新ひぼろぎ逍遥@ 1048 坂本(阪本)、八木(矢木)姓の方について零れ話 (下)坂本編
20240524
太宰府地名研究会(編集員) 古川 清久
新ひぼろぎ逍遥@ 1047 坂本(阪本)、八木(矢木)姓の方について零れ話 (上)坂本編から続く

百嶋由一郎 012聖神社系譜A
この系譜を見ると彦太忍命の孫にあたるのがイスラエル系の武内宿祢である事が良く分かります。
通説とは異なり、山下影姫と孝元天皇の間に生まれたのが大彦であり、豊後安倍氏、東北の安部氏に繋がるのです。かつて天皇扱いにされ今や架空と貶められた孝霊〜孝元〜開化の九州王朝を示しています。
屋主(ウズ)忍男武雄心命が私が通った佐賀県立武雄高校の傍の武雄神社の主神になるのです(通説

百嶋由一郎 002百嶋系図(極秘)003込
当初、坂本神社については志賀海神社の宮司家の一族は安曇姓を名乗っているが、配下にいる人々は皆坂本姓を名乗っており、海神族であり外洋航海をできる人々であったから、古い時代に列島に入っているフェニキア系の人々ではないかと考えていたのですが、今回、彦太忍信命がヘブライ系である事が漸く分かってきました。知人に阪本様がおられた事から少しお尋ねしたのですが、サカモトでも九州では少ない阪本ですが…と断られた上で話始められました。お父さんが外洋航路の船長だったとも言われており、びっくりしましたと言われたのでした。
実際、サカモト姓は坂本も阪本もあり、大阪城も元は大坂城であった事からどちらも同じ意味である事が分かっていましたので、構わずお話を進めた経緯がありました。
特に家紋についても、跡で三盛亀甲紋に唐花=花菱である事が分かり、アーリア系ではなくヘブライ系なのであろうと、その様に考を改めたのでした。

百嶋由一郎 016‐1金神細密系譜(部分)
実は、私の仲人をして頂いた上司(地方公務員)の坂本様でした。
この方のお父さんも旧帝国海軍の潜水艦の艦長で、本来はアメリカ海軍の、迎撃戦を戦う予定だったのですが、ガダルカナル戦に於ける制空権、制海権の喪失に伴って、丸通業務を行わされ、糧秣(米、味噌、醤油)や弾薬、薬品…をドラム缶に詰め込み補給を行う)という消耗戦に追われ、とうとう米艦船による攻撃を受け、半舷は飢島に上陸させるも残った半舷と伴に今も海底に横たわっておられる…という話をお聴きしたのでした。具体的には申し上げませんが、伊号1号潜の艦長で…その孫(つまり仲人の方の息子様)も三菱重工で新型魚雷の開発に携わっているとお聴きしたのでした。私はその事を偶然ですが戦記としてハヤカワ文庫で読んでいたので驚いたことがあったのでした。
29日1830、ガダルカナル島カミンボ岬付近で半浮上して揚陸準備中、ニュージーランド掃海艇モア、同キーウィの爆雷攻撃を受けて損傷したため、浮上して交戦する。1920、伊1は左舷後部にキーウィの体当たり攻撃を受ける。モアとキーウィの砲撃により艦長が戦死したため、水雷長の是枝貞義大尉(海兵64期)の指揮で南緯09度13分 東経159度40分 / 南緯9.217度 東経159.667度のカミンボ沖合1km地点付近で2315に座礁した。やがて、伊1は浸水で右舷側に大きく傾斜して放棄され、その後沈没した。艦長の坂本榮一少佐以下乗員27名が戦死し、66名が生存した。その後機密書類の一部が回収され、海岸で焼却された。しかし、艦内の暗号書等の機密書類のほとんどは処分が不徹底のままだった。生存者は艦内の機密文書の捜索のために乗員2名を残してガダルカナル島に上陸し、後に帰還した。30日、モアは機密文書を捜索中の生存者2名を発見し、1名を機銃で射殺して1名を捕虜にした。生存者からの、機密文書の処分が徹底されていないとの報告を受け日本軍は伊1の処分を行った。2月2日夜、乗員5名と陸軍第1船舶団11名が大発で現場海域に向かい、爆雷2発を使用して艦体を爆破するも失敗。10日、第26航空戦隊第582海軍航空隊の99式艦爆9機が直援の零戦20機とともに爆撃を行うも、1発を命中させたのみにとどまった。11日、米魚雷艇のPT-65が伊1の艦体の調査を行った。13日、ニュージーランド特 設敷設艇マタイと米潜水艦救難艦オルトラン(英語版)(USS Ortolan, AM-45/ASR-5)によるさらなる調査が行われた。この結果、艦内水没部を米軍の潜水夫に隈なく捜索されて20万頁に及ぶ日本海軍の暗号書や機密書類が引きあげられ、日本軍の暗号解読に大いに役立った。同日、姉妹艦の伊2が雷撃処分するために現場海域に到着。15日まで伊1を捜索するも発見できず、さらに米魚雷艇からの爆雷攻撃を受けたため伊2は帰投した。 伊号第一潜水艦 (初代)
沈没した伊1を捜索するアメリカ海軍のPT-65 以上、推敲前草稿
坂本神社を調べているのか知人の阪本さんを調べているのか分からなくなってきましたが、聞くところによれば阪本様の家紋(まだ、確認してはいませんが…)は、三盛亀甲(唐花=花菱)紋とのことです。
間違いやすいのが
三盛亀甲剣唐花紋です(浅井家など)
北近江(滋賀県)の戦国大名浅井長政が有名ですね…阪本様の家紋は三盛亀甲唐花ですので、
になりそうです。出羽米沢藩重臣直江氏(直江兼続).でしたか。
そもそも、博多の櫛田神社の主神=大幡主は三盛亀甲紋ですが、詳しくは三盛亀甲に五三の桐紋であり、天皇家そのものとも言えそうですがそれは誤りで、天皇家と姻戚関係を結んだものである事を示しており五三の桐紋ではなく、天皇家は五七の桐紋なのです。
ただ、第九代開化天皇=久留米の高良山に祀られる高良玉垂命はただのシンプルな唐花紋=花菱紋なのです(右下)。表向きは左三つ巴紋、裏紋に木瓜(モッコウ)紋にしていますがそれは臣下の紋なのです。
ここまで見てくると、やはり阪本様も志賀島の氏子の一族の坂本様で良いのではないかと思います。後は、詳しくご一族の方から取材させて頂く事にします。 その方が阪本様により近いような気がします。