2023年07月31日

スポット 321 標高800ⅿの高森町尾下で2023年の夏も終わる9月に高原地帯で高千穂合宿を行います

スポット 321 標高800ⅿの高森町尾下で2023年の夏も終わる9月に高原地帯で高千穂合宿を行います

20230531

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 923日 参加できる方だけお越しください(日程は調整中です)。

 ここには高速道路とも言えるスーパー広域農道が通っており、日本一花の森の看板も出ています。


夏は標高の高い高千穂でのトレッキングにご参加ください。

参加費+資料代 500

集合日時2023090203日 161700 駐車場50台分 集合

会場:平野虎丸研修所(築5年)広大な平屋建て(お風呂はありますが天の岩戸温泉に行きましょう)。

平野虎丸 日本一花の森 高森町尾下1261 090-20826618 大型広域農道隣接

標高800メートルでかなり涼しいですが、暑さに弱い方は扇風機をご持参ください。

宿泊はタオルケット持参で平野邸への一泊1000円のカンパを…


宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸58 天岩戸の湯 500

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 夜は食事と休養と歓談を…翌朝からお昼まで神社を巡ります。


 食料:各自持参(朝食まで二食用意を…)

 阿蘇内牧温泉 スーパー宮原or南阿蘇高森町スーパー・アスカorスーパーアズーロ高千穂町三田井3921・ 0982-73-1676


翌朝から神社を廻ります。


 コース

❶ 上野神社 高千穂町上野3389

❷ ひのみこ社(全国でも珍しい個人の力で再建された神社です)お賽銭を500円程度お願いします。

➌ 下野八幡宮 高千穂町下野

❹ 瀬織津姫神社 高千穂町岩戸 一部に瀬織津姫の正体が分からずに追い求められる向きがありますが櫛稲田姫です。百嶋最終神代系譜を…

 八大宮

 天岩戸神社 東本宮御神水


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緊急時連絡:09062983254


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国道57号線笹倉交差点から高千穂へのループ橋手前まで大型広域農道が走っています その道路の傍に花の森もあります

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2017110518:15カテゴリ  高森「花の森」ナショナルトラスト

購入して3年「日本一 花の森」 植えない森の真実

無題.png平野虎丸です。ご訪問ありがとうございます。

阿蘇郡高森町に希少野草保護のためにスギ伐採地を購入してちょうど3年が経ち、購入時と同じ季節を迎えて感慨深いものがあります。思ったよりも野草の種類が多く、もっと早く購入して「花の森づくり」を始めておけばよかった、などとあり得ないことを考えたりします。しかし、無理な話です。しっかりと現実を受け止め、元気なうちに少しでも将来の展望を描いておきたいと思っているきょうこの頃です。購入から3年、やっと道路沿いのスギを伐採してしまい、道路沿いは明るい「植えない森」が見えるようになりました。影もなくなり、道路の積雪による凍結の心配もなくなりました。背の高いスギは壁になっており、購入時には山の全貌が見えませんでした。写真右上のスギは隣の山です。
道路近くまで植林してあったスギが無くなったので、広々と明るい平坦地となり、サクラソウやフクジュソウ無題.png、ベニバナヤマシャクヤク、ケルリソウなど阿蘇の希少な野草が増えました。
道路左側の大きなスギは昨年伐採しましたが、右側のスギは少し残っています。これも徐々に伐採して、この山本来の自然景観を取り戻す計画です。
このあたりは寒いところで、常緑樹はほとんど見られません。どこにでも見られるネズミモチも植えてみましたが、寒さで息も絶え絶えです。ビワは枯れました。花の時期に雪が降るので実は望めません。道しるべに最初に植えたナンテンも枯れました。
杉山の中に、小さなシロダモの木が見られるので、大きく育てれば、野鳥たちの冬のねぐらに役に立ちます。
常緑樹が少ない為に、冬も葉を落とさないスギ植林地をねぐらにしている野鳥たちもいました。
「花の森」では、奥にまだまだスギや竹類が残っていますから、野鳥たちはそこをねぐらにするでしょう。現在、実のなる雑木がいっぱいの「花の森」は、留鳥や冬鳥たちがたくさんやってきて餌をついばんでい
ます。
無題.pngには草木の花が咲き、秋には実が成り紅葉し、やがて夏草が枯れ、冬枯れの季節がやってきますが、春の野草たちは、もう、芽を吹いています。雪の下でも、春の野草たちは元気です。
自然界は冬だからといって草が無くなるわけではなく、温かいに日には花を咲かせる野草もあります。
多種多様な生き物たちが1年じゅう暮らしている豊かな場所、それが「植えない森」です。

