけのことなのです。橋本〇(中国国営企業上海電力の大阪港への誘致)、小池●●●(東京戸建て新築太陽光義務化案…)…と愚かな政治家と愚かな官僚とが日本を最終的に売り飛ばしているのです。

小泉、竹中、橋本、小池、そしてそもそも太陽光発電の制度をドイツのメルケルの5倍の単価で電力料金から掠め取るというとんでもない仕組みを造り出したのが、あの民主党政権下の管と孫だったことをしっかりと頭に刻み込むべきなのです。

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2022年07月11日

新ひぼろぎ逍遥スポット277 新版)打ち水大作戦の大間抜け “国破れて山河無し列島を破壊し尽くした国交省と農水省”

新ひぼろぎ逍遥スポット277


新版)打ち水大作戦の大間抜け “国破れて山河無し列島を破壊し尽くした国交省と農水省”

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古川清久(元自治体職員)2013091420220608再々編集版


再び「環上の雲」続き


もしも、環状(環上)の雲から本当に雨が降るのであれば、悲しい話ではありますが、都市の人間は、渋滞し低速で走る高速道路に感謝しなければならないのかもしれません。

このように、大都市の水循環は既に空から降った雨が蒸発して雲になり、再び、雨となって地表に戻され、その循環過程の中で熱を上空に放出するという普通の水循環、熱循環が崩れかけているのではないかという事も考えておく必要があると思うのです。

既に、大都会で大雨が降ったとしても、その水は国土交通省によって雨樋化された直線河川によって一気に海に送り出され、大雨が上がれば地表は直ぐに乾燥化するような世界に変えられてしまっているのです。
このため雨水は大都市の上空に雲を生み出す水の供給源とは言えなくなっているのではないのかも知れません。

その一つが、奥多摩などを起源とする水を地下の上水道管などで受け取り、消費した残り水の大半を下水として地下の下水道管に流し込み、雨が降っても巨大地下放水路や下水道管に送り込んでいるのですから、既に大半の食材からミネラル・ウォーターに至るまで、大都市では自ら何も生み出せないのであり、遠く離れた土地の水が大都市の人間の汗や息として雲になっているのではないかと考えることは、あながち誤りとも言えないのです。

してみると、環七、環八に掛かる環状の雲、つまり環上の雲とは大都市の縮小した水循環の最後を象徴しているように思えてくるのです。

このような愚かな国土にした連中は国民に土下座し謝るべきなのですが、いまだに悔い改めそうにはありません。


消えた夕立


こんなことは三、四十年前までは全く無かったことですが、夕立が極端に減っていることと、ヒート・アイランド現象は確実に対応しているように思えます。
夕立が降らないと地表は冷やされず、夜も全く気温が下がらず熱帯夜が続いていることも、大半はこれが原因でしょう。
では、なぜ夕立が減っているのでしょうか?言うまでもなく地表の保水力が失われ、私は、表層水と呼んでいるのですが、地上に滞留する水の絶対量が減っているからに外なりません。
まず、ジャワ島などの熱帯性スコールとは灼熱の太陽によって蒸発した地表の水分が軽くなって上昇し、再び、上空で冷やされ雨となって地表に返されているものなのです。
しかも、減ったとは言え、地上にはジャングルや水田が広がり、常時、水が溜められているために、次の蒸散によって気化熱が奪われ、地上の温度を低下させ、再び次のスコールにバトン・タッチされていくのです。
今や熱帯と化した都市においても、物理法則は同様に働くはずですが、もはや都市の地上には水がなくなっているのです。
無題.pngれでなくとも下水道によって恒常的な水循環が破壊されているのですから、言わずもがなでしょう。

大都市のヒート・アイランド現象はエアコンの廃熱や車の排気ガスなどが原因と考えている人も多いのかもしれませんが、本当に重要な事は都市のコンクリート化や下水道の整備などによって地表から水が消え、従来の水循環、熱循環が破壊され地表の熱が高空に放出されにくくなっているためなのです。
夕立とは言わば上空と地上との間で行われる水のキャッチ・ボウルであり、夕立の消失はボウルそのものの減少の結果でしかなく、大都市のヒート・アイランド現象とは都市の乾燥化によってもたらされた夕立の消失と、その結果としての新たな乾燥化であったのです。

結局、都市の乾燥化とは夕立の消失が原因であり同時に結果でもあるのです。

まさしく、夕立の消失は天恵としての最良の排熱(余計な熱の放出)の放出システムの破壊であり、それをもたらしたものこそ、河川の雨樋化と雨水の地中化(地下への浸透なら良いのですが、下水道への流し込み)を推進している国土交通省なのです。


農村のヒート・アイランド


では、農村や地方都市はどうなのでしょうか、実はここでも目だって夕立が減少しているのです。


@ 田畑のヒート・アイランド化


まず、大都市に住む方々があまりご存じない話から始めましょう。
四、五十年前までの農村には、まだ、牛や馬による"荒起し""代掻き"が残っていました。
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しかし、その後のテーラーからトラクターそして大型トラクターの導入によって耕耘の形態は大きく様変わりしたのですが、実は、この機械の導入によって、田、畑は非常に大きく変わってしまったのです。
機械による耕耘は、深くても一〇〜一五センチメートル、一般的には労力と燃料代を軽減するために一〇センチ程度しか耕せません。
牛馬耕の場合は二〇〜三〇センチの深耕も可能であり、事実そのような湿田も非常に多かったのですが、機械による起耕が大半になると、機械を使い易くするために、全国で展開されたほ場整備事業に併せて乾田化が進められたのです。
農家の大半が兼業化するようになってくると、省力化のために用排路は溝浚えや草刈をしなくても済むような三面張りのコンクリートで固めた側溝に変えられ、雨水はたちどころに河川から海に押し出されて行きますし、乾田化を喜ぶ農家もそれを歓迎したのです。 
ほ場そのものも、「田畑の切替ができるように」という振れこみで、コルゲート・パイプを中心とする暗渠排水がほとんどの田畑に施工されたのです。
このため、大半の農地はゴルフ場と変わらないような、非常に乾燥しやすいものに変えられてしまったのです。
もちろん、稲が植えられているのですから夏季は水が張られていますが、既に、減反は三割から四割に達し、耕作放棄の増大もあって、事実上は半減し、日本全体で考えれば、静岡県以西の農地では全く米を作っていないのと同じ状態が出現しているのです。
耕作放棄も進む中、転作田は畑として大豆など植えられますから、乾燥化は一層進んでいるのです。
また、七夕コシヒカリなどっといった、夏季には刈り取る稲まで栽培されていますから、夕立が必要な季節には水が落とされているのです。
その上に、農地の転用などによって耕地面積そのものも減少しているのですから、乾燥化は止まるところを知りません。
恐らく、全国の水張り面積(純然たる水田の面積)そのものは、減反が開始されて以降、全国的ほ場整備事業の完了もあって、それ以前と比較すればほぼ半減していると考えてまず間違いないでしょう。
 このため、農村部や地方の都市部においても河川の直線化、雨樋化は同様に行われているのですから、大都市部と同様の乾燥化が進んでいるのです。

従って、地表が熱せられて蒸発する水蒸気の絶対量が減少し、飽和に至るテンポ、ピッチが落ち、夕立の減少から消失へと突き進んでいるのです。

農村から地方都市においても、夕立による水循環、従って熱交換も破壊されていると考えて間違いないのです。


A 山のヒート・アイランド化  “今こそ人工林を処分せよ!”

