2024年06月30日

スポット333中津市耶馬溪町金吉の土砂崩落から6年経過するも「風化させるな!」だけで済ますお歴々

スポット333中津市耶馬溪町金吉の土砂崩落から6年経過するも「風化させるな!」だけで済ますお歴々

20240412

太宰府地名研究会 古川 清久


“「あっという間だった」6人が犠牲となった土砂崩れから6年 遺族などが慰霊碑に手を合わせる”といった記事がかなり出ていましたのでご紹介します。

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カーナビ検索 大分県中津市耶馬溪町金吉地区


 6年前、京丹後周辺の神社調査を終えて自宅に戻ってくる途中でしたか、非常に珍しい災害でしたので、直ちにこの現場に入りました。

 これについては、直ちにブログを書いてアップしています。ひぼろぎ逍遥スポット175    20180412

 中津市耶馬溪町金吉の土砂崩落はなぜ起きたのか! “雨も降っていないのに…?”

 という訳で、6年ぶりの追悼式が行われ各界のお歴々が参列されたという訳です。

以下、二つほどのつい最近のネット記事をご覧下さい。


NHK 大分 NEWS WEB

耶馬溪土砂崩れから6年 慰霊式で遺族らが追悼              0411日 1206


中津市耶馬溪町で6人が亡くなった大規模な土砂崩れから11日で6年です。

現場では慰霊式が行われ、遺族や市の関係者などが亡くなった人たちを悼みました。

2018年4月11日の未明、中津市耶馬溪町の金吉地区で突然、山の斜面が崩れ、住宅4棟が巻き込まれて6人が亡くなりました。

発生前に大雨や地震などはなく、専門家の調査委員会は主に地下水と地質の影響で地滑りが生じたと結論づけています。

発生から6年となる11日、現場に建てられた慰霊碑の前には中津市の前田良猛副市長や遺族など20人余りが訪れ、はじめに亡くなった人たちに黙とうがささげられました。

このあと前田副市長が「二度とこのような災害で犠牲者を出さないよう、市民と力を合わせて防災・減災対策に取り組んでい無題.pngく」と述べました。

土砂崩れで母親と弟を亡くした遺族の岩下一行さんは、「この6年は時がたつのが本当に早かった。自然災害は避けられないが風化だけはしてほしくない」と話していました。

また、当時、消防団員として救助活動に参加し同級生の友人を亡くした男性は「当時のことが目に焼き付いて、悲しい気持ちが大きい。自然災害はどこでも起こりうるので、いまは啓発活動を頻繁に行っています」と話していました。

中津市では4月11日を「防災を考える日」と定め、毎年この時期に市の幹部などを対象にした防災研修会を開いています。

もう一つネット記事から 無題.png をご覧下さい。


山崩れ6年 防災誓い新た 耶馬渓 遺族ら慰霊碑参拝                2024/04/12 05:00

スクラップ

 無題.png慰霊碑に献花する前田副市長

 中津市耶馬渓町金吉で6人の住民が犠牲になった山崩れから6年となった11日、現場の慰霊碑に市の関係者や遺族らが参拝し、追悼の祈りをささげた。 2018年4月11日未明、地震や大雨といった前兆もなく、この地区で山の斜面が幅約160メートル、長さ約220メートルにわたって崩れた。地下水などが影響したとみられるという。住宅3棟が土砂に埋まって6人が亡くなったほか、修復工事中にも事故で1人が亡くなった。市はこの日を「市の防災を考える日」と定めている。

慰霊碑には、市幹部ら12人が訪れて黙とう。奥塚正典市長の職務代理者を務める前田良猛副市長が献花し、「二度とこのような災害で犠牲となる方が増えることのないよう、防災、減災対策に取り組むことを誓う」と慰霊の言葉を述べた。母親と弟を亡くした岩下一行さん(55)は、家の跡地に農機具用倉庫を建てて農業を

継いでいる。参拝後、岩下さんは「七回忌の法要をして一つの区切りにはなったが、能登半島地震(の惨状)を見て、改めて犠牲になった弟たちの苦しみがしのばれる。自然災害は防げないが、予防が出来るんだったら、皆さんで力を出し合ってほしい」と話していた。


 さて、今でも覚えていますが、京丹後市で車中泊を続け、かなりの神社を見てそろそろ戻ろうかと思っていましたが、当時も数日来強風が吹き荒れていました。

 九州に戻る途中も強風が止みませんでしたが、帰路、大雨でもないのに耶馬渓で大規模な崖崩れが発生したというカー・ラジオの報道を聴き込みました。

 少し迷いましたが、手前100キロぐらいで耶馬渓町へとハンドルを切りました。当研究会の研修所がある日田市天瀬町と同地はかなりの距離はありますが山を挟んだ東西と言った位置関係になるのです。

