2024年12月01日

新ひぼろぎ逍遥@1041 南魚沼への神社調査(下調べの作業ノート)⓭坂本神社を解明しましょう(D)1

新ひぼろぎ逍遥@1041 南魚沼への神社調査(下調べの作業ノート)坂本神社を解明しましょう(D1

20240506

太宰府地名研究会 古川 清久


 南魚沼に入るのは今回が初めてとなります。その下調べによって坂本神社を2社発見しました。少し調べるとこの神社が福岡県筑後地方から移動してきたものである事が分かってきました。

 このため坂本神社が九州起源であることを説明することが迫られました。

 これについては、当会でも筑前筑後の神社研究のエースに登場して頂くことにしました。

 太宰府地名研究会(百嶋神社考古学)でも筑前、筑後の神社研究の専門家である宮原誠一氏による坂本神社への考察を全文ご紹介することにしました。

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以下をお読みください。そして余裕がある方は外もお読みください。


No.70 高良九体皇子と坂本命と二人の門神様 @    初めはこちらから

No.71高良九体皇子と坂本命と二人の門神様 A    同じく

No.180 筑後川河北の王子宮は坂本命を祀る坂本神社@直接的に坂本命についてはこのブログを

No.181 筑後川河北の玉垂御子神社(王子宮)A     その上位の玉垂皇子神社についてはこのブログ

宮原誠一の神社見聞牒(181)

平成30(2021)1108

No.181 筑後川河北の玉垂御子神社(王子宮)A


久留米市山川町阿志岐の高良玉垂命の御子九人を祀った高良御子神社(王子宮)の本殿の中の「九躰皇子」の様子です。(昭和62(1987)調査 高良御子神社由来記)
本殿の間口二間、奥行一間半、三区画され、それぞれの区画に三祠三御神体あり、御神体は木像計九体です。
第六子・那男美命、第九子・安楽応宝秘命の女神の御神体の後には、それぞれ男神の御神体が鎮座され、夫君と想定します。よって、計11体の御神体が鎮座です。
各間では、1.斯礼賀志命、4.渕志命、7.坂本命が主座のようです。


祭神
     5.谿上命(タニガミ)       ラシ天王
 左間  4.渕志命(フチシ)        トクタツ天王
(
   ) 6.那男美命(ナオミ)       クツツカツ天王

     2.朝日豊盛命(アサヒトヨサカリ) マカクラ天王
 中間  1.斯礼賀志命(シレガシ)     サコウ天王(仁徳天皇)
 (皇后) 3.暮日豊盛命(クレヒトヨサカリ) クマラ天王

     8.安志奇命(アシキ)       タクシュ神
 右間  7.坂本命(サカモト)       シンジ天王
(
国片姫) 9.安楽応宝秘命(アラオホビ)   アマホシフカトク天王

起建
19代允恭天皇の御宇(412453)、高良の神の御託宣により阿志岐山上(古宝殿)に九躰の社を、大宮司宗崎孝成造立す。
48代称徳天皇神護景雲2年(768年)阿志岐山上(古宝殿)より現在地へ遷宮。


高良御子神社 福岡県久留米市山川町596-1


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高良御子神社()     坂本神社()


「九躰皇子」を祀る分祀の高良御子神社(王子宮)が四社あります。

 1.王子神社 福岡県朝倉市下浦796
 2.玉垂御子神社 福岡県小郡市大板井169
 3.玉垂御子神社 福岡県久留米市北野町金島(南宮司)725
  「No.68 消された北筑後の神功皇后 平成30(2018)7月13日にて紹介」
 4.九躰神社 福岡県みやま市高田町岩津901

その他、王子一体を祀る神社が多数あります。

 1.坂本神社(7.坂本命)   福岡県太刀洗町春日(平田)753
 2.坂本神社(7.坂本命)   福岡県久留米市北野町金島()82
 3.高良坂本神社(7.坂本命) 福岡県八女郡広川町新代(古賀)1987
 4.大隈天満宮(四王子宮)(4.渕志命) 福岡県久留米市梅満町731
 5.玉垂御子神社(1.斯礼賀志命) 福岡県久留米市野中町745
 6.玉垂御子神社(1.斯礼賀志命) 福岡県久留米市藤光町241
 7.天満宮(1.斯礼賀志命)    福岡県久留米市善導寺木塚(木塚)664
 8.日吉神社(8.安志奇命)    福岡県久留米市田主丸町上原(門ノ上)476

単神で祀られているのは、1.斯礼賀志命(シレガシ)、4.渕志命(フチシ)、7.坂本命、8.安志奇命(アシキ)で、安志奇命以外の三柱は主座です。

今回は、由緒で九柱の「九躰皇子」を祀る玉垂御子神社(王子宮)の二社が対象です。
 1.王子神社   福岡県朝倉市下浦796
 2.玉垂御子神社 福岡県小郡市大板井169

■朝倉市(旧甘木市)下浦の王子神社
旧陸軍太刀洗飛行場(現在キリンビール工場があります)の台地東約2.5Km に下浦があり、その北に上浦があります。西の台地は海岸段丘になっており、その渕に沿って九州自動車道が通っています。また、南西約5.5Km に三井郡大刀洗町本郷があり、その村に玉垂命を祀る高良玉垂神社が鎮座です。さらに、南東約5.5Km に上稲数、下稲数があり、南約5Km に川原(こうら)の村があり、これらの村は高良大社に関係します。東の台地の渕の約4.5Km に平塚川添遺跡公園です。
下浦はそれら東西海岸段丘に挟まれた平地にあります。
下浦の王子神社は「九躰皇子」を祀る王子宮です。
正暦元年(990)、下浦の西500mの宮原の丘に高良山の王子宮が815日勧請されました。
保安三年(1123)、宮原の社は下浦村の王子の森(字中村)に遷座。
建保五年(1217)、復本地(現在地字宮崎)に遷座。
後に、大友宗麟の焼き討ち、先の大戦の太刀洗飛行場の空襲時の焼失を経て、昭和27年拝殿を、昭和37年神殿を再建されています。
由緒の元は宝暦九年(1759)宮司・塩柄播磨守盛茂の記録が参考にされています。
氏子さんは、飯田、草場、井上、能登原、高良、信國の方々が大部分です。
神社の形式は坂本神社様式です。氏子さんの軒数も多く、家名も多様なので、祭神が九柱の「九躰皇子」でも理解出来るのですが、坂本命が主祭神のようです。

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のどかな田園に鎮座です、本郷(陣屋川)から王子宮の杜を望む


王子神社 福岡県朝倉市下浦796

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本殿の「松」「竹」「梅」の彫刻 「松竹梅」のイメージは久留米市上津の上津(本山)天満神社を想起させます。「松」は九州王朝、「竹」は正八幡大幡主系、「梅」は天満宮を象徴します。

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境外の神輿の休憩地です、神輿は遥か南まで幸行しています、恐らく、高良系の村、上稲数、下稲数、川原(こうら)まで行かれたのかもしれません、ちょっと遠いので想像です。
田主丸町柳瀬の玉垂神社の神輿は南約1.5Km の以真江まで足を延ばしています。
posted by 新ひぼろぎ逍遥 at 00:00| Comment(0) | 日記