変化は、山でも起こっています。

針葉樹林の増加による保水力の減退、砂防工事などによって進む水路の三面張り、不必要な林道工事などによる山林自体の乾燥化(林道の道路側溝は平地まで続く雨樋に等しいのです)により、山林表面の水の絶対量が減少し、山においても水のキャッチ・ボウル(水の循環)が減少していると想像するのですが、私自身が山林に住んでいるわけでもなく、また、都市、農村、山林、海洋での降水量の系統的調査資料などあるはずもなく、推測の域を出るものではありません。

ただ、針葉樹林化による山林の乾燥化、砂漠化という問題は都市部に住む方々には非常に分かりにくいと思いますので、過去何度も書いてきたことですが、多少の説明を加えたいと思います。

自然林(こんなものは事実上存在しませんが)であれ二次林であれ、本来の植生に根ざした広葉樹の山というものは、長年月の間の台風や豪雨、暴風、山火事、地震など、想像できるありとあらゆる災禍を経験したことによって、その山体の傾斜さえも幾度もの大きな崩壊を経てそれなりに安定したものになっています。

広葉樹はオーバー・ハングの急峻な岩場の割れ目にさえも根を張り、垂直の壁にへばり付いても幹を支えます。それに背丈も低く、樹体自体もしなやかであるために、風雨にも強く、広く根を張ることによって水も土も保ってくれるのです。

昼なお暗い手入れのされていない針葉樹林。下草は生えず、ほとんど腐らない杉の葉に覆われているが、根を張る草ではないので土壌を守る力がない。これに対して全く逆なのが針葉樹林です。

本来、針葉樹はシベリアのタイガのような、それほど風も吹かない安定した高緯度高圧帯の平地から緩傾斜地帯で育つものなのです。

そもそも、このような樹種を日本のような急傾斜地に植えることが始めから誤りといえば誤りなのです。

一般的に、造林地は広葉樹の森を皆伐してスギ、ヒノキを植えるのですが(短期皆伐方式)、その傾斜は広葉樹の森であったことにより長年月の間に安定したものになっているものであり、戦後に急造されたような、にわか仕立ての針葉樹林を造るのに適した斜度ではないはずなのです。

根を張らず、豊かな腐葉土も形成しない針葉樹が傾斜地に存在しているだけでも、雨の大半を一気に海に流し込んでいることが想像できますが、実はもっと空恐ろしいことが起こっているのです。

それは、現実に存在している針葉樹林の大半が間伐も枝打ちも行われないために、林の中は昼でも暗く、陽がささない地面(林床)には、草も生えていない剥き出しの表土が広がりその大半が流出しているのです。

この現象は少子化と国民の所得の低下による住宅着工件数の半減と、住宅のプレハブ化によって、輸入された米マツによるパネル工法が蔓延し、現実に、杉、桧を使う在来工法による和風建築が激減する二十〜二五年ほど前から起こっていたのですから、都市の住宅が、ほぼ、鉄とコンクリートとガラスとプラスティックで造られるマンションに移行していることと併せて考えれば、全国の杉、桧はその一部を除いて、三〜四十年前ほど前から材価は劇的に低下し、ほぼ、売れなくなっていたと考えてまず間違いないでしょう。

このことから、七〜八〇年代から間伐も枝打ちも行われないまま、放置されていたと考えられるのです。

この結果、山の土壌は大雨のたびに流れ出し、事実上は石ころ砂漠の上に林が乗っているだけになっているのです。 

砂漠に保水力が無いのはあたりまえであり、山の乾燥化が驚くべき状態にあることは自明でしょう。

無題.pngこのように書くと造林の正当性を強弁する林野庁や林業関係者から反論が聞こえてきそうですが、この問題に対する直接的な説明という訳ではありませんし全く目立たないものでしたが、国も認めざるを得ない新聞記事がありましたので紹介しておこうと思います。


「保水力の調査自然林が優位」川辺川「緑のダム」構想がそれです。「国交省の川辺川ダム計画(熊本県)の代替案『緑のダム』構想を検証するために、同省とダム反対派が共同で実施した林の保水力の調査で、川辺川上流の人工林の斜面を流れる水量が、自然林の約六倍であることが分かった。研究者は『自然林の保水力の優位性を裏付ける』と主張。同省は『雨量全体から見れば差は無視できる』としている。」

(二〇〇四年一〇月二日付け朝日新聞)


今もそうなのですが、行政当局の林野庁は"針葉樹林と広葉樹林の間には著しい保水力の差や地下への浸透能の差は認められない"としているのです。元々は広葉樹の森によって創られ、育まれた土壌を利用して成立した針葉樹林をもって、土壌保持力にも大差ないと強弁してきたのです。

戦中、戦後を通じて禿山化による洪水の急増(激増)によってダム建設が始まり(多分戦前、戦中までは発電用などの利水ダムはあっても、洪水調節用のダムというものはほとんどないと思います)、その後も造林と称して広葉樹を伐採し続けた結果、山のダム機能は失われることになり、洪水が頻発することになりました。

このため、山からの土壌流出は歯止めが掛からなくなり、上流にダムがない水系の河床底では土砂が堆積することによって、逆に、洪水の危険性が増すことになっているのです(国土交通省の見解ではダムによって全国的なレベルでは河床底は削掘によって、むしろ、河床底は下がっているとされているようです)。それはそのとおりでしょう。それだけダムが多いということなのです。

こうして、農水省が自ら破壊した森によって発生する洪水を一時的に止めるために(直ぐに埋まってしまうのですから地場の土建業者に仕事を与え続けているだけなのです)、治山と称して砂防ダムが乱発され、旧建設省もこれを奇禍としてダム建設を常態化させるに至ったのでした。

記事には「緑のダム」構想とありますので、恐らく広島大学の中根周歩教授などが関与されているものと思うのですが、林野庁としては認めたくはないが認めざるを得ない身内から証人が出てきたような思いでしょう。

私の目からは、現在の林野行政というものは、もはや国家のためでも、国土のためでも、山林所有者のためでもなく、林野行政担当者、森林組合職員、結果的に補助金を受ける林業者や砂防ダム、林道その他の建設業者のために存在しているように見えるのです。

