2024年05月24日

新ひぼろぎ逍遥 スポット 329 766 草部吉見から大国主命傘下に移行した市杵島姫

新ひぼろぎ逍遥 スポット 329

766 草部吉見から大国主命傘下に移行した市杵島姫

20190627

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


これまで市杵島姫は草部吉見のお妃である事を何度も書いてきましたが、同時に大国主命(従って宗像大社の本当の祭神も大国主命なのです)のお妃であることも書いてきました。

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数字は2000年を基準とした生年であり、大山咋は1838歳、下照姫は1823歳ですので大国主が後になる

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政略結婚としても、では、何故このような変化が起こったのでしょうか?

 その背景を探るとしても、暗中模索になるのですが、一つだけ思いつくものがあります。

 それは、糸島半島の白木神社や登志神社の祭礼などに残る「馮河黎来」(ヒョウカリーライ)という掛け声です。

 これについては何度か書いていますので繰り返しませんが(関心をお持ちの方は以下をお読み頂きたいと思います)、この問題の背後には、海幸彦系(草部吉見)−高木大神 と 山幸系(ニギハヤヒ=猿田彦=ヒコホホデミ)−大山祗+大幡主〜ヤタガラス との対立関係があり、草部吉見系から大国主系へと民心が動いたのではなかったかと考えています。


ひぼろぎ逍遥

637

ヒョウカリイライ(馮河黎来)改訂版


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

ビアヘロ066 ヒョウカリイライ(馮河黎来)補足


 しかし、興ツ姫と大山咋(二人とも古代に於いては成人に近い青年ですが)を連れて…という百嶋想定は凄いと思っています。

 いずれにせよ、北部九州を巡って、高木大神(彦山+糸島半島)VS 大山祗+大幡主〜ヤタガラス、海幸彦 VS 山幸彦 の対立構造が見えてきます。

 その後は、宗像大社が大国主命が隠し、筑豊から物部氏=ニギハヤヒ系が排除され、藤原氏(草部吉見後裔)…といった情勢の変化が認められることから、この政略結婚もその影響を反映しているのではないかと考えているところです。

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