 被害地の画像はご覧になっているでしょうが、34戸の家屋が土砂崩れによって押しつぶされ、6人が犠牲になっておられたのでした。

 当時も直ちにリポートを書き、ネットにアップしています。今回スポット332で再掲載しています。

 もうあの自然災害と言うよりも実際には必然性を持った事件であり、その行政に起因する事故から6年が経過してしまったかと思うと時の移ろいの恐ろしさ残酷さには心が揺さぶられます。

 現地に到着したのは、山陰を駆け抜け関門海峡を渡り、耶馬渓まで入るのですから二日を要し(基本的には金が掛かる高速は殆ど利用しませんので)、到着した時には夥しい数の報道機関と、陸上自衛隊、土木業者、消防団、行政機関などこの過疎地に無題.pngは人口の何十倍もの人員が集結されていたのです。

 当方は、同地区の人間ではありませんが、地元に住む者ではありますので、無用な見物人扱いはされなかったからか幸いにも規制ポイントを通過することができたのです。

この衝撃的な災害現場を目撃し直ちにこの事件の本質を伝えなければならないと写真を撮り始めたのでした。

 “報道機関は一杯集まっているではないか、邪魔をするな”とお考えの方もおられるかも知れませんが、既存の報道機関は、地元の末端行政から県農林部、林業者と気脈を通じています。増してや農水省の林野庁に対する無批判な友好関係の維持による連携を忘れませんので確信に迫る本質的な報道はさらさら期待することなどはできない事は容易に想像できます。

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ご覧の通り夜間でも作業を行える救出のための基地が出現していたのです


さて、引用した報道記事で最も重要な部分は以下なのです。


2018年4月11日の未明、中津市耶馬溪町の金吉地区で突然、山の斜面が崩れ、住宅4棟が巻き込まれて6人が亡くなりました。

発生前に大雨や地震などはなく、専門家の調査委員会は主に地下水と地質の影響で地滑りが生じたと結論づけています。


2018年4月11日未明、地震や大雨といった前兆もなく、この地区で山の斜面が幅約160メートル、長さ約220メートルにわたって崩れた。地下水などが影響したみられるという。 漫画ですね!


報道内容から、御用学者と林野庁か県防災課なのか農水部林業課なのか分かりませんが、彼らは決して急傾斜地に針葉樹を積極的に植えさせたと言うとんでも無い危険性と問題性を認めたくないないようです。この事に対する慎重な責任回避の意思が働いている事が容易に推察できます。

 戦後復興の中での木材不足(全国の主要大、中都市が焼夷弾によって燃やし尽くされたのですから当然です…当時も確か兼松興商が突破口を開いたフィリッピンからの木材輸入と国有林地の開放と言った問題が議論されていたのです)の緊急性から開始された拡大造林政策はもうご存じでない方が大半となっていますが、新規に人工林の開発を行っても伐期を考えれば最低でも35年〜40年を要するのですから普通に考えれば全く間に合わない上に、仮にぎりぎり1990⃣〜1995年に伐採、出荷、供給が開始されたとしても、経済情勢は一変していたのでした。ただただ林野庁の利権を拡大し維持したいとする思惑を満たす以外の目的は無いのでした。

 事実、阪神淡路大震災が起こったのが1995117日でしたが果たして拡大造林の結果が功を奏したでしょうか。この時期に木造建築による伝統的な和風住宅による再建が行われたのでしょうか。

実はこの頃から日本の住宅建築の画期が始まったと言われているのです。それは、ミサワ、セキスイ…と言った工業化された米松(実際にはカナダ産)によるプレハブ建築が激増し、伝統的な和風住宅が減り始め、所謂大工さんの仕事が消え始めたのでした。その理由は、プレハブ住宅メーカー周辺からの宣伝はあるはずですが、薄いタイル瓦を乗せ荷重を減らしたプレハブ住宅の残存率が高かったという情報が駆け巡った事が拍車を掛けたと言われています。

まだ、豪雪地帯や寒冷地では伝統的な石州瓦(表面にガラス質を造り水の凍結により瓦の耐久性を上げる)に拘る重厚な和風建築が日本海側を中心に脊梁山脈の西側山岳地帯に多数残っているのです。

ただ、これも付随的なエピソードに過ぎず、現在の大半の都市住民は、最早、鉄とコンクリートとガラスにプラスティック+僅かな国産材で造られたマンションに住んでおり、最早、都市近郊では一部の富裕層だけが贅沢な伝統的建築の和風住宅に住んでいるのです。