少なくとも、"自分たちは森を育て国土を守る良い仕事をしているのだ"などといった、思い上がりとも錯覚とも言えぬ愚かで誤った思い込みだけはそろそろ払拭してもらいたいものです。
これがもし"林学なのだ"と言うのであれば大笑いとしか言いようがありません。

彼らを全て首にしたいところですが、彼らには敗戦後まで残されていた豊かな広葉樹の山を復元する義務が残っているのです(もちろん、針葉樹林に火を掛けて放置した方が、よほど早く確実なので、首にしても一向に構わないのですが)。このままにしてもらっては五、六年前の九月に宮崎で発生したような大規模な森林崩壊(土砂崩れというにはあまりにも規模が大き過ぎる、百万本の杉、桧が倒れた宮崎市田野の管理された国県有の造林地)が、今後も頻繁に起こり続けることになるでしょう。

もはや、疑うべくもないはずですが、全国の大半の針葉樹林は大規模に土壌を喪失し、決定的に保水力を失い、   山においてもヒート・アイランド化は進んでいると考えるべきなのです。

仮に森林行政、林野行政に携わる人間が「山仕事は暑くて辛い」などと言っても、「それはおまえ達のせいだ」と言わざるを得ないのです。もはや"ヒート・アイランド現象"は都市部だけの問題ではないのです。


責任を取らない縦割り行政 こいつら馬鹿か?

ヒート・アイランド現象は環境省所管とでもされているのでしょうか。

そもそも、人為的に自然を改変した事によって引き起こされた自然のしっぺ返しであるヒート・アイランド現象が、事実上のお飾りで何らの実質的権限を持たない環境省の所管とされているというのも非常に奇妙な感じがします。  

それはともかくとして、その意味の底流には、どうもこの現象を"自分達の責任ではない、どうにもならない天災とか異常気象(これは二十五年とか三十年に一度しかないような現象という基準があるのですが)といった側面で捉えているのではないか"という印象があるのですが、これは私の感性によるものでしかなく一般的に説明できないものです。

ただ、そうでもなければ、これほど深刻なテーマに対して、「打ち水大作戦」などというあれほど軽い感覚の気楽なお祭り騒ぎができるはずがないと思うからです。

もとより、国土交通省は治水などが仕事であり、厚生労働省は安定して良質の水を供給することが仕事でしょう。
また、林野事業は農水省の仕事とされています。環境省は実際に何をやっているのか具体的なイメージさえ湧いてきません。

恐らく、国土交通省は自分達がやってきたことがヒート・アイランドの最大の原因になっている事を全く自覚していないでしょうし、森や農地を守ってきたと信じ込んでいる農水省が、ヒート・アイランドの一部を担いでいるなどと言われると、「何を馬鹿な!」と言う事でしょう。

とりあえず、大都市においては戦前にもかなり水道は行き渡っていたわけですから、ヒート・アイランドには大きく関与していないことは間違いないと考えられ免責するとしても、雨水を溢れさせずに一気に流し去る事が害悪になるとは全く無自覚だったはずであり、仮に一部で理解している優秀な官僚がいたとしても、それが顕在化しない限り、決して責任とか対策とかいった事には動かなかったはずです。

結局、それは彼らの所管ではないからです。

恐らく現在までの都市河川や下水道の整備はヒート・アイランド現象が、まだ少し暑い夏とか小さな気象異変といった程度で済まされていた時代からの延長上に行われていただけの事でしかなく、目に見えないように徐々に引き起こされる大規模な環境破壊は、罪とされもしなければ、自らの失策でもないと考えていることでしょう。

本来、国家はこのような事に対処するために高給を支払い、非生産的であっても、優秀な人材としての官僚を雇い、学識のある科学者や研究者を維持しているはずなのですが、国家権力に協力するだけの御用学者や国家機関の個別的な省益だけに奉仕する学問を商売と考えるようなつまらない人間だけを重用するようになると、もはや誰一人本当の事を告げず、発言せず、このような取り返しのつかない愚かな破壊をもたらす事になるのです。

結局、最後に苦しむのは彼らを含む国民なのです。

大都市であれ、農地であれ、山であれ、地表や地中に豊富な水がありさえすれば、熱せられた水は気化する時に周辺から潜熱として熱を奪い地上を冷却します。

さらに地表で熱せられた空気は軽くなり水蒸気と共に高空に上がり、そこで冷やされて熱を放出し、水蒸気は雨として地表に戻り周囲を冷します。同様に空気も冷やされて冷たい下降気流となって地表に戻ってくるのです。

低気圧(上昇気流)の去った後に高気圧(下降気流)が来ると涼しくなる事は皆が経験的に知っている事ですが、これも同様の現象なのです。

ただ、日本は海に囲まれた細長い国土と複雑な地形を持ち、風の影響も受けやすいために影響が比較的緩和されているのです。

東京においても大きく湾入した東京湾のおかげで灼熱の地表にはならず、破壊が最終段階まで進んでいないのかもしれません。

当然にも、沖縄の那覇が三〇程度なのに東京近辺が四〇なのは、周りが海であるからなので、これだけでもCO2温暖化論がデマでしかないことが明らかなのです。

それとも、沖縄はCO2の濃度が低いとでも言うのでしょうか?

まさか、このような物理学の基礎的な知識もない、土木しか知らない土建屋議員程度の頭しかない人間しかいないとも思えないのですが、国土交通省の人間にもヒート・アイランド現象に関する槌田教授や近藤邦明氏の著書などを読んで欲しいと思うものです。


タコマ橋の教訓


これはその橋が大きく揺れ崩落していく過程が鮮明な映像で記録されていることもあり、橋梁設計では非常に有名な話です。

失敗は、それが失敗と認識される事によって教訓に変わり、改良や改善に繋がる事になるのですが、国土交通省はもとより、環境省までもがヒート・アイランドを自らの責任と認識していない限り、今後とも大都市の熱禍は続き、国民は苦渋を飲まされつづける事になるでしょう。

かつて、森林に恵まれたスペインは大量の木材を切り出し、海賊紛いの大艦隊(アルマダ)を造り世界の海を制覇しましたが、跡には砂漠だけが残り、首都マドリードは気温五〇度にもなる灼熱の乾燥都市に変わりはて、国力を落とした末に没落しました。

石灰石に恵まれ豊かな森林を持った日本も、大量のセメントやコンクリートで固め続ける山賊ならぬ"ならずもの集団"としての土建勢力を生み出し、早晩滅び去る事になるでしょう。そして、同じように灼熱の乾燥都市を残す事になるのです。

無題.png「土木しか知らない」などと罵倒した国土交通省の技術官僚の誰れもが知っているはずの"タコマ橋の教訓"という有名な話があります。

これは、一九四〇年、合衆国ワシントン州に造られ完成したばかりのタコマ橋という吊り橋が、僅か一九m/sの風によって発生した自励振動(渦励振)によって揺さぶられ、撓み、捩れ、瞬く間に崩壊して川に落下したという当時としては予見しがたい橋梁設計上、構造上の失敗とされているものですが(計算上六〇m/sの風までは耐えられるとされていたのです)、その後これを教訓として、長大橋では風に対する動的な安定性を考慮した設計を行うようになり、この種の橋梁崩壊は、以後、発生しなくなったとされています。


