945 「宮原誠一の神社見聞諜」No.209 幻の元伊勢・福岡市の檜原神社を求めて ❷
“福岡市檜原の天照大神奉祭氏族”宮原誠一の神社見聞牒(209)令和4年(2022年)12月08日からの転載
20221209
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
本稿は 944 「宮原誠一の神社見聞諜」No.209 幻の元伊勢・福岡市の檜原神社を求めて ❶ の続編です。前ブログをお読みでない方はそちらを先にお読み頂き、以下に入ってください。

立野の天満神社は表向きであり、本質は「熊野神社」で、三体のご神体の配祀は熊野神社そのものの神様でした。
(左)事解男命(ことさかお) 金山彦(イザナミの兄)(中)熊野速玉男命(くまのはやたまのお) 大幡主
(右)熊野夫須美命(くまのふすみのみこと)別名伊弉冊尊(いざなみ)で大幡主の妃
立野の天満神社は宮地嶽の麓にあり、宮地嶽には宮地嶽神社が鎮座です。その東の宮野には開化天皇を祀る宮野神社があり、さらに東の久重には開化天皇を祀る老松神社があります。五社神社の日輪紋章は正八幡大幡主の紋章となります。物部神額、仁徳天皇の「あやめ紋」、地籍字の「猿田」からすると、仁徳天皇と猿田彦(彦火々出見命)が考えられます。拝殿の屋根には唐破風がなく流し造りで、龍の彫刻もあません。ということは、正八幡大幡主は主祭神ではありません。
立場上、仁徳天皇を主祭神に、彦火々出見命(猿田彦)、正八幡大幡主を祭神とする神社は物部神社そのものです。
■境内末社の天神社
本殿両脇に鎮座の天神社は大正15年5月、檜原一丁目藤ヶ丘から五社神社の末社として遷宮しています。

埴安神 右側神(向かって左) 垣安神 左側神(向かって右)
天神社の祭神は埴安神(右)、垣安神(左) であり、埴安神は埴安彦(大幡主)、垣安神は埴安姫です。配祀の位置からして、向かって右の垣安神(埴安姫)が上格となります。大幡主の妹さんの埴安姫も考えられますが、それでは上格神とはなりません。埴安神を夫婦神とすれば、大幡主より上格の女神は大日孁貴(天照大神)となります。
大幡主と大日孁貴(天照大神)を夫婦神として祀る神社が、西隣の那珂川市導善の天神社(てんじんじゃ)としてあります。
さらに、福岡県に大幡主と大日孁貴を共に祀る神社が存在します。特に三社が糸島地方に鎮座です。大幡主の神は「国常立尊」あるいは「埴安命」の名で祀られています。
勿論のこと、博多の櫛田神社は大幡主(櫛田大神)と天照大神(大日孁貴)を主祭神とします。
井田原神社(いだはらじんじゃ)福岡県糸島市志摩井田原1
油比神社(ゆびじんじゃ)福岡県糸島市油比187
荻浦神社(おぎのうらじんじゃ)福岡県糸島市荻浦144
鷂天神社(はいたかてんじんしゃ)福岡県朝倉市上浦230 境内社 大神社
櫛田神社(くしだじんじゃ)福岡市博多区上川端1-41
佐賀県神埼の櫛田神社も当初は大幡主(大若子命)と天照大神を祀ります。後に、祭神の大幡主と天照大神が消えて、素戔嗚尊(右)、櫛名田比売命(中)、足名椎手名椎尊(左)を祀る稲田神社(仮称)に変遷しています。
天神社 福岡県那珂川市(旧岩戸村)道善321 (No.123)祭神:大幡主と大日孁貴(天照大神)

鷂天神社 福岡県朝倉市上上浦230 (No.103 208)
祭神:高皇産霊命(たかみむすびの) 大日霊貴命(おおひるめむち)=天照大神
由緒:元和年中(1681) 隼鷹神社(小郡市力武)より勧請
祭神の高皇産霊命は、実際は神皇産霊命=大幡主です

境内社 大神社(埴安命=大幡主=神皇産霊神・大日霊貴尊)

埴安二神(埴安神)ですが、私は今まで、勘違いをしていました。
埴安神 → 埴安彦・埴安姫 → 大幡主とその妹の埴安姫と見ていました。考えてみれば、「きょうだい」揃って祀る神社はまれです。二神では夫婦か親子が主に祀られています。
大幡主とヒミコ様を夫婦で祀る神社は広く多くあります。今までの埴安神は大幡主とヒミコ様ではなかったのかと、思っています。
櫻庵幸縁のブログ(ミステリー「192」五社神社 2022-12-03)から
福井県大野市蕨生(わらびょう)の埴安神を祀る神社で見つけました埴安姫神社「垣安比賣命」
ということは…埴安姫となります。外に出されておりますが…もともとは大幡主と天照大神のご夫婦をお祀りする神社だったのでしょう