従って、低所得の下層民はマッチ箱ハウスにしか住めず、大量に増殖した杉、檜、北海道などの松と言った人工林の国内向け消費は消失しているのです。

従って、伝統的な二級建築士の信頼できる大工さんは消し去られ(この方針は2000年には当時は建設省ですが内部で決定され囁かれていたのです)、小●竹●改革(2002年)による所得の半減によって結局は小型のマッチ箱ハウスにしか住めなくなっていたのでした。

終戦まで傾斜が緩やかで川筏による搬送が可能な一部の杣山(藩政以来の城普請、寺社建築向けの伝統的建築がこの時期まで続いていたのでした)以外では生産されず、その様な地域でも9割以上は豊かな広葉樹の森が広がっていたのです。

従って水も動植物も豊かで河川にも多くの水棲昆虫から大量の淡水魚などが溢れていたのでした。これも旧建設省や農林省による道路建設に伴う排水路が併設され山の水を一気に押し流す雨樋型コンクリート速攻が土砂を下流に押し流す構造がほぼ完成してしまっているのです。

しかも、戦後期も燃料は基本的に薪や木炭で、石炭の普及と米国の石油メジャーによる石炭から石油へのエネルギー転換要請をいとも容易く受け入れたイエスマン吉田 茂(何でもイエスイエスと言い実際には交渉などできなかったと言われていた事から米国には便利で長期政権が持続するのです)の時代まで相当数の広葉樹の森は炭焼き山として残っていたのでした。

従って山林の崩落事故も今回の山体崩壊と言った(少し大げさな表現ですが)根を張り岩にしがみつく広葉樹の森は部分的な崩落はあっても、凡そ多くの犠牲を生じる崩落など存在しなかったのでした。

では、豪雨もなかったのに何故これほどの34戸もの民家を押し潰し6人もの犠牲を出す崩落はなぜ起こったのでしょうか。

京丹後から戻る途中の車中でもブルーツースでプロの林業家でその筋の方には良く知られた平野虎丸氏と原因について話をしていました。以下は敬愛する同志平野虎丸氏の最新のブログ記事です。

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植えない森で地下水を取り戻す 日本一野鳥を助けた男のブログ


2024041222:12                森林環境税はサギ林野庁はいらない


日本政府による森林環境税 6月から徴収始まる 年間一人千円


平野虎丸です。ご訪問ありがとうございます。

いよいよ日本政府による「森林環境税」の徴収が始まるそうです。

熊本日日新聞の「税のはなし」によりますと、

払う人は、国内に住所がある個人。子供や市県民税非課税の人は原則免除。

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いつから納めるのか。24年度6月ころから住民税と一緒に。税の使用目的は、地方の森林整備など。

税についての記事内容は以上ですが、森林整備というのは、林野庁が行なっている林業を目的とした植林のことですが、林業関係に使われるというもので、日本の森を守るというものではありません。植えない森も無関係です。

林業は営利目的で行われているものであり、日本の森を破壊するだけであるのに、国民みんなで助成金を出すなど納得できないものです。森林に名を借りた詐欺的な税金です。


密猟者・家庭・小鳥店・野鳥鳴き合わせ会等、30万人から600万羽放鳥させた男平野虎丸のブログ

現在、山野草販売禁止を目指して活動中

国立公園、国定公園での森林整備を禁止。沢周辺、急斜面での森林整備(林業)を控えることで、日本の生物多様性が守られ、土砂災害を90%減災できます。

国土破壊を続ける国営林業廃止を訴えています。

      「土砂災害から命だけは守れます。ご相談ください。090-2082-6618へ。」


まず、同じころ京丹後でも大風が吹き続けていました。実際に耶馬溪町の現地でも同じように大風が吹き続けていたかどうかを確認する事から始めました。

 うちの研究会メンバーには九州でもトップ・クラスの気象予報官が居られました。もうその時点では退官されていたようですが、現在は筑前、筑後の神社のエキスパートとして質の高いブログを書き続けておられます。同氏にこの話をすると開口一番「崩落前の二日ほど強い西風が吹いていましたからね…」と言われたのを覚えています。

皆さん、追悼セレモニーが大々的に行われたようですが、この風の問題には迂闊にも気付いていないのか全く考えてもいなかったのか、敢えて分かっていても意図的に語ろうとしていなかったのか…惚けた事に専門家の頭には風の影響は何も考える必要性がないかのように一言の片鱗さえも採れないのです。

御用学者や林野庁、県の林務関係者は豪雨が伴わなければ崩落しないので自らに責任は一切ないとでも考えているのでしょうか?殆ど知識も想像力も一切なく天下り先の確保しか考えていないのでしょうか。

そもそも、耶馬渓の様な景勝地を薄汚い杉を植える(指導宜しく民有林には奨励する)だけでも恥知らずとしか言いようがありませんが、多くの人命が失われるとなると、耶馬渓の様な急傾斜地しかないような場所に根を張らない針葉樹を植えさせるというでたらめな事を平然と行ってきた林野庁、県林務部の知的レベルについては語る価値も無く、一体、何のために生きてきたのかだけを問い正したいのです。

