2023年07月27日

950 15世紀の神殿がそのままの形で残されていた ”伊万里市波多津町畑津 田島神社“

950 15世紀の神殿がそのままの形で残されていた 伊万里市波多津町畑津 田島神社“

20230213

太宰府地名研究会 古川 清久


この間、佐賀県在住メンバーの増加に合わせ、少しずつですが佐賀でのトレッキングを行っています。

既に、トレッキングを行った所でもある事から、後から加わられた方については分離した形で小規模な現地探訪を行うことになります。これもそうした中の一つですが、伊万里湾に面して唐津市との境界に近い伊万里市波多津町に田島神社があります。

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田島神社 カーナビ検索 佐賀県伊万里市波多津町畑津1260


 波多津町にはこの他に筒井地区、板木地区の二つの田島神社があり、その密度を考えるとこの波多津町とは田島神社の影響下にある土地である事が分かります。併せて、細い水路が神社と神宮寺と考えられる曹洞宗宝泉寺の正面まで船が入ったはずで、奥まった安全な地に同社が置かれていたことが分かります。


畑津 田島神社

    祭 神 多岐津姫   菅原道真   天忍穂耳命

        市杵島姫   伊弉諾命   伊弉冊命

        田心姫    大國主命

田心姫=豊玉姫は山幸彦の妃の後に大国主の妃になりますのでおかしくはありません。


  筒井 田島神社

    祭 神 湍津姫命   大山祗命

        田心姫命   猿田彦命     この枠内の3神は明治五年の無格社の追加とある

        市杵島姫   大山咋命

田心姫=豊玉姫は山幸彦の妃ですので、猿田彦=ニギハヤヒという表現もおかしくはないのです。

 市杵島姫は阿蘇高森の草部吉見の妃になり大山咋を生みますので母と子の関係です。


  板木 田島神社

    祭 神 田心姫命   三島大神   神皇産霊尊 高皇産霊尊(これは三柱なのですか)

        湍津姫命   天満大神   大山祗命 この枠内の7神も明治五年の追加とある

        市杵島姫   品陀和氣命  倉稲魂命          以上「佐賀県神社誌要」

 少なくも三島大神は愛媛の大三島の大山祗神社でしょうから三島大神と大山祗命とは重複に見えます。

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祭神に系統的な統一性がないなあと感じていましたが、明治5年神仏分離令期の反映のようです。

奉斎神を見るとかなり異なった民族が混住していたことが推察されます。

非常に近接した集落でこのような祭神が奉斎されているのは歴史の古さから来るものか、この三集落には異なった氏族であり、父方、母方で異なる家系が反映されているのかも知れません。

 「佐賀県神社誌要」は要点だけを纏めたものです。無いより有難い程度のもので仕方がありません。

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唐津市呼子町の田島神社含めれば10社近い集積が確認できる訳で、宗像大社の辺津宮の大字田島も西から東へ展開したのではないかとの推定が可能かも知れません。

無題.png 1936年の「佐賀縣史蹟名勝天然紀念物調査報告」の呼子町の田島神社の部分を読むとそう書いてもあるのです。

以下伊万里市のHP

(2009108日更新)国指定重要文化財 建造物 田嶋神社本殿

波多津町畑津1260番地 昭和62年(1987)6月3日指定          


この神殿がこれまで見てきたこともないとんでもない素晴らしいものだったのです。

 再度、撮影をし直し皆様にお見せしたいと思います。

 SDカードを抜いていたため撮影できなかったのです。

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画像は「おまいり」より


佐賀県在住者の方はほぼご存じと思うのですが、太閤殿下の大陸進出の前線基地となった唐津市の呼子、旧呼子町の沖に浮かぶ壁島に田島神社(国幣中社)があり、宗像大社と同様の三女神が祀られているという事実でがあります。

佐賀県唐津市呼子町加部島3965-1

主祭神: 田心姫尊 市杵島姫尊 湍津姫尊 まさしく宗像三女神です。

 では、安芸の宮島のルーツと考えている福岡県飯塚市鹿毛の厳島神社をご覧下さい。

 この神社は歴代白王家が守ってきましたが、明治の神祇官からの強要で「白王」姓は天皇に対して不敬として変名を命じられ渋々王の横一棒を抜き白土姓に変えておられます。宮司家男子だけは白+、を使用することにされています。

宗像三女神の筆頭に掲げられる事の多い市杵島姫(正確には瀛津嶋比賣命)命の名は由来する以上に、市杵島姫の幼名の佐與姫の佐與という大字が鹿毛に隣接して存在することから、市杵島姫はこの地に住んでいたから佐與姫とも呼ばれていた可能性が考えられるのです。

ちなみにこのは秦の始皇帝の(嬴政=エイセイ=インチョン)でもあるのです。

飯塚市鹿毛馬(かけのうま)の厳島神社は宗像三女神を祀るのは、宗像大社、安芸の厳島神社以上の神格を持った神社だったはずなのです。

そして、その構造は更に東に飛び、兵庫県但馬(田島)に隣接する佐用町の佐用都姫神社の市杵島祭祀にまで繋がっているのです。

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このように宗像系氏族(基本的には天御中主命と金官伽耶にいたトルコ系匈奴ウマシアシカビヒコヂ=大山祗命の父神、大国主命の祖父神)は西から東に展開しているのです。これが畑津、筒井、板木の三社にも大山祗命、大国主命祭祀が残っているのではないかと考えています。

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 それどころか、佐世保の沖、西海市には呼子ノ瀬戸、七ツ釜…玄海灘と対応する地名があるのです

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呼子の田島神社を考える時、佐世保から北上している可能性も見ておくべきなのですが、やはり重要なのは、大幡主=カミムスビ神の社としての田島神社の東への移動を意識しておくべきで、分かり易い例は、唐津市湊(湊厄神社あり)の「湊」地名と、宗像大社の辺津宮正面の神湊の「湊」地名であり、この湊地名は日本海側に展開しているのです。

 山口県長門市仙崎、島根県太田市湊、温泉津町福光湊、鳥取県境港の湊町、鳥取県岩美郡岩美町湊神社、岡山県岡山市中区湊、兵庫県南あわじ市湊…まだまだありますが、これぐらいで、残りは皆さんで。

 では、宗像三女神を奉斎する氏族とは一体何なのかを考えておきましょう。

学者の世界でも始皇帝はイスラエル系であり、周王朝も同様だと言う話は比較的流通していますが、百嶋由一郎氏も同様の話をされていました。ここでは百嶋先生が残された最終神代系譜から改めて考察したいと思います。

ただ、三女神は姉妹であるなどと言った話は誤りですので、始めからそのような事は頭の片隅から消し去っておいていただきたいと思います。

 勿論、親族ではありますがかなり離れているものもあり、まあ、大きな葬儀などでは一堂に会することもあるだろうと言う程度の関係ではないかと思います。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


無題.png これまでにも何度となく触れていますので説明はしませんが、鴨玉依姫が京都の下賀茂の主神になっており、豊玉姫は田心姫、市杵島姫はスセリ姫…に対応します。



posted by 新ひぼろぎ逍遥 at 00:36| Comment(0) | 日記
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