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 夜は雑談で明かし、朝から普段行かない高千穂の神社をご案内します。

 従って、必要ならば、夕食、夜食、朝食を用意して下さい。

 ネット検索で平野虎丸も見ておいてください。実に凄い英雄的人物である事が分かります。

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posted by 新ひぼろぎ逍遥 at 23:44| Comment(0) | スポット

2023年07月27日

950 15世紀の神殿がそのままの形で残されていた ”伊万里市波多津町畑津 田島神社“

950 15世紀の神殿がそのままの形で残されていた 伊万里市波多津町畑津 田島神社“

20230213

太宰府地名研究会 古川 清久


この間、佐賀県在住メンバーの増加に合わせ、少しずつですが佐賀でのトレッキングを行っています。

既に、トレッキングを行った所でもある事から、後から加わられた方については分離した形で小規模な現地探訪を行うことになります。これもそうした中の一つですが、伊万里湾に面して唐津市との境界に近い伊万里市波多津町に田島神社があります。

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田島神社 カーナビ検索 佐賀県伊万里市波多津町畑津1260


 波多津町にはこの他に筒井地区、板木地区の二つの田島神社があり、その密度を考えるとこの波多津町とは田島神社の影響下にある土地である事が分かります。併せて、細い水路が神社と神宮寺と考えられる曹洞宗宝泉寺の正面まで船が入ったはずで、奥まった安全な地に同社が置かれていたことが分かります。


畑津 田島神社

    祭 神 多岐津姫   菅原道真   天忍穂耳命

        市杵島姫   伊弉諾命   伊弉冊命

        田心姫    大國主命

田心姫=豊玉姫は山幸彦の妃の後に大国主の妃になりますのでおかしくはありません。


  筒井 田島神社

    祭 神 湍津姫命   大山祗命

        田心姫命   猿田彦命     この枠内の3神は明治五年の無格社の追加とある

        市杵島姫   大山咋命

田心姫=豊玉姫は山幸彦の妃ですので、猿田彦=ニギハヤヒという表現もおかしくはないのです。

 市杵島姫は阿蘇高森の草部吉見の妃になり大山咋を生みますので母と子の関係です。


  板木 田島神社

    祭 神 田心姫命   三島大神   神皇産霊尊 高皇産霊尊(これは三柱なのですか)

        湍津姫命   天満大神   大山祗命 この枠内の7神も明治五年の追加とある

        市杵島姫   品陀和氣命  倉稲魂命          以上「佐賀県神社誌要」

 少なくも三島大神は愛媛の大三島の大山祗神社でしょうから三島大神と大山祗命とは重複に見えます。

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祭神に系統的な統一性がないなあと感じていましたが、明治5年神仏分離令期の反映のようです。

奉斎神を見るとかなり異なった民族が混住していたことが推察されます。

非常に近接した集落でこのような祭神が奉斎されているのは歴史の古さから来るものか、この三集落には異なった氏族であり、父方、母方で異なる家系が反映されているのかも知れません。

 「佐賀県神社誌要」は要点だけを纏めたものです。無いより有難い程度のもので仕方がありません。

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唐津市呼子町の田島神社含めれば10社近い集積が確認できる訳で、宗像大社の辺津宮の大字田島も西から東へ展開したのではないかとの推定が可能かも知れません。

