スポット302 「宮原誠一の神社見聞諜」の勉強会を始めます!
20221204
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
当会のメンバーと言うより、エース格の宮原誠一氏による「宮原誠一の神社見聞諜」という良質のブログが在ることは皆さんも良くご存じの事と思います。
宮原氏は「福岡県神社誌」以前の「久留米藩社方開基」という筑後の神社資料を手元に置き、30代から地元の神社を調べてこられた方で、当会の宝とも言うべき研究者です。

現在、200本余りのブログを公開されており、近稿を拾えば、
最新の記事


となります。
宮原氏のブログを見ると、ペラペラの表面だけの説で満足されている部分を抉り、可能な限り古代の真実に迫る内容が満載されています。
まずは、戦後のマッカーサーの占領政策によって神社研究が完全に消失して以降、最良かつ最重要の資料と言えるでしょう。
最早、神社研究など誰もやっていないのです。誰かやっておられると言うのなら直ちに教えを請いたいと思うばかりですが、今や禰宜はおろか宮司までが総崩れと言う有様で、実に暗澹たる思いがします。
列島の古代を考えれば、如何に日本が奇跡の国家であるかが良く分かるのですが、その神社研究、古代史研究を天照の国が奈良から自生したなどと言う大嘘が大股で闊歩するようになれば、日本は間違いなく消失への道を下り始めることになるでしょうし。それどころか戦後80年を経ており、最早時すでに遅しであり全く間に合わないかも知れないのです。しかし、それを少しでも喰いとめようと抗っているのが私達なのです。
故)百嶋由一郎氏も実は熊本県人吉市の某所と分かってきましたが、古来、定期的に行われていた神社研究会に参加されていた様で、通説とは異なる真実の神社研究、神代史研究を続けられていたらしいのです。
そこでは各地の神社で代々伝えられていた本当の神社の祭神などが密かに伝えられていた様なのです。
その最後の世代が百嶋氏であり、それ以降は継承者もなく失われるばかりだったのですが、僅かながらもその一部を継承したのが当会だったのかも知れないのです。
欠史8代などと言う大嘘を吹聴した津田何某とそのエピゴーネンどもは正しくGHQに尾を振る売国者集団であり、こいつらが嘘の歴史をばらまき、日本と日本の神々を欺いた張本人なのです。
天照、卑弥呼の国が奈良で始まったなどと彼らは本気で考えているのでしょうか?ほとんど漫画の世界です。…お粗末。そのような嘘つき国家は早晩滅びてしまうことになるでしょう。
神社が時の売国権力に尾を振り、嘘だけを吹聴し全く真実を伝えなくなれば国家は瓦解していきます。
列島に住んできた代々のご先祖様達は戻れぬ故国を跡にする時にも故郷の鎮守の杜にお参りに行き戦地に出征したはずですし。
我々のご先祖様達は勝てない戦であっても婦女子と父母を守るために命を懸け雄雄しく死んでいったはずです。そこには、表向きの話しとは異なる多くの伝承が残されていたのです。
その頃までは平気で嘘をつくTVもワイドショーも存在せず、立派な神官、知恵ある誇り高き宮司も数多く残っていたはずなのです。
話が横道に逸れましたが、そこで、会の宝ともいうべき宮原誠一氏の勉強会を始める話が持ち上がっています。
筑前筑後の神社研究、百嶋由一郎神社考古学を継承する体制を準備し、研究内容を後世に継ぐ民間研究体制を準備する事にもなるでしょう。
さて、勉強会ですが、街中で集まるのは返って不便です。駐車場も空きを探さざるを得ず、その駐車料金もン日だと千円近くになります。
そこで、いつでも集まれる久留米市でも郊外の北野町の一角で始めることにしました。

久留米市 金島ふれあい交流センター(仮案)
カーナビ検索 久留米市北野町八重亀139
日程などはこれから検討します。
車で来られる方は駐車場の心配は通常ありません。
筑後川右岸の平野部は交通量も少なく飯塚方面からも佐賀県からも、小郡ICや久留米ICからも近く便利な場所にあり、県外からの参加者にも集まり易いかと考えています。
百嶋由一郎氏が残した神社考古学の灯を絶やさないためにも是非お集まりいただきたいと思って止みません。
問題は、何時やるかです。2〜30年前までは週休二日制が行きわたり、休みも結構取れたためこのような研究会は安定して行うことが可能で、それほど悩む必要も無かったのですが、売国奴小泉、竹中によって非正規雇用が蔓延、国民所得の半減、年金まで壊滅させられる有様になった結果、“歯医者に行かせてくれ”と言えば“明日から来なくていいよ”と言われる始末で、80までどころか死ぬまで働かざるを得ない社会に成り下がってしまったのでした。
土日じゃないと仕事があるので来られない!年金生活者は平日の方が良い!子育て中のママは保育園に送り込んだ後のお迎えまでの時間が有難い…!と言ったぐあいで、土日と平日に分けざるを得なくなったのでした。結局、ÅグループとBグループの二つに分け、土日と平日を隔月で行い、奇数月と偶数月を交互に同一テーマで勉強会を行い、内容はブログの重要テーマを話してもらうことにしようと考えています。少数でも継続を優先させ、極力、労力と経費を抑え、内部の結束を強め、百嶋由一郎氏の業績の継承を主眼に運営したいと考えています。
これで将来に向けた百嶋神社考古学の継承への足掛かりができたことになり、我々の活動内容の継承も可能になりそうです。
村興し町興し果ては世界遺産登録へと通説派による官製文化運動に大半の史談会、郷土史会が自ら迎合する力も失い、解散、休会が目立つ中、九州王朝説論者と自称していた連中までが町興し運動に流れ行政の芸人に成り下がる一方、一時期は古田武彦を乗り越えるとまで豪語していた九州王朝説のグループが何時しか九州王朝説の看板を降ろし(2022年3月)、只の古代史愛好団体に成り下がる状況にある始末で、事実上、九州王朝系団体は九州からは姿を消失したようです。
我々も、手垢のついた古田九州王朝論では今後を戦えないと考え、当面、百嶋神社考古学と九州王朝論を最先端で牽引する佃収研究で当面の間荒波で漂流することになりそうです。

来年の二月に第一回目を平日組のAチームからスタートし、テーマも内容も宮原氏にお任せしますが、恐らくブログから選んだ重要な話から採用される事になるでしょう。
三月は土日組のBチームですが、第一週か最終週の日曜日しかないと思っています。
現在、纏まった神社研究グループは我々以外には事実上存在しないと考えています。
非常に残念なことですが、数名規模で神社を調べるグループに出くわしたことはありますし、当方の集まりに参加される方にも師匠と二人で参拝を続けられている方もおられます。
ただ、組織立って動いておられるグループ、古代史をも繋ごうとされているものはネット上にも存在せず、振り返れば我々だけが必死で抗っている事に気付きます。これから、集まり易い場所を拠点に、集会を続けますので、多くの方々にご参加いただきたいと思います。
私達はここ3〜4年の停滞期にも全力をあげて集会を継続しました。その間に新しい若手のメンバーが加わってこられました。この会合を継続すれば、更に新たな参加者も加わり、徐々に熱心なメンバーによる研究会に発展するものと思います。これから耳納山を眺める事になるでしょう。
耳納山系
参加希望の方は090-5289−2994(事務局中島)or 090-6298−3254 まで御連絡下さい。