最後に

"温暖化を憂うべきか"どうかは置くとしても、ここ数十年余り、日常で体感する温度が徐々に上昇している事は観測結果によっても、また、生活実感によっても認識できることであり、それ自体を否定する人はないのではないかと思います。

一方、大都市ばかりではなく日本の国土の大半でヒート・アイランド現象は劇的に拡大してきたと考えられます。

このため、同時に進行している温度上昇という二つの現象を考える時に、一般的にはこの温度上昇がどちらによって引き起こされているのか、また、その主たる原因がどちらにあるのかといった事については、計量的に分離する事は非常に困難なことなのです。

大都市、地方都市に住み熱帯夜に苦しんでいる大半の住民にとっては、自分がはたしてヒート・アイランドによって苦しんでいるのか、CO2による地球温暖化によって苦しんでいるのか?ということが事実上は理解できずに混乱状態にあるように見えます。

二酸化炭素地球温暖化説(温暖化は事実としても二酸化炭素の増加によってそれが引き起こされているというのは誤りという以上にデマと考えています)に基づく予測では、平均気温が2〜4上昇するとしているのですが、平均気温の上昇としても、現在、大都市部で起こっている温度上昇は、この程度のものではないという実感をどなたもお持ちだと思います。

従って、現在、大都市に住む人間が苦しんでいる要素の相当の部分が国土交通省に大きな責任がある都市の乾燥化によるヒート・アイランドにあり、ほとんど地球温暖化によるものではないと考えるべきなのです。

行政は、ここ三、四十年で大規模に手を加えてきた都市の水循環の変更により多発し始め、今や取り返しがつかないまでに常態化させてしまった人為的なヒート・アイランド現象を棚に上げ、あたかも化石燃料の大量消費やエアコンの大量使用による都市の廃熱などの延長上にCO2地球温暖化も存在しているかのように描こうとしているようです。
繰返しになりますが、ヒート・アイランド現象は水循環の切断による熱循環の変調が局所的に発生して起きているものであり、地球温暖化とは全く関係がないのです。
また、"CO2地球温暖化脅威説"は原子力産業が自らの存続のために持ち込んだ悪質なデマなのです。何度も言うことですが、二酸化炭素は温暖化によって海水中から大気中に放出されているのであって、二酸化炭素の濃度が上がっているから温暖化しているのではないのです。

「環境問題を考える」環境問題の科学的根拠を論じるというホーム・ページの管理者である近藤 邦明氏の新著「温暖化は憂うべきことだろうか」CO2地球温暖化脅威説の虚構 近藤 邦明(不知火書房)においてもヒート・アイランドに関する部分がありますので、その一部を紹介しておきましょう。


3-3 水循環の破壊がもたらす砂漠化

水循環の破壊は、栄養循環の直接的な破壊とも密接に関係しています。


農業による砂漠化


森林を伐採して乾燥農法(乾燥地で灌漑を行わない農法)による大規模農地を作れば、地表が乾燥し水の蒸発量が減少します。大規模な焼畑による農地の確保も同じです。乾燥地の灌漑された農地では広範囲で塩害が発生しています。また、化学肥料の多投によって土壌の団粒構造が破壊されて保水能力が低下すれば、少しの雨で養分が洗い流されることになります。
 これらの農地はやがて耕作不適地となって放棄され砂漠となります。一旦砂漠化すると、太陽放射に対する地表の反射率が大きくなり、水の蒸発量が減ることとの相乗効果で砂漠上空は安定した高圧帯となり、ますます雨が降らなくなります。


都市による砂漠化


都市化の進行に伴って、都市部の地表は不透水性になっています。降雨は地表には浸透せず、大規模下水道を通って短時間で海へ捨て去られます。人口密度の高い都市を養うために遠隔地に用水ダムが建設され、収奪的に都市に給水が行われることになります。

ダムに大量の水を溜め込めば水質が悪化し、ダム下流の河川流量も減少します。こうしてダム建設地周辺の水循環は破壊され、同時に生態系も破壊されます。巨大なダムは空気中に大量の水蒸気を供給することになります。水蒸気を含んで軽くなった空気は上昇気流となり、さらに周辺から水蒸気を含んだ空気を吸い寄せることになります。もし周辺が半乾燥地帯であれば、砂漠化の進行を助長することにもつながります。

ダム〜連続堤による治水システムは、大量の雨水を速やかに海へ流し去ることを目的としたものです。河川断面積を大きくし、蛇行した河道を直線的に変更して動水勾配を大きくすると共に、河道をコンクリートで被覆することで表面粗度を小さくします。こうした構造物は堤内地との水循環と物質循環を遮断するもので、その結果として生態系の栄養循環は貧弱なものになります。

無題.png

「温暖化は憂うべきことだろうか」       「有明海異変」


近藤 邦明(不知火書房)      古川 清久 米本 慎一(不知火書房)


不知火書房 810-0024 福岡市中央区桜坂3-12-78 092-781-696

『CO2温暖化説は間違っている』 槌田 敦著 のご推薦


「温暖化は憂うべきことだろうか」CO2地球温暖化脅威説の虚構 近藤 邦明(不知火書房)は好調のようですが、先行して出版されている槌田 敦教授の新著にも一部ですが、ヒート・アイランド現象に関する記述がありますのでご紹介しておきます。


・・・地球に存在する大気の循環では、水は地表の熱を得て蒸発して大気を湿潤にする。この湿潤大気は地表からの伝熱も引き受ける。このようにして湿潤大気となって上昇し、地表から得た熱30を大気上空に運び上げ、そこでこの熱を宇宙に放出して冷却され、乾燥大気として下降するという物質循環になっている。・・・水蒸気は、このように温暖化ガスであってもCO2とは違い、地表と大気に対流を引き起こし、大気を冷却する働きをすることは重要である。この「水冷」と「空冷」機能が、地球を第2種定常開放系(63頁参照)にし、生命の存在を許しているのである。・・・


・・・都市の暑くなる原因を都市の発熱量の大きさだけに求める人は多いが、放射冷却、空冷、水冷という機能がしっかりしていれば、簡単に除熱されるから問題ではない。ところが、これらの冷却機能を失った都市は、蒸し暑い灼熱地獄になるのである。・・・


詳しくは同著を読んでください。


『CO2温暖化説は間違っている』 槌田 敦著 (ほたる出版)

発売元 星雲社  東京都文京区大塚3丁目2110  03-3947-1021 / 1,200円 2006/2/1


内容は実に明快です。一般の読者を対象に分かりやすく書かれていますので、私のような素人にもクリアーなイメージがストレートに入ってきます。

槌田教授、近藤邦明氏の著書については正確なコメントをする能力がありませんので、詳しくは近藤邦明氏のサイトを読んで下さい。


国家的デマ宣伝であるCO2温暖化論に対して批判する最初に出された一般書が槌佃 敦の本でした。

武田邦彦氏がテレビなどで有名になるかなり前でしたが、私も近藤さんともう一人を加えて泊まりこんで話をしたことがありました。あれから15年も経ったのですね。

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2022年07月05日

新ひぼろぎ逍遥スポット276 新版)打ち水大作戦の大間抜け “国破れて山河無し列島を破壊し尽くした国交省と農水省”

新ひぼろぎ逍遥スポット276


新版)打ち水大作戦の大間抜け “国破れて山河無し列島を破壊し尽くした国交省と農水省”

無題.png

古川清久(元自治体職員)2013091420220608再々編集版


打ち水"という小さな"捨て水(現代版馬鹿貴族のお遊び)一生やってろ!