無題.png 1936年の「佐賀縣史蹟名勝天然紀念物調査報告」の呼子町の田島神社の部分を読むとそう書いてもあるのです。

以下伊万里市のHP

(2009108日更新)国指定重要文化財 建造物 田嶋神社本殿

波多津町畑津1260番地 昭和62年(1987)6月3日指定          


この神殿がこれまで見てきたこともないとんでもない素晴らしいものだったのです。

 再度、撮影をし直し皆様にお見せしたいと思います。

 SDカードを抜いていたため撮影できなかったのです。

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画像は「おまいり」より


佐賀県在住者の方はほぼご存じと思うのですが、太閤殿下の大陸進出の前線基地となった唐津市の呼子、旧呼子町の沖に浮かぶ壁島に田島神社(国幣中社)があり、宗像大社と同様の三女神が祀られているという事実でがあります。

佐賀県唐津市呼子町加部島3965-1

主祭神: 田心姫尊 市杵島姫尊 湍津姫尊 まさしく宗像三女神です。

 では、安芸の宮島のルーツと考えている福岡県飯塚市鹿毛の厳島神社をご覧下さい。

 この神社は歴代白王家が守ってきましたが、明治の神祇官からの強要で「白王」姓は天皇に対して不敬として変名を命じられ渋々王の横一棒を抜き白土姓に変えておられます。宮司家男子だけは白+、を使用することにされています。

宗像三女神の筆頭に掲げられる事の多い市杵島姫(正確には瀛津嶋比賣命)命の名は由来する以上に、市杵島姫の幼名の佐與姫の佐與という大字が鹿毛に隣接して存在することから、市杵島姫はこの地に住んでいたから佐與姫とも呼ばれていた可能性が考えられるのです。

ちなみにこのは秦の始皇帝の(嬴政=エイセイ=インチョン)でもあるのです。

飯塚市鹿毛馬(かけのうま)の厳島神社は宗像三女神を祀るのは、宗像大社、安芸の厳島神社以上の神格を持った神社だったはずなのです。

そして、その構造は更に東に飛び、兵庫県但馬(田島)に隣接する佐用町の佐用都姫神社の市杵島祭祀にまで繋がっているのです。

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このように宗像系氏族(基本的には天御中主命と金官伽耶にいたトルコ系匈奴ウマシアシカビヒコヂ=大山祗命の父神、大国主命の祖父神)は西から東に展開しているのです。これが畑津、筒井、板木の三社にも大山祗命、大国主命祭祀が残っているのではないかと考えています。

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 それどころか、佐世保の沖、西海市には呼子ノ瀬戸、七ツ釜…玄海灘と対応する地名があるのです

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呼子の田島神社を考える時、佐世保から北上している可能性も見ておくべきなのですが、やはり重要なのは、大幡主=カミムスビ神の社としての田島神社の東への移動を意識しておくべきで、分かり易い例は、唐津市湊(湊厄神社あり)の「湊」地名と、宗像大社の辺津宮正面の神湊の「湊」地名であり、この湊地名は日本海側に展開しているのです。

 山口県長門市仙崎、島根県太田市湊、温泉津町福光湊、鳥取県境港の湊町、鳥取県岩美郡岩美町湊神社、岡山県岡山市中区湊、兵庫県南あわじ市湊…まだまだありますが、これぐらいで、残りは皆さんで。

 では、宗像三女神を奉斎する氏族とは一体何なのかを考えておきましょう。

学者の世界でも始皇帝はイスラエル系であり、周王朝も同様だと言う話は比較的流通していますが、百嶋由一郎氏も同様の話をされていました。ここでは百嶋先生が残された最終神代系譜から改めて考察したいと思います。

ただ、三女神は姉妹であるなどと言った話は誤りですので、始めからそのような事は頭の片隅から消し去っておいていただきたいと思います。

 勿論、親族ではありますがかなり離れているものもあり、まあ、大きな葬儀などでは一堂に会することもあるだろうと言う程度の関係ではないかと思います。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


無題.png これまでにも何度となく触れていますので説明はしませんが、鴨玉依姫が京都の下賀茂の主神になっており、豊玉姫は田心姫、市杵島姫はスセリ姫…に対応します。



posted by 新ひぼろぎ逍遥 at 00:36| Comment(0) | 日記

2023年07月24日

949 2023年度(4〜3月) 丁巳歴史塾講演者及び講演テーマ ”これだけ全てやれたら良いですね”

