948 2023年新春三社詣りトレッキング ”福岡市南区油山直下 柏原 桧原の神武、天照居住地を探る”
20230211
太宰府地名研究会 古川 清久
太宰府地名研究会は2023年1月29日福岡市南区の油山直下で三社と巨石ポイント夫婦石への新春三社詣りトレッキングを行いました。そのコース案内資料をご覧頂きます。
配布資料は別で大量です。先行ブログの944、945もその一部です。
2023年1月下旬に列島を襲った猛烈な寒波は南の九州北部にもそれなりの寒気を送り込み、どれほどの参加があるかは心許なかったのですが、蓋を開けてみると最近のトレッキングよりも幾分か多い25人近い人が参加されていました。本来、もっと早く集合しておくべき私達の方が多少遅れ気味に到着したのですが、既に油山の裾野の羽黒神社の駐車場には早くも10台近い車が集まっていました。
熊本には呼び掛けていませんでしたが、どうやら、直接電話で参加を呼びかけ予定していた以上の参加があり武漢肺炎騒動によって参加を控えておられた方が多少は復帰されたりしておられるようでした。

2023年1月29日(日)2023年新春三社詣り 10:00
福岡市に神武天照が住んでいた現地を探るトレッキング
集合場所:福岡市南区柏原羽黒神社(福岡県福岡市南区柏原372)参道駐車場
午前10:00〜(雨天は2月翌週に延期)羽黒神社、五社神社、埴安神社を巡ります。昼食:寒い時期ですので昼食はジョイフル桧原店を予定!百嶋由一郎は、“神武は柏原に天照は桧原に住んでいた”と言われていました。奈良(実はテーマ・パーク)の樫原と檜原のルーツはこの地なのです。宮原氏参加予定…
通説では天照から数世代降って神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)とのでたらめな系譜が流通していますが、それは神武僭称贈る崇神(ハツクニシラススメラミコト)を初代天皇にしたいという後の藤原氏の意向が働いているのであって、神武がウガヤフキアエズの子などと言うインチキ神話が創られたのです。
故)百嶋由一郎は生前“神武天皇は福岡市南区柏原に、天照大神は同じく南区桧原に住んでおられました”と言われていました。今回はこれを樋井川が古代博多湾に注ぐ現場で確認するトレッキングです。

集合場所:福岡市南区柏原羽黒神社(福岡県福岡市南区柏原372)参道駐車場
神社を挟んで付近にはスーパー・マーケットマルキョウ柏原店 福岡市南区柏原6丁目19−1もあり
午前10:00〜 (雨天は2月翌週に延期)昼食:寒い時期ですので昼食はジョイフル桧原店で!
オープン参加(一般の方も気楽にご参加ください)資料代500円 基本は各自車の用意を…
コース:羽黒神社→埴安神社→五社神社→夫婦岩(上の画像は夫婦岩から)
➀ 羽黒神社 福岡市南区柏原372 ジョイフル桧原店 桧原5丁目10−30
➁ 埴安神社 福岡市南区柏原4丁目20−4 キッチン サカトキ 桧原5丁目24−13
➂ 五社神社福岡市南区桧原2丁目24−20 志のぶ刻の森 桧原6丁目 1‐1
➃ 夫婦岩 福岡市南区桧原855−1 昼食候補地 090-1971-7292 090-566-1988
➀ 羽黒神社 祭神 大巳貴命左脇殿 天神社(菅原道真公) 右脇殿 綾部神社
大己貴命は、日本書紀では「己」だが、境内案内には「巳」だった。 旧無各社
境内社の天神社祭神は、境内案内には菅原道真となっているが、福岡縣神社誌では埴安神。福岡では埴安神を祀る地禄神社や十六天神社等があり。 敬愛する玄松子様による


畝傍山(うねびやま)の北東の麓、橿原神宮に北接する神武天皇陵は、円丘で周囲は約100m、高さ5.5mの広い植え込みがあり、幅約16mの周濠をめぐらせています。
日本書紀、古事記によると、初代天皇とされる神武天皇(在位:前660年〜前585年)は日向(宮崎)地方から、瀬戸内海を東に進んで難波(大阪)に上陸しましたが、生駒の豪族に阻まれたため、南下して熊野に回りました。そこで出会った3本足の「八咫烏」(やたがらす)というカラスに導かれて、吉野の険しい山を越えて大和に入り、周辺の勢力も従えて、大和地方を平定しました。そして、紀元前660年の1月1日(新暦2月11日)に橿原宮で即位し、初代の天皇になりました。
要は、福岡市南区の柏原から移動しているのです。遺骨を移しているかは発掘させない以上分かりません。
➁ 埴安神社 祭神 埴安大神 埴安大神は 天照大神のご兄弟で土神様などと言われるとか。誤まり

➂ 五社神社 祭神 住吉神・春日神・志賀神・神功皇后・玉依姫命 この住吉は底筒男=開化ですね
宮原誠一氏は五社神社という社名は、御所の置き換え文字であって、御所のニュワンスが残されていると言われました。すると、事務局の中島氏が、従来の持論ですが、神社を巡っていると、造幣局が使う五の文字が使われる例に遭遇する…という話を始め、この五社神社でも使われていると言ったのでした。
これについては以前も八女市の神社で遭遇しましたが、もっと多くの例を拾い論証しなければなりませんね。神額の文字もこれが使われています。

以下は奈良県桜井市の檜原神社(主神:天照大神)です。殷の鳥居(通称三鳥居)とも呼ばれますが、桜井市の大神神社の公式サイトからご覧いただきます。
この地は、崇神天皇の御代、宮中よりはじめて、天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託されてお遷しになり、「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立て、お祀りされた「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」であります。
大御神のご遷幸の後も、その御蹟を尊崇し、檜原神社として、引き続きお祀りし、「元伊勢(もといせ)」と今に伝えられています。
境内には、昭和61年11月5日、豊鍬入姫命を祀る豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)が鎮斎されました。万葉集等に「三輪の檜原」と数多く詠まれ、山の辺の道の歌枕ともなり、西につづく檜原台地は、大和国中を一望する絶好の地であります。
豊鍬入姫命も神武僭称贈る)崇神の息子の一族ですね。


今回は最も寒い時期でもあり、移動距離も短いため3社+巨石を巡りますが、各自防寒対策をしっかりお願いします。可能ならば御杖代として宮原誠一氏に御出でいただきます。尚、オープン参加ですので、参加希望の方は090-5289−2994(事務局中島)or09062983254(古川)まで。参加費資料代500円
今回は無理を押して宮原誠一氏にご案内いただきました。普段遭えない宮原氏に初めて会われた方も多く皆さん感激しておられました。
この巨石は神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)も天照=卑弥呼もご存じだった可能性があります。
九州では極寒に近い凍てつく寒さの中よく集まっていただき有難く思っております。
改めて、ご参加頂いた方々、それを快く送り出していただいた周辺の方々にも感謝申し上げたいと思います。
今回、熊本からはお誘いしませんでしたが、天照、神武の実在を実感されたようです。



002百嶋系図(極秘)003込
「宮原誠一の神社見聞諜」近稿 207 「福岡市檜原の天照大神奉祭氏族」をお読みください!
ひぼろぎ逍遥(跡宮)971〜972「宮原誠一の神社見聞諜」No.207 福岡市檜原の天照大神奉祭氏族 の転載 ❶〜❷ も公開予定ですので、3ケ月後にはアップします。