1066 新ひぼろぎ逍遥 野尻川上神社トレッキングを前に南阿蘇村下田の西野宮神社を再確認しておきます
20240812
太宰府地名研究会 古川 清久
記紀で皆さんが最もよくご存じの説話の一つにヤマトオグナ=オウスノミコトによる熊襲 猛退治があります。
今般、この川上 猛の出生地が高森町の外輪山東側外延部の野尻川上神社であろうとの粗方の見当が着いたことから、我々のネット・ワークで呼び掛けたところ、佐賀、福岡、大分、熊本という我々の研究会のホームグ・ランドを越え、山口、宮崎に加え、兵庫からも参加者が出た事から、雨天順延などを含め、8月18日(日)と25日(日)に9:30高森町スーパーマーケット「フレイン」に集合し、野尻地区と言う宮崎県高千穂町との国境に接するエリアの5〜6社を探訪するというトレッキングを企画したものです。
有難いことに50名近い参加申し込みが有り、盆過ぎの標高800メートル(普通の年ならば本来は涼しいのですが今年はどうなのか…)地帯を乗用車で巡るというトレッキングになります。

西野宮神社(南阿蘇村) カーナビ検索 熊本県阿蘇郡南阿蘇村大字河陽606
祭神は、阿蘇大明神・甲佐大明神・高来大明神など16柱で、「下野の巻狩」を仕切っていた宮である。
旧325号線沿いにある鳥居から境内へと続く長い参道を登ると「鎮守の森」にふさわしく何本もの大樹が亭亭(ていてい)と聳(そび)え、ひんやりとした空気が漂う。中世の頃、下田城主下田氏が阿蘇神社の権大宮司を勤めながら神主をしていた歴史の古い由緒ある神社である。阿蘇大宮司が臨席した大切な「下野の巻狩」の祭りもこの西野宮が取り仕切った。
阿蘇神社から見て西にある宮という意味で「西野宮」と呼ぶとも伝えられる。7月20日の夏祭りには御輿が三基繰り出し、無病息災を願って、御輿くぐりをする人々で賑わう。
南阿蘇村HP

南阿蘇鉄道の下田城駅自体が温泉を持つ駅である上に、巨大な湧水池を持つ白川吉見神社、地震から復興した地獄温泉 青風荘、垂玉温泉 瀧日和…と言った、言わば、南阿蘇南郷谷の中心部の言わば支配的な神社ながらそれほど知られない同社についてブログを書いたのは多少の理由があります。
南阿蘇で、当研究会と十数年前から最も親密な関係を持っていたのが、八坂(祇園)神社であり、何度か田尻宮司をお呼びして、炎のピラミッド研究に関わる講演会を行っていたのでした。
これについて関心をお持ちの方は、別途、パワー・ポイントも作成していますが、とりあえずは、ひぼろぎ逍遥(跡宮)から、以下の20本ほどのブログをお読み頂ければと思います。
670 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! I 八坂神社+龍王社 祭神編 | ||
669 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! I 八坂神社+龍王社 数理編 | ||
668 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! H 郡浦神社 祭神編 | ||
667 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! H 郡浦神社 数理編 | ||
666 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! G 甲佐神社 祭神編 | ||
665 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! G 甲佐神社 数理編 | ||
664 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! F 健軍神社 祭神編 | ||
663 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! F 健軍神社 数理編 | ||
662 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! E 草部吉見神社 祭神編 | ||
661 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! E 草部吉見神社 数理編 | ||
660 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! D 阿蘇神社 祭神編 | ||
659 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! D 阿蘇神社 数理編 | ||
658 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! 番外 二つの直角三角形 | ||
657 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! C 両神社 祭神編 | ||
656 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! C 両神社 数理編 | ||
655 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! B 吉松宮 数理編祭神編 | ||
654 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! A 阿蘇霜宮数理編祭神編 | ||
653 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国造神社 祭神編 | ||
652 | “ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が配置されている! @ 阿蘇国造神社 数理編 |
651阿蘇山を中心に“ピラミッドの法則”で肥後の11の神社が精密に
配置されている!
東京大学の某学会でさえ注目し講演会を開いた(もう20年近く前ですか…)、これほどの凄い研究を、熊本県は元より、中央の神社庁から同県神社庁は、一切無視し続け、燦然と光り輝く田尻研究も存在しなかった事になっているのです
当会は、数年前にも北九州小倉での講演会を企画したのですが、遠方故に辞退され西原村での講演に切り替えた経緯があります宮司の年齢も考えると、条件が許せば、再度、筑紫野市での講演を企画したいと考えているところです