国民の為にも国土の為にも国民経済の為にも何ら寄与せず、ひたすら国土を破壊し土壌を流出させ生物の生息域を失わせ犠牲だけを齎しているだけの売国奴でしかないのです。国破れて山河無し…

そもそも、風もあまり吹かない安定した小雨平原、北半球でも冷帯=シベリアに広がる針葉樹林帯には膨大な量のエゾマツ・トドマツなどのタイガと呼ばれる巨大森林が広がっているのです。

それを気候風土の全く異なるアジア・モンスーンの地に無制限に植えさせた連中は死に値するのです。

皆さんも可能ならばネット記事を隅々まで目を通してみて下さい。確かに豪雨を伴わない風だけの人工林の崩落被害はそれほどの事例は聴きません。ただ、比較的樹齢が低い場合は幹が破裂し折れるものが続出することがあります。ただ、この場合はせっかく手を入れたものの金にならない草臥れ儲けで済みますが、これはまだ良い方なのです。樹齢が上り倒木が連続するとボウリングのピンのストライクになる訳で、現地同様の被害が発生するのです。勿論、強風と豪雨が重なると被害は一挙に拡大するのです。

平野虎丸氏と堀田宣之(医師で川の再生を問う著書を出された)と私(「有明海異変」を二十年に刊行)の海川山を繋ぐ三人で宮崎県田野町に訪れています。ここでは管理された国有林の伐期を過ぎた高樹齢の百万本(凄い規模ですね…照れ隠しからか林野庁は隠そうとしていますが)の林地が大崩壊を起こしています。ただ、この時も豪雨も伴っていますので規模は大きいものの耶馬渓の事例とは一致しません。


ひぼろぎ逍遥402 

林野庁が引き起こした巨大山林崩落現場を十年ぶりに尋ねてみた“宮崎市田野町鰐塚山”


もしも興味があれば参考に検索してお読み下さい。

風台風とか強風が連続すると根を張らない人工林は樹齢が上れば上がるほど危険になるのです。


平成288月に、台風7号、11号、9号が相次いで北海道に上陸し、台風10号が暴風域を伴ったまま本道に接近するなど、大雨による河川の氾濫や強風などに見舞われ、林道の損壊や風倒木被害など、大きな被害を受けました。

北海道水産林務部›林務局森林整備課›風倒木被害のリスクを軽減する森林づくり

19939月宮崎県は台風13号の襲来で大きな被害を受け、東郷町、南郷村では相当の風倒木. 災害が発生した。                               公益財団法人砂防学会


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どうやら豪雨災害ばかりではなく大風が吹いても崩落してくるような状況を造り出した戦後の拡大造林政策(林野行政)には新たな悩みがでてきたようです。雨が無くても天から人工林が降ってくるのです。

普通の雨を史上存在しなかったような超豪雨災害の様に宣伝し、自らの責任を天災でごまかし逃げ回ってはいるのですが、そのうち財政が破綻すれば、周囲を伐採し自ら人工林に火を着け処分せざるを得なくなる事もありうるのです(経済的にはこちらの方が搬出もせず仮置きの必要もなく遥かに効率的なのです)。末端の小役人共は調教されていますので人工林の植林を良い事と信じ込んでいますが、悪行を承知のうえでやらせている中央の林野庁官僚どもは今後も言い逃れて退職金を懐に逃げおおせる事でしょう。

凡そ林野行政など学問でも産業にも値しないのです。その証左が再植林し数世代後の悲劇の準備をしている事です。彼らは国家や国民や国土のためにも増してや国民経済のためにも働いていないのです。

念のために気象庁のアメダス・データで41011日風を確認しておきます。

耶馬渓にも観測ポイントではあるのですが、風は出ていないため日田市を取りました。平野部ですので風はそれほどではない様に見えますが、耶馬渓のような谷地では風向により風が凝集され突風なる事は言うまでもありません。役に立たないどころか危険極まりない傾斜地の人工林に火を掛けろ!

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問題は民有林ならば、造林者とその直下に住んでいた住民の関係です。自分が植えた人工林の崩落によって被害を受けるのならば自らが愚かだっただけで済みますが、他人の植えた人工林地の崩落によって家族を失った方は損害賠償を請求し、危険極まりない人工林を勧めた行政官庁に対しては訴訟を起こすべきなのです。この他人の人工林の崩落による災害が今後も続出することは間違いありません。

利権構造しか関心がない林野行政により犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りします

posted by 新ひぼろぎ逍遥 at 00:00| Comment(0) | スポット
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