※山形県鶴岡市羽黒町に埴山姫神社(埴山姫=埴安姫)があります。
柏原の羽黒神社の古宮は埴安神社でした。なにか関連がありそうです。
春先から福岡県久留米市北野町(西鉄甘木線沿線 大城、金島)の公共施設に於いて宮原誠一氏による神社の勉強会を始めます。詳細は決まっていませんが、平日のAグループと土日組Bグループに分け「宮原誠一の神社見聞諜」から抽出し講義を行って頂きます。二つのグループ分けていますが同一テーマを隔月で行い(つまり毎月行うわけで両方とも参加は可能です)、相互乗り入れは可能です。参加費1000円程度、時間は2〜3時間を考えています。 メンバーばかりではなく、飛び入りも含め一般も参加できる勉強会の予定です。 参加希望の方は 編集員 古川 090-6298-3254事務局 中島 090-5289-2994 まで
これについては、現在、宮原さんの都合で保留しております。

■「五社」は「御社」ではないか?
「No.137「五郎」は神の御子の隠し当て字であった 2020年03月17日」から
人名に「五郎」という名をよく見かけます。世間一般では、五男坊の意味にとられます。実は、この「五郎」の名は別の意味が隠されているのです。「五郎」は「御子 みこ」という意味で、御子の隠し当て字なのです。
五郎(ごろう) → 御郎 → 御子(みこ) → 皇子(みこ) (単純な流れで見た場合)
五郎(いつお) → 伊都男(いつお) → 稜威男(いつお) 神聖な男
御子神社 → 皇子神社(みこ) 五社神社 → 御社(おやしろ)神社
五道神社 → 御童神社・五郎神社 → 皇子神社(みこ)
五社神社の祭神は「五社」に合わせた寄せ集めに過ぎません。五社の祭神に相互関連性はありません。
五社神社の五社大明神の五社は「御社」ではなかったのか、と思うのです。
五社神社とは後の社号ではないでしょうか。五社を御社(おやしろ)とすると、神社の意味が本質的に変わります。檜原の御社とすると、檜原神社そのものになるのです。
■栞(連理の枝)
参道の左に「夫婦円満」と「連理の枝」を案内する「栞」の立て看板がありました。
栞(しおり)
五社のやしろのこの庭に 奇しくも生を共にせる モッコク・ナノミの情深く 仲睦ましく美しき 友愛の二字のしるしとして お詣人に心添ひ 久遠のさかえを営まむ 左の二本の木(モッコク・ナノミ)は相互に根がからまり、融合して見えることから中国唐の詩人白居易の長恨歌の一節
天に在らば 願わくば「比翼の鳥」 地に在らば 願わくば「連理の枝」とならん に その意を重ね 恋人愛(縁結び) 夫婦円満の象徴の御神木として大切に見守っていきたいと思います。
五社神社 氏子 崇敬会一同

当ブログ「春と岬 早く来い暖かい春」2022年2月2日 において
「火と水を飛ぶ比翼鶴」で、「比翼鶴」と「連理枝」を述べています。
初春や はつはるや 陽と波に飛ぶ ひとなみにとぶ 比翼鶴 ひよくつる
天に在(あ)りては 願わくば 比翼(ひよく)の鳥と作(な)らん、地に在(あ)りては 願わくば 連理(れんり)の枝と為(な)らん (白楽天)
比翼の鳥
地上ではそれぞれに歩くが、空を飛ぶ時は翼を並べて飛ぶ鳥、
後の人は仲のいい夫婦を「比翼の鳥」と言った。
連理の枝
並んで生えている二本の木で、上の枝が繋がっている状態。同じ趣旨の案内を読み、感慨深いものがありました。この記事は元伊勢・檜原神社(五社神社)のために書かされたものかと。

■幻の元伊勢・福岡市の檜原神社とは
幻の元伊勢・檜原神社とは、福岡市南区檜原一丁目藤ヶ丘(大字檜原字天神)にあった神社ではないでしょうか。
福岡市の元伊勢・檜原神社は、奈良県桜井市大字三輪の檜原神社(ひばら神社) に遷宮していますので、時期は不明ですが、その藤ヶ丘の跡に二つの社の小さな天神社を創建されたのでは、と思うのです。その天神社は大幡主と大日孁貴(=天照大神)を夫婦で祀ります。
比翼鶴 檜原の丘に 連理の枝
どこまで、ご縁は御縁を呼ぶのでしょう。ご縁の共鳴です。
いい神社探訪でした。良い御縁でした。良い御縁はいつまでも永遠に続きますように。