年間500社もの神社を巡る二十年近い神社探訪でも最も驚いた事がこの田尻宮司による阿蘇を中心とする11社の研究でした。南阿蘇村八坂神社の田尻宮司は1997年の地理情報システム学会(東京大学)ばかりではなく、当時、熊本県観光連盟主催(県観光振興課後援)の「ふるさと寺子屋塾」においても講演されていました。今、明らかになる「火の国の炎のピラミッド」以下要約。
自然の阿蘇五岳と人為の神社群。それらの位置関係を調べると、驚くべき事実が浮かび上がってきます。それらの神社群が黄金比の拡大数列であるフィボナッチ数列と呼ばれるものによってキチンと配置されているのです。具体的に言うと、阿蘇神社とその補完社である霜宮、八坂神社とその補完社である竜王社(久木野神社)、この4点に囲まれた図形は、きれいな平行四辺形になります。そしてその中心に阿蘇五岳があります。ちょうど噴火口と火口湖の中間地点が中心となります。その中心を通る北北東に傾いた二十二度四十二分の線の延長上に国造神社があります。その他の阿蘇郡内の小国両神社、草部吉見神社、吉松宮、群外では健軍神社、甲佐神社、三角の郡浦神社、これらは阿蘇の三摂社といわれ、特別に所縁のある神社ですが、これらの火の国最古の十社と阿蘇五岳の山頂の三角点を厳密に結ぶと、きれいに配置がなされています。そして、神社の境内の造り、石垣、建物までも、すべて類似性と対称性を持って造られていることがわかりました。それらの配置のすべて数学的に計算されており、阿蘇五岳の中で、高岳の炎を噴き上げる姿を核となし、自然の五岳と人為の神社群の組み合わせによって、ピラミッド状に造形されているのです。
八坂神社

一関八坂神社 カーナビ検索 熊本県阿蘇郡南阿蘇村一関660 0967-62-9611
話が八坂神社に振れましたので、再び西野宮神社に戻しますが、まず、阿蘇の北と南とは全く文化圏も恐らく民族さえも異なっており、南郷谷は古い先住民が住んでいると思っています。
これは、蹴破りが行われた阿蘇谷は新しく、南郷谷は地形的にも浸食が進んでおり、古くから人が定着している事が推定できるからでもあるのです。
事実、阿蘇の全域の支配者である阿蘇氏=多氏は北の阿蘇谷に集中しており、実は、南阿蘇には阿蘇神社が数えるほどしかないのです。
高千穂に近い草部吉見神社、高森阿蘇神社、津留年之神社…ぐらいで、南阿蘇は阿蘇ではないと言いたいのですが、そこに阿蘇氏として君臨するのが西野宮神社になるのです。
まず、この事を理解しないと、南郷谷の性格は理解できないと言うべきでしょう。
祇園神社、しかり、吉見の名は入っているものの、有名な白川(水)吉見神社にしても、罔象女神(ミヅハノメ)が主神であり、大山祗と草野姫(=カミムスビの妹)との間に生まれた、神大市姫の事であり、その弟が大国主命(彼はカミムスビへの入婿であり出雲の人ではないのです…ここに藤原が造ったトリックがあるのです)であり、その妹がコノハナノサクヤヒメになるのです。
このように、金山彦系、大山祗系、大幡主(カミムスビ)、八咫烏系の領域が南阿蘇なのです。
その上に君臨するのが西野宮神社であるとお考えいただきたいのです。
そして、近年脚光を浴びているのが上色見の熊野坐神社(八咫烏=カミムスビの跡継ぎ)であり、その西隣の色見熊野坐神社となるのです。
結局、南阿蘇とは、高千穂の三田井に君臨した高木大神(タカミムスビ)の次女栲幡千千姫(タクハタチジヒメ)命を妃とし事実上の入婿となった草部吉見の戦闘力と阿蘇谷の金山彦系鬼八=喜八を滅ぼした阿蘇谷の健磐龍に制圧された世界が南阿蘇=南郷谷なのです。
そこまで理解した上で、初めて、この支配者としての西野宮神社が浮かび上ってくるのです。
オールクマモトは、下田西野宮神社 について として祭神を以下の様に書いています。
健磐龍命 速瓶玉命・甲佐大明神・高来大明神など16柱と言われているが、詳細は不明とある。
健磐龍命 速瓶玉命(国造神社の大山咋) 甲佐大明神(これも主神は大山咋)そして大御所 高木大神
+12神(草部吉見神社の12神)ならば、分かり易いのですが、それについては情報が不足しています。

この神社の歴史は古く、中世の頃に下田城主下田氏が阿蘇神社の権大宮司を勤めながら神主をしていたと伝えられています。
一説には、阿蘇神社から見て西に鎮座するため「西の宮」と呼ばれるようになったとも。
阿蘇系の神社を見て回っても、なかなか高木大神が祀られている所はありません。
その意味では、非常に貴重な祭神とは言える訳であり、後は退役自衛官でこの神社に残された所謂「西野宮文書」を古文書として読み解いて居られるI氏の作業に期待したいところです。
そして、その古文書を読む会に参加されている、当会の女性メンバーのM女史がおられた事から今回同社をブログとして取り上げたのでした。
彼女が、野尻川上神社を教えてくれたことから、今回のトレッキングが始まったのでした。
百嶋由一郎が西野宮神社について語った事
恐らく、先代先々代の宮司から聴いた話だと思うのですが、この西野宮には、高木大神が草部吉見について語った話が伝えられている様なのです。古文書研究会(西野宮神社の古文書を読む会)のI氏からは同社資料を頂いたのですが、どうもその中には含まれていなかった様でした。
我々が聴いたところでは、「草部吉見=ヒコハエミミ」を栲幡千千姫(次女)への入婿とした高木大神がヒコハエミミを「まだまだ若くて経験が足らない…」とほほえましく見ていると言ったという程度の話なのですが、高木大神の生の言葉が伝わっていた、若しくは同社に高木大神が立ち寄っていたと言う事まで考えられ、ある種の戦慄とその実在性を感じさせる話だったのです。
音声データは残っていますが、40時間の中から探し出さなけばならず、今秋の南魚沼郡への神社調査の折に、行きかえりの車中で聴き込み特定したいと考えています。
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