夏の盛りに"打ち水大作戦"と銘打った"焼け石に捨て水"のイベントが行われています。

善意で行っておられる方を揶揄し文字通り"水を差す"ことは本意ではありませんが、これを国家機関(環境省、国土交通省、内閣府・・・)が本腰を入れてやりはじめるとなると、どう考えても政策の投げ出しと同時に無策の露呈としか言い様がありません。

以下はほんの一例です

無題.png

下水道は打ち水大作戦を応援します!!

国土交通省では下水処理水や雨水等の利活用を推進しています。

「打ち水大作戦」とは、お風呂の残り湯や下水処理水などを、「ひしゃく」や「じょうろ」を使い、みんなで一斉に「打ち水」をすることにより、ヒートアイランドや暑い夏の都市の気温を少しでも下げようという試みです。NPO法人等で構成される「打ち水大作戦本部」が実施を呼びかけているもので、9年目となる今年も全国各地で実施されます。

全国の大都市では、下水を高度処理した下水処理水や一時的に貯留した雨水を活用して、さまざまな形で「打ち水大作戦」を応援します。さらに、各都市の下水道においては、このほかにも「打ち水大作戦」を応援する独自の取り組みも行われます。これらの取り組みは、水の循環を通じて快適で潤いのある都市活動を支え、地球環境の保全に資するものです。

応援内容、実施期間等詳細は、「打ち水大作戦本部」にて順次発表されます。


このキャンペーンをやっているのが、大都市の地表から雨水までを奪い、ヒート・アイランド現象の原因者であり張本人であり続けている国土交通省の分枝である下水道部下水道企画課というのですか ら、「免罪符」としてならばいざ知らず、物理法無題.png則への基礎的な知識が無いのか、自分達がやっていることの意味がそもそも分かっていないのか?…としか思えないのです。

ましてや、「地球温暖化に冷房をやめて打ち水で対抗しよう!」などと、マスコミまでが巻き込まれて騒ぎ始めるや、まずは科学性のなさを嘆かざるを得なくなってきます。

既に、「CO2温暖化論」が全くのデマであったことが、クライムメート・ゲート事件により全世界的に明白になっていますが、恥を知らないのか?まだ、信じ込んでいるのか?このキャンペーンは継続されています。


それはともかくとして、二〇一三年夏、高知県江川崎41℃、山梨県甲府40.7℃、山梨県勝沼40.5℃…(私の住む佐賀県でも、過去、佐賀市で三九.六度という記録があったと思いますが)、いまさら"打ち水大作戦"をやったところで、温度が下がるのは一分足らずの瞬間に過ぎず、二度下がったと誇らしげな環境省の小役人も、その場凌ぎのパフォーマンスが終わって快適な部屋に戻れば、冷房の温度を閉庁まで二度以上は下げたくなった事でしょう。

もはや大半の水を一気に海に流し去り、あまつさえ、雨水の一部までも下水道で地下に流し込むことによって地表から水を奪っておきながら、温度上昇は「地球温暖化のためではないか?」などととぼけた話をしているのです。

この取り返しがつかないほどに破壊された都市の水循環と、その背景にある科学性の喪失にはそら恐ろしささえ感じるものです。

"打ち水大作戦"については、まずは大笑いというところですが、実は笑っていられるほど事態は楽観できないのです。

そもそも、これほどまでに都市の表面温度が上昇した事の背景には都市の乾燥化があるのです。

そしてその保水力を失わせ都市の砂漠化を促進したものこそ、道路を舗装し尽くし、末端水路から大型河川に至るまで、また、河川管理道路から歩道に至るまで、三面張側溝やコンクリート、アスファルトで覆ってきた国土交通省であったのです。

しかも、あれほどまでに不必要なダムを乱発したにもかかわらず、都市洪水を押さえ込むことさえもできずに、環境省からその外郭団体が"打ち水大作戦"とやらでお茶を濁すに至るや、また、挙句の果てに、"下水再生水を「打ち水」用水として市民に無料で提供する"というのですから、もはや、応仁の乱期、京の町で飢餓によって多くの民がバタバタと倒れていた時に、"""和歌"だと呆けていた足利将軍家のごとき優雅さと感じ入るばかりです。

こうしている間にも、大都市の片隅では、エアコンも使えずに熱中症で多くの民が倒れているのです。

私には、打ち水は環境省から国土交通省の官僚どもの顔にこそひっ掛けるべきであり、貴重な水の打ち捨ては断じてやめるべき(焼石に水)、打ち水に大量の予算を消費するぐらいなら、コンクリートを引っ剥がせ!打ち水よりは張り水を!もっと本質的な対策を取れ!としか言いようがないのです。


地球温暖化とヒート・アイランド “一般人が騙されている酷暑の大半は国交省が引き起こした”


さて、"CO2地球温暖化説は原子力産業から流された悪質なデマだ!"といった話は、「温暖化は憂うべきことだろうか」“CO2地球温暖化脅威説の虚構”(不知火書房)を世に問われた近藤邦明氏にまかせるとして、今回は"打ち水"からヒート・アイランドに関する話をしたいと思います。

ただ、その前に、現実に存在している温暖化傾向とヒート・アイランド現象とを分離し整理する必要があるでしょう。

もちろん、計量的な意味で、市民が感じている現実の気温の上昇の中からこれらの要素を分離する事は不可能でしょう。

これから書く事は、あくまでも経験に基づく推論でしかありませんが、最近の都市の気温上昇は尋常ではありません。

実際、私達が子供の頃これほどまでに暑さが辛いと思った事はありませんでした。

以前にも書いたことですが、小学校時代の夏の課題、"「夏の友」"とかいったものの日記を読むと、「今日は二九.五度すごく暑かった!」などと書いています。

まず、七、八月を通して三〇度を越える日は二週間を越えなかったように思いますし、ほぼ、毎日夕立が降り、夜も二五度以下にはなったために、本当に寝苦しい日は十日を越える事はめったになかったという記憶(印象)を持っています。