949 2023年度(43月) 丁巳歴史塾講演者及び講演テーマ これだけ全てやれたら良いですね

20230211

太宰府地名研究会 古川 清久


小倉を中心とする提携組織丁巳歴史塾の新年度の講演リストの試案の作成依頼が入りました。

一年分と言っても、お盆、歳末には講演を中止する可能性もありますので、12人分のリストを作っても翌年度に繰り越すことにもなるかも知れません。

また、不慮のトラブルによって代理講演も必要になりますので、最低でも12人をノミネートして、予備に23人を準備しておく必要もありそうです。内容も含めあくまで叩き台の叩き台と考えて下さい。

あくまでも試案ですので、あまり考えずに作成しようと考えています。講演日程も含め以下順不同。

以下も仮案です。

NO.

講演予定者名

経歴等

講演テーマ

居住地

備考

1

井上 悦文

書道家

草書体で解く邪馬台国の謎」他著

「邪馬台国は朝倉にあった」卑弥呼の墓は山田大塚古墳

日田市

 

2

阿部 貞隆

建築士



陸奥安部氏累代の古文書が語る逆説前九年合戦史」近著他

北九州の阿部一族について

大分市

 

3

伊藤 まさ子

ブロガー

「宗像・宝満・沖ノ島」著

北九州に残された古代史の謎

“古代祭祀線から見る神武東遷”

福岡市

 

4

大石 耕史

歯科技工士

blog「くじら通信」管理者

古遠賀湾の物部25部族について考える

久留米市

 

5

小島 宗光

曹洞宗僧侶

調整中

五つのテーマのどれでも話し致します

テーマの絞り込み中

伊万里市

 

6

田中 興人

醸造家

日本美術刀剣保存協会佐賀県支部長

古代の剣と刀について

伊万里市

 

杉山 宏治

建築士

Blog「事代主のブログ」管理者

香春神社と高良大社

筑紫野市

 

8

古川 茂

醸造家

blog「幡随院長兵衛」管理者

古代の酒と醸造業

“無法松と幡随院長兵衛”

佐賀市

 

9

阿部 裕治

古代史研究者

「晋国残影」著

磐井の乱とは何だったのか?継体紀、欣明紀から読み解く磐井

別府市

 

10

神田 浩

獣医師

blog「ひとつあがりのカフェテラス」管理者

速吸姫神社と関門海峡

大分市

 

11

江原 不可止

宮司

大帯八幡社宮司

関門海峡と周防と姫島

姫島村

 

12

古川 清久

元自治体職員

「有明海異変」著

blogひぼろぎ逍遥(跡宮)外管理者

古代豊の国は関門海峡を挟んで長門まで及んでいた防府の玉祖神社とは何か?“

日田市

 

13

予備

宮原 誠一

Blog「宮原 誠一の神社見聞諜」管理者

神武と天照は福岡市南区柏原と桧原に住んでいた

久留米市

 

14

予備

Dr.大津 忠彦

出光財団イラク発掘調査団研究員

「イラクの洪水伝説とノアの箱舟」

イラク発掘調査の別バージョン

小郡市

 

0

別枠 佃 収

古代史研究家

新「日本の古代史」(佃説)外数

「倭の五王」の倭国(佃説)から再度

埼玉県越谷市在住

玉名出身

 外にも講演可能な方はおられますが、年に10回程度の講演では椅子取りゲームになってしまいます。

当然にも、久留米市、熊本県西原村、小郡市、佐賀市などでのサテライト開催も含め自前でこれだけの論者を保持できれば教育員会関係者、学芸員などから通説まがいの情報を鵜呑みにする必要もないはずで独自の研究体制を維持できるはずです。

講演依頼も含めご提案があればご連絡ください。太宰府地名研究会(編集員)古川 090-62983254

太宰府地名研究会+丁巳歴史塾20233以降のスケジュール


以下はあくまでも仮案です! 4月期 2023416日(日)13:001630 :参加費資料代1000円 

つい最近、熊本城の敷地の一部から甲子年号象嵌鉄剣が出土しています。この古代刀剣の話を伊藤女史に…

後半は古刀を含む刀剣について田中興人(日本美術刀剣保存協会佐賀県支部長)の講演で調整中です!

