995 後にキッコーマン醤油を造る事になる人々は太古有明海から東に向かったのではないか ➊
“香取宮の神宝の鏡の裏には博多の櫛田宮のカミムスビ=大幡主の三ツ盛亀甲紋が打たれていた”
20231108
太宰府地名研究会 古川 清久
現在、とんでもないタイトルの講演用パワー・ポイントの最終チェック段階で、予定では11月26日(日)に福岡県筑紫野市の生涯学習センター「紫」で 13:00からお話をさせて頂く事になります。
今回、講演を重視し、ブログを書く前にパワー・ポイント作成を優先したのでした。
まあ、あくまでも私の基準ですが、何とか話せるレベルのものになったと思うと、ブログとして公開しようと書き始めたのでした。
実はP.P.で400シートの長編になりますので、予想ではブログで数十本程度にもなりかねないものになるかも知れません。
またかよ、…と不評を買うかも知れませんが、残りの人生も少なくなってきましたので、これ以上考えずに書き始める事にしたものです。ちなみに、以下は、パワー・ポイントのトップ・シートで、キッコーマン醤油の公式HPでも非常に印象深い品の良い画像でしたので勝手ながら借用させて頂いたものです。
このようなでたらめな内容で我が社を愚弄するな!とお怒りの場合は直ちに伊勢エビのように頭を下げて下がらせて頂きますのでその点はご容赦頂きたいと思うものです。
太宰府地名研究会のものとしては後世に伝えるべきものと思いますので、内部ではできるだけ継承したい歴史の一齣と考えているところです。始めは基礎的な話ですが亀甲萬醤油を考える事になります。

なんとも凄まじいとんでもないタイトルですが暫らくご辛抱下さい…徐々に分かってくるでしょう…もう少し説明を加えれば、後にキッコーマン醤油を造る事になるキッコーマンのご先祖様は有明海沿岸から東に向かったのではないか…という意味です。
そううまくはいかなくとも何パーセントの方々でも少しは理解できる部分があると言って頂ければ報告者としては有難くも望外の喜びと考えます。まずはキッコーマンを理解することから始めましょう。
キッコーマンのしょうゆづくりの始まりは、江戸時代初期。現在の千葉県野田市で、江戸へのしょうゆ供給地としてその礎を築きました。野田は、関東平野に育まれた良質な大豆と小麦、江戸湾の塩など、原料の確保に最適の土地でした。また、潤沢な水と気候、江戸川の水運にも恵まれ、しょうゆのふるさととして大きく発展と繁栄を続けます。
そして1917年、野田のしょうゆ醸造家一族が合同して設立したのが「野田醤油株式会社」。キッコーマンの前身となる会社です。
野田醤油株式会社は、恵まれた地の利に安住せず、各醸造家の秘伝の技と知恵を結集し、その技術力と団結によって、より高品質で安定したしょうゆの供給をめざしました。設立当時は200以上あったしょうゆの商標も、1940年までに「キッコーマン」に統一され、現在に至るまで、六角形に「萬」の字のマークは「キッコーマン」ブランドのおいしさと品質の象徴として受け継がれています。 同社HPから

亀甲萬は香取神社の中心的社家が始めた
この表現は正しいかどうかは分かりません。こういったものは現地の風土を理解しなければ書けないもので、そういった感覚がないまま書いている事に危うさを感じています。
一つは、野田と香取神社との距離があると言う事で、田舎の神社の氏子総代がそのまま酒造メーカーの会長さんといったものではないはずだからです。
キッコーマンのロゴ・マークは、下総国の一の宮である「香取神宮」にあやかったとされています。香取神宮は「亀甲」を山号としており、神宝は「三盛亀甲紋松鶴鏡」という鏡です。鏡の裏の亀甲模様を図案化し、亀甲にちなんで「萬」の文字を入れたという伝承が残されているとか。2021/10/18
キッコーマン – Wikipedia 20231108 08:27 による
神宝はいくつもあるので分かり難いのですが、亀甲萬は三つ盛亀甲紋の右の鏡(=櫛田神社の神紋)


国宝海獣葡萄鏡 この裏に三盛亀甲紋が・・・この表現も全てがそうかとは言えないのですが
左はスサノウ真ん中が大幡主=カミムスビ、右が本来は大山祗or入り婿の大幡主が天照に換えられた…



この話に気付いたのは10年ほど前でした 画像は博多の櫛田宮正面
東国三社(鹿島、香取、息栖)といわれるものがあります
亀甲萬は香取神社の有力氏子によってはじめられたのです 商号・商標 現社名は、前身8家の合同による野田醤油会社創立に際し、醤油統一商標「亀甲萬」とする。 前身の1つ、茂木佐平次家の用いた商標「亀甲萬」は香取神社の亀甲と「亀は萬年」をかけたとされる。
• キッコーマン - Wikipedia
そもそも 東国三社の神々とは
鹿島神宮のご祭神:武甕槌大神(海幸彦)阿蘇高森草部吉見
息栖神社のご祭神:久那戸神と天鳥船神 ※ 岐の神が分かり難いですがナガスネヒコです
香取神宮のご祭神:経津主大神(山幸彦)
キッコーマンに関係があるのは島原の猛島神社ですが、多くの顔をお持ちの為ニギハヤヒとすれば天照宮、猿田彦とすれば有明海沿岸のそれであり、山鹿の大宮神社も五十の大石塔が居並び、物部の五十猛を意味します。当然、伊勢の二見浦の興玉宮も…と切りがないのです。
ナガスネヒコは今は神武天皇に抗った逆賊とされていますが、関東の東北三社として祀られている事を考えると、まだ対立が鮮明になる前にその末裔が進出し定着し先祖神を祀ったと考える事は許されるでしょう
以下、百嶋神社考古学 百嶋由一郎最終神代系譜から(部分)



にお読み頂き有難いと思っています。
















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