もちろん地方差や住宅環境の違いから一概に言えるはずもありませんが、五十歳代の方までにはある程度同意していただけるのではないでしょうか。

それが、最近のこのあり様です。確かに全体としての温暖化は事実でしょう(これはここ数年気象庁も認めるように低下しています)。ただ、主として都市部において夏の耐えがたい暑さになすすべもなく絶望し、大半の人々が"地球が温暖化しているのだから仕方がない"と考えて納得していることの相当の部分が実際にはヒート・アイランド現象によるものと考えています。

地球温暖化現象とヒート・アイランド現象とは一切関係がありません。

これは人間(主として行政)が人為的に自然に手を加えて(都市環境も歪な自然と考えればですが)水循環を変更したことから局所的に発生した温度上昇でしかなく、地球全体の平均気温、平均温度の上昇とは全く関係がないのです。

少なくとも、都市をこれほどまでにコンクリートで塗り固めさせず、これほどまでに水路を直線化させなかったならば、まだ、現在よりは地上の水分は保たれ夕立も消失せず、夏の暑さに耐えられずに倒れる人々は出なかったことでしょう。

ヒステリックなまでの"CO2地球温暖化説"の蔓延の背景には、地球温暖化とは全く関係のない、行政を先頭とし民間も含めた都市のコンクリート化、乾燥化と、一般住宅地におけるコンクリート化を放置した無策、さらには、草毟りをしたくない、溝浚えをしたくない、枝打ちをしたくない、また、それをできなくさせている都市住民から余裕を奪った現代資本主義社会の構造によって底上げされた"ヒート・アイランド現象"が背後に存在していることを見逃してはならないのです。

同時に、都市住民の生活に信じ難いまでの夏の暑さを持ち込んだ行政自らの無策を放置し"打ち水大作戦""地球温暖化論"でごまかす事を絶対に許すべきではないのです。


ヒート・アイランド現象の物理的基礎


@ 地下への捨て水


まず、大都市の乾燥化の原因の一つが下水道、上水道の完備、上下水を地下に持ち込んだ事にあると考えられます。

耐えられないまでのヒート・アイランド化が、ここ数十年前から発生している事を考えれば、上水道の整備までを敵視する必要はないうえに、いまさら御茶ノ水以来(将軍のお茶用に利用された湧水を江戸城に供給)の上水にまで引き戻す事は不可能ですから、一般的には上水を切り離して議論すべきかもしれません。

ただ、事実はそうだという認識だけは持っておくべきでしょう。

無題.png現在、下水道には雨水混入の合流方式と、雨水と汚水を別々の管路で流す分流方式がありますが、東京、大阪などの大都市ではほぼ百パーセントの普及率になっています。

しかし、これを単純に文明都市と考える人々は物事の一面しか見ていないことにしかならないのです。

最低でも生活雑排水を下水道に流し込んだ上に、唯一の雨水までも下水道に流し込み、水循環、温度循環を徹底的に破壊するようなことをやっていては都市のヒート・アイランド化をくい止めることなど始めからできないのです。


閑話休題  “土木を目指した人間” 物理に弱い土建屋官僚の馬鹿の再生産


そもそも、都市のヒート・アイランド化などは自分たちとは無関係であり、それをくい止めることが国土交通省の任務とは考えていない(それは、打ち水大作戦を真顔でやっていることに認識がないことが証明しており、もし、そうでなければ、恥ずかしくて、人気取りだけのお祭り騒ぎなどやれないからで、彼らの通性からして、多分、ひた隠しにしていたはずなのです)こともあるのですが、自分たちがヒート・アイランド化の最大原因者=加害者になっているという理解がないことが最大の問題なのです。

「元々、土木をやる人間は成績が悪く、物理や化学が分からない連中だった」と、私の親密な東大卒の友人が言っていましたが、「よほどの馬鹿か、嘘つきだけが国土交通省で出世できるのだ!」と言ったのもその友人でした。やはり、昔、陸軍、今、国土交通省、ですかね?


A 都市河川の雨樋化 “三面張り水路で全ての生物が流され消え去った”


大都市の日常を賄う生活水の大半が上水道で持ち込まれ、再び下水道で地下から地下へと運び去られていることに対して、もう一つの水循環の要素としての雨水について、都市河川の問題として考えてみましょう。

大都市の場合は合併処理浄化槽の設置が困難な場所が多いために、ある程度の下水道化は仕方がないとしても、設置が可能な場合はできる限り処理排水を河川に還流させ(どこから来た水か分からないものを還元とか還流と表現するのは多少疑問があるかも知れませんが)、河川に滞留する表層水の絶対量を確保するべきなのですが、それ以前に、降った雨の大半をいち早く流し、海に捨て去る事しか考えていない現在の都市河川の整備のあり方にこそ最大の問題があるのです。 

無題.png

深さ2メートルを越える典型的な都市型河川 大人でも落ちたら這い上がれない


最低でもカラカラの放水路はやめるべきであり、ましてや地下の巨大放水路に至っては愚かとしか言いようがないのですが、現実はますます逆の方向に向かっているとしか思えません。

これには、付随して地下水の大規模な消失という話もありますが、本題には、ほぼ、関係がありませんのでこれ以上はふれない事にしましょう。

結局、大手ゼネコンが直ぐに税金を回収できるような形にしか事業の方向が向けられず、一般河川の表層水の滞留性(こんなものはある程度の低い堰や穴開き堰を造るだけでも直ぐに実現できるのです)を失わせ、河川周辺からも河畔林から土までも失わせ、見せ掛けの箱庭公園やセメントやモルタルで固めた親水河川公園で誤魔化しているのですから、その国土に対する敵対性は明らかです。

少なくとも、大都市の大型河川から末端の小排水路に至るまで、いち早く流し切ることしか考えていない河川整備=河川行政そのものをどうにかしなければ、都市の乾燥化は止まるはずがないのです。

多少、エピソード的ではありますが、その底流には、明治以来、江戸期の伝統的な河川技術を捨て去り、一挙にヨーロッパの河川工学、土木技術に移行したこと、また、特に戦後の河川行政がいち早く表層水を流し出すという河川管理方式を主流とする紀州流の治水方式の延長上に、遊水地、逸流堤防、蛇行河川を取り入れ、複合的河川管理を目指した関東流治水術が捨て去られた事にも原因があると言われているのです。


B 都市整備のありかた


本来、大都市といえども水草がそよぎ魚の泳ぐ川が理想であることに変わりはありません。

しかし、全ての川にそれを求めることはもはや不可能でしょう。

もちろん今でも、地上に見せ掛けだけの伝統的河川を復活させる事はできますし、事実、部分的には行われてはいるのですが、それはあくまでも一部でしかなく、所詮は限定された金魚鉢に過ぎないのです。