  伊藤まさ子(「太宰府・宝満・沖ノ島」著者)   田中興人(日本美術刀剣保存協会佐賀県支部長)

於:北九州市小倉北区大門一丁目643号 九州市生涯学習総合センター 上質の刀の実物にも遭遇か…!


激変する国際情勢の激変の中で新年を迎えました。さる129日には福岡市南区の油山の麓の柏原、桧原という古代史の舞台と考える両地区の羽黒神社、五社神社、埴安神社への新春三社詣りトレッキングを普段を超える25人の参加で行いました。この企画は宮原誠一氏のブログに端を発したものでした。当日はblog「宮原誠一の無題.png神社見聞諜」の宮原氏の案内もあり参加者一同が感激されていた様でした。さて、春から百嶋神社考古学の勉強会が始まります…としましたが、講師の宮原さんの意向もあり数か月間見合わせます。同氏は筑前、筑後の神社研究の第一人者ですが、諸般の事情で遠方での講演が出来ません。そこで集まり易い西鉄甘木線沿線の市の施設で貴重な神社の話を聴きたいと思っています。なお、春からできるだけ早い時期に開始しする方向で検討中です。興味をお持ちの方は「宮原誠一の神社見聞諜」207“福岡市桧原の天照大神祭祀氏族”をお読みください。三社詣りの意味も分かります。柏原には神武天皇が、桧原には天照大御神の御弟姉が居らたのです。その地名が奈良の橿原考古学研究所神武陵、天照ともされる三つ鳥居の桧原神社になっているのです。

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今年度から一年分の講演予定を立てておくことになりました。

 現在、提携グループの丁己歴史塾と太宰府地名研究会とは北九州市の小倉を中心に講演会を続けていますが、佐賀県、大分県、熊本県…にもメンバーがおられることから、西原村、久留米市、小郡市…などでも講演会を行っています。

 ただ、講演の順番についてはその都度事務局からお願いして行く事にしており、実際にはこれ以外にも他地域での講演会も含め、神社トレッキング、古墳群トレッキングなども行いますので、スケジュールの調整もあり、全てを消化できるわけでもないと思います。

当然、積み残しも発生しますので、それは翌年廻し、他のサテライト研究会での講演に回っていただく場合もあると思います。


 ここで考えるべきことがあるのですが、現在、多くの史談会、郷土史会、地名研究会が研究者と世話役の高齢化から組織の維持が困難となり、何とか、通説で塗り固められた教育委員会関係者、学芸員の手当てで存続していましたが、それも限度があり、自然消滅から解散へと向かう例が続出しています。

 それ以上に、全国には50を超える邪馬台国候補地がありますと主張するような全国邪馬台国シンポジウムから村興し町興しから果ては世界遺産登録へと官製文化運動が仕組まれ、地域文化、地域の歴史研究の消失が顕著となりつつあります。

 このため、通説と衝突する九州王朝説はもとより、さらに深層の探査に前進する佃収九州王朝説さらに異端の神社研究、百嶋由一郎神社考古学に至っては、そのような親睦会まがいの歴史研究から独立した研究姿勢を維持することが出来ているのです。

 それを可能にしたのは、研究者中心の研究会(終戦直後に勃興した郷土史会、史談会とはそういったものだったのです)がまがりなりにも成立しているからであって、通常、年に10回も研究会ができない体たらくの団体が多い中、多くのブロガー、ユーチューバーに加え著書を出し続ける研究者、フィールド・ワーカーを維持できているからこそ研究会の存続が可能になっているのです。


天氏と卑弥氏との二流の渡来ルートに関しては、佃 収 HP新「日本の古代史」()から

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posted by 新ひぼろぎ逍遥 at 00:00| Comment(0) | 日記