2024年03月27日

1000 後にキッコーマン醤油を造る事になる人々は太古有明海から東に向かったのではないか ➏

1000 後にキッコーマン醤油を造る事になる人々は太古有明海から東に向かったのではないか 

   “そもそも香取神社の主神は布津主と呼ばれていますね、これも大幡主の配下「主」なのです”

20231110

太宰府地名研究会 古川 清久

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故)百嶋由一郎氏が話していた事に山幸彦は多くの地で活動されておられましたが、直接的な本拠地を言えば、“島原市に猛島神社がありますがここだと思っている”と語っていました。

今思えば、大幡主(塩土老翁)=カミムスビ神の指揮下で製塩を行い、それを有明海沿岸どころか九州全域で交易を行っていた事をご存じだったのではないかと思います。

事実、古代日向=宮崎+鹿児島一帯でも塩筒翁と猿田彦を併せ持つ祭祀が確認でき、塩筒が製塩土器である事が分かれば、それ自体も交易品だったと考えられるのです。

焚火に向かい海水を入れた土器を突き刺せば、塩が析出するため、その塩で魚介類を食べていたのです。キッコーマンの醬油差しと同様で、海浜、海辺で重宝な再利用品だったのです。

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 では、布津主=猿田彦=山幸彦=ニギハヤヒ=五十猛=彦穂々出見命…は具体的には何をしていたのでしょう。

 そこで、肥後に於ける猿田彦を主神として祀る神社を調べる事からその正体を掴みたいと思います。

 これには土地勘と神社に対する最低限の知識と真実への探求と言う執念のようなものが必要になります。

 テーマを持って調査に踏み出せば、百嶋先生の時代とは異なり、ネット上には大量の情報が転がっています。問題はそれらを整理し、現地を踏み、百嶋先生が残されたデータを丹念に調べて行けば、ある程度の推定が可能になるのです。実際、先生もそう言われていました。今は感謝しかありません。

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このデータは猿田彦に関心を寄せる方が「熊本県神社誌」を洗い(熊本県外の神社もあります)、データ・ベースを作成されたものです。

 勿論、作成時期はかなり前のため、住所表記と現地が合わず、私も多少苦労しましたが、間違いはないと思います。

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そして、中国には袁浦と言う製塩地もあったのです… これについても後にご紹介いたします。

 いずれにせよ、「新ひぼろぎ逍遥」はこの時点で、通算1000本を達成しました。いずれ、年内にも

「ひぼろぎ逍遥(跡宮)」も1000本をクリアします。スポット、ビアヘロ版と併せ2500本ですね。

posted by 新ひぼろぎ逍遥 at 00:00| Comment(0) | 日記
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