ただ、これも、ヒート・アイランドに関しては有効ですから、それ自体を批判しても、ことこの問題に関しては、意味はありません。

仮に生物の存在しないプールであったとしても、温度を下げる事には役に立つのですから、"打ち水大作戦"なる"棄て水"を行うよりは、プール自体を長期間の打ち水効果を持たせる"張り水"(張り水大作戦を!)にするべきなのです。

ただ、縦割り行政は無関心と縄張り意識の制度化ですから、それを全く許さず、掃除や事故の責任回避の要請から、雨水で浅く水を張る事さえやろうとはしていないのです。

直接的な管理者は、「藻が付く」とか、「ボウフラが湧いて蚊が発生すると自治会から苦情が来る…」とでも言う事でしょう。

プールや、整備されつつある洪水調節用の遊水地に仮設の嵩上げ排水口を整備し、雨水で十センチ程度の深さで水を張るだけでも、それなりの効果が望めるのです。

こんなものは"打ち水大作戦2006"の宣伝経費の万分の一の費用も掛けないで可能になるヒート・

アイランド対策なのです。

しかし、真面目な努力もせずに、新調した浴衣を着こんで、"打ち水"なるただの"捨て水"パフォーマンスで済ませるのですから、頭がおかしいとしか言いようがありません。

さらに付け加えれば、全てのビルの屋上緑化、壁面緑化と雨水による"屋上張り水"だけでも直ぐに都市の温度を恒常的に下げる事ができるはずですから、段階的に進めれば、十年と待たずして大きな効果が出てくるはずなのですが、全く手を打とうとはしていないのです。

結局、政治屋や官僚どもは、事業や行政施策を打つ事によって自らの支配力、影響力を拡大し、そこから利益(ピンハネ)が引き出せる場合にしか動こうとはしないのです。

恐らく大手ゼネコンを始めとして、自らの息の掛かった大手企業がそれを新たなビジネス・チャンスとして働きかけるまでは、決して自ら手を下そうとはしないことでしょう。

このため、屋上緑化、壁面緑化について既に技術を確立しているベンチャー企業や独立系の小企業には全くチャンスは与えられないのです。それが、我が国の行政実態なのです。


閑話休題  “後付けの賄賂としての再就職”  暫く収まっていた賄賂がまたぞろ復活し始めた


ここ十〜二十年ほどで、各級の公務員の服務規律が異常なほどに厳格化されました。

このことによって、昔は普通に横行していた官官接待、業者との会食行為、歳暮の付け届け、転勤、転職祝金…は消え、非常に厳密な行政が確立されたかのように見えます。

しかし、往々にして厳しい取り扱いがされる場合は、陰で遥かに後ろめたい大規模な不正が行われているからであって、こっそりと大きな悪事を働くためには、末端の職員の規律が強化され、清潔であるように見せかけているからと考えるのが正しいでしょう。

土木行政の現場では、時折、見せしめと一般向けの宣伝として、目だって素行の悪い小役人だけが摘発されることがあるのですが、通常、土木行政の現場では直接的な金銭の授受と言ったあからさまな贈収賄はめったに行なわれはしません。

そんな方法を取らないで済むように、安全で実質的な不正が行なわれているのです。

事業で形成された施工業者と監督する立場に在る技術系職員との間に形成された親密な関係=良く言えば「信頼関係」は、当然にも退職するまで引継がれ、先行して天下りした上司の斡旋によって、法外な給与で安定した関連企業に再就職できるからです。

一般の労働者が退職後に十万円前後の低賃金で死ぬまで働かざるを得ない中で、役に立つ何のスキルもない元課長クラスが、三十万円前後の給与で再雇用されているのです。

実は、これこそが跡付けの賄賂であり、これにあやかるために、さもしい連中が、本来監督すべき企業の不正に眼をつぶり続け便宜をはかり続けているのです。

このようなことを防ぐために、公務員には一般と比べて多少優遇された年金制度が維持され、立派に監督することが求められていたのですが、最早、この意味は完全に忘れ去られたと言っても過言はないでしょう。

これが、市、県レベルの話とすれば、大手ゼネコンと繋がる国クラスの高級官僚がどのようなものかは、直接は見聞きしていないため、風評と想像の域を出ませんが、大方の見当は自ずと付こうと言うものです。


C 拡大するアスファルト舗装に手を打て!  “役所もホーム・センターも大手ショッピング・センターも考えろ!


無題.pngいまや、郊外型チェーン・ストアから、大型店を中心とするパワー・センターに至るまで、店舗や施設の面積に数倍する駐車場が広がっています。

これ自体はモータライゼイションがもたらした都市化による砂漠化に過ぎないのですが、それにしても打つ手は十分にあるのです。

最低でも、新規出店に際して駐車場の全部から一部(駐車スペースだけでも意味があるはずです)をレンガと土で整備させるとか、全体に透水性舗装を義務付けるとか(通常は重車両が入らないのですから強度は問題にならないのです)、これは、同時に都市型洪水に役立つはずですから直ちにやるべきであり、建築確認申請時に舗装の規制をすべきなのです(これは個人住宅、マンションについても同様です)。

それとも出店規制ができる立場にある旧通商産業省には温暖化もヒート・アイランドも一切関係がなく官庁が異なるために放置されているのでしょうか(建築確認申請は国土交通省所管なのですが?)。

同様に、今からでも一般企業の駐車場からラーメン屋の駐車場、マンション、行政官庁、公民館に至るまで、既存の駐車場の駐車部分だけでも切り出し、レンガや自然石と草(こんなものは土さえ残せば直ぐに生える)で駐車場を整備するだけでも、それなりの効果はあり、来店者、来場者も徐々に増えてくるはずなのです。

無題.pngもはや、道路面積と駐車場面積比率はロス・アンジェルスなみに拡大しつつあるのですが、アスファルト舗装は砂漠以下の保水力しかない事にそろそろ気付き、本気で対策を考えるべきでしょう。

ただ、これも恐らく不可能かもしれません。結局は、民間主導で、“駐車場に木製ブロックや透水性舗装を施して木陰も増やしたら、涼しいからと来店客が増えたので、多少経費を掛けても環境を整備した方が得だ!”と、ならない限り実現的には不可能でしょう。

実際には、草むしりの経費、労力、時間を削減するために、逆に舗装化が進んでしまう傾向にあるのです。


D 個人でできるヒート・アイランド対策




この問題を書く事にどれほどの意味があるのか多少の疑問もあるのですが、一人の個人的努力によっては、すぐさま全体無題.pngのヒート・アイランド化が抑えられるべくもなく、この手の努力はある意味でボランティア的な趣味の領域、悪く言えばファッションや個人的「免罪符」の領域になるのかも知れません。


これには、不必要なコンクリート舗装部分を必要最小限度に落とす。


住居の側溝に隙間を造り浸透性にする。


同じく三面張りではなく底面に小石を詰め込んだものにする。


庭の隅に小さなバンカー程度の浸透型の窪みを造る。


屋根に降った雨水を貯留する掛け流しの水槽を造り、土日だけでも庭に掛け流す。


気取ったヨーロッパ風ガーデニングなど直ぐに止めて成長の早い木を植える。・・・・・・といった事があるのですが、草毟りや落ち葉掻きから溝浚いまでも嫌がる風潮が蔓延する限り、悪化するばかりとしか考えられません。




E 公園、街路の整備のあり方について こんものはすべてに義務づければ直ぐに対策できる




鎮守の森とは異なり、公園は実質的な余剰地ですから、ある意味で放置し本来の植生に戻しできるならば復林させること。


どうしても公園にしたいのであれば、土建屋と天下りの連中だけが金儲けできるようなヨーロッパ型の乾燥した公園ではなく、在来の森や林に近いものにすべきと考えるのですが、公園行政においてさえ、行政が管理しやすいように表面から土を奪い尽くし、コンクリートで固めてしまいかねない勢いなのですから嘆かわしい限りです。


そもそも、日本には公園はありませんでした。


日本最初の公園がどこであったかまでは関心が無いのですが、後楽園(岡山県)、兼六園(福井県)、偕楽園(茨城県)といったものは、あくまでも池田家、水戸家、前田家といった藩主の私的な庭に過ぎず、寺社の庭園から天皇家や公家のそれに至るまでパブリック・ガーデンではないのです。


この奇妙なものが日本社会に持ち込まれたのも、明治の欧化政策によるものでしかなく(公園という言葉さえも明治以前には存在しないはずであり、ただの明治期の急造された造語=テクニカル・タームでしかないでしょう)、民衆は絶えず田畑や山林を這いずり回らなければならなかったのであって、むしろ、自然と接することを疎ましくさえ思っていたのです。


このため日本に持ち込まれた公園はヨーロッパ起源のものでしかなく、噴水を配した幾何学的な設計で芝生や樹木まで規則的に刈り込むなど、およそ、日本の伝統的な庭園とは全く異なったものなのです。 


従ってこの延長にある公園が、もはや日本の風土に合ったものではないことは明らかであり、いまだに現在の公園のあり方には違和感を抱き続けています。


結果として、扁平なヨーロッパ庭園のイメージで、土の部分がどんどん減らされ、保水力を失った庭園が造られ続けているのです。


最近では落ち葉さえも嫌われ、ネットで木全体を覆い、枯れ葉も集めてゴミ袋に入れて持ち出されてしまうのですから、水循環はおろか、栄養、ひいては物質循環までもが失われていくのです。


このような愚かな事を続ければ、水は元より、最終的にはミネラルまでも失い公園の木はいずれ育たなくなることでしょう。


無題.png少なくとも「落ち葉だけでも公園の土に戻せ!」と言いたいのですが、行政は何も気にしていないようです。


「落ち葉ぐらいで何を大げさな…」と言われるかもしれませんが、なぜ、このような事を問題にするかと言うと、大都会でも限られた土が残る公園に於いても、落ち葉が土に戻り、腐葉土が豊かになり、昆虫から野鳥や犬猫までもやってくるようなところほど栄養が豊かになり(糞尿や屍骸も含め)草木が繁茂し保水力を維持するからです。


そもそも、落ち葉まで産廃用の袋に入れて出すようになったのは、産廃業者の利権構造に行政から各級議員(いわゆる町会議員=チョッカイ議員)や、末端の自治会長までが巻き込まれているからなのです。


環境!環境!と声高に叫ぶ環境おばさんも、いたく犬の糞拾いに熱心で、それを批判すると馬鹿げたバッシングを受けるのですが、こんな連中は環境など全く分かっていないのです。


間違っても"犬の散歩で糞公害だ"などと訳もわからずに大騒ぎしてはならないのです。


袋と小型のスコップを手に散歩する愛犬家ほど哀れなものはないものです。




F 環上の雲  “下水道整備の結果 都下の地表から発生する雲はこれしかなくなった”




「都市の廃熱自体はヒート・アイランド化の原因ではない」などとまでは言うつもりはありません。


ただ、太陽から受け取る熱に対して人間が消費する熱の絶対量はそれほど大きい訳ではなく(日本のエネルギー消費量は国土のすべての平地が太陽光から受け取るエネルギーの4%程度/『地球環境・読本』)、大都市が多少は割増になっているとしても過大に評価する事には慎重でなければなりません。


しかし、そうは言っても人間の感情というものはそれほど客観的なものではない以上、一応は考えておく必要があるでしょう。


エアコンの室外機の取り付け方向で隣と争いになるのが人間なのですから、この要素は無視できないのですが、論理的に言えば、本来、この怒りは国土交通省にこそ向けられるべきなのです。


「環七、環八などの低速で走る高速道路上には環状の雲が掛かっていることがある」という話を聞いたことがあります。


文字通り、環状(環上)の雲なのですが、普通は"高速道路で渋滞を続ける大型トラックなどから排出された熱によって上昇気流が発生し、それに併せて地上の水分などが持ち上げられ、上空で冷やされて雲になっているのだ"と説明されるのでしょう。


しかし、良く考えれば、もはや国土交通省が引き起こした乾燥化によって、地表には水分がなくなり、排気ガスの中に含まれ無題.pngている水蒸気が上昇して雲になっているのであって、国土交通省の馬鹿官僚どもによって地下に流し込まれた雨水は、既に都会の上に掛かる雲には寄与していないのではないかと思うほどです。


"都会の人間が秩父の天然水を飲み、汗を掻き、その水分とサウジアラビアの地下から運ばれてきた石油に含まれる水素成分が燃えて水になり、雲になっているのではないか(まさに物質循環の決定的破壊ですね)?"などと妄想を重ねているのですが、これは確たる根拠のある話でありませんのでそのつもりで読んでください。


 ちなみに、炭や石炭を燃やしても、主要には二酸化炭素しか出ませんが、石油や天然ガスなどは炭化水素であり、燃やせば二酸化炭素ばかりではなく水が発生するのです。




閑話休題  “備長炭”




分かりやすい炭火焼の話をしておきましょう。
備長炭がもてはやされる時代ですが、備後屋長兵衛が焼いた炭であろうが、インドネシアから輸入された木炭だろうが、成分は炭素だけで無題.pngすから、燃やしても二酸化炭素が出るだけで、水蒸気は一切出ないのです。
このため食材は蒸し焼き状態にならず、表面がカラッと仕上がり美味しいのです。
燃やすと、同時に水分が発生するガスなどで焼いたウナギや鮎が美味い訳はないのですが、それはあくまで財布との時間との相談ということになるのです。
フル・タイムのパートという言語的にも意味不明の労働を強いられる忙しいだけの人達に、手間、暇を掛けた調理法を要求しても、それは土台無理と言うもので、結局、本当に美味い食べ物は知識を持った金持連中だけに許される贅沢なのです。
posted by 新ひぼろぎ逍遥 at 00:00| Comment(0) | スポット