ひぼろぎ逍遥 スポット322 「IKIGAI」いきがい のご紹介 ❶ 博多の櫛田神社
太宰府地名研究会 古川 清久
「九州の神社仏閣巡りガイド 」「IKIGAI」
発行所 西日本新聞社メディアビジネス局 取材編集・制作・印刷/西日本新聞プロダクツ

当会の2026年新春三社詣り神社トレッキングは、うきは市で行いました。
2月に入り山奥で寒さに耐えていると、当会のメンバーからIKIGAIが送られてきました。
この手のガイド・ブックは、所謂、行政機関が関与する地域振興ものが多い中、なんと九州最大規模の「西日本新聞社」によって発行されているのです。
新聞業界は関連のTV、(ラジオ局?)と併せ存亡の問題を抱える中、新たな展開への模索を行っているのでしょうか?…ペーパーはデジタル化されるとしても、情報ソース自体を準備するにもそれなりの人材とノウハウの蓄積は必要にはなる訳で、新たなマン・パワーは、その時代の展開の中にあっても、であるからこそ必要であって、凡そ「芸」とは言えない芸人や使命感の全くない役人などに置き換えることはできないはずなのです。
特に、戦後、神社研究自体が米国とそれに自ら迎合した在日、在中勢力によって放置され抹殺された上に、兼務が進む中、宮司も禰宜も氏子総代も古老も自分達の神社についても何も知らない時代が目前に迫っているのです。
ところが、手にしたこのガイド・ブックは、一見、所謂村興し町興し、果ては世界遺産登録と言った愚かしさと集りといったものが全く無く、非常に誠実で落ち着いたものに仕上がっているのです。
これは西日本新聞社の「脳活新聞」が発行するフリー・ペーパー(令和8年版)で2月から無料配布されているものだったのです。
そこで、エールを贈ると言うほどの事はないのですが、取り上げられる範囲で少しずつご迷惑にならない範囲でコメントを加えていこうと思うに至りました。
ただ、当会及び当サイトの姿勢は極めて辛辣で、真実を探求する立場は変わりませんので、その範囲でお読み頂きたいと思うのです。
勿論、個人的に依怙贔屓は在るのですが、まずはランダムに気分次第で一社ずつ取り上げて行きたいと思います。当方の理解能力もありますので、取り上げられない神社も、暫くは延期したい神社、結果、取り上げない…ものも出て来るかと思いますがその点はご容赦頂きたいと思うものです。

著作権侵害にも成りかねないためご紹介に留め縮小しています。
詳しく読みたい方は御面倒でも拡大してご覧ください。
さて、櫛田神社に関してはトレッキングも含め何本も書いていますが、幾つかご紹介しましょう。
770 | 熊本の二人の女性と博多の櫛田神社を二時間掛けて観察した |
新ひぼろぎ逍遥
スポット227 再び博多の櫛田宮について
博多の櫛田神社の祭神とは、中央に大幡主=神産巣日神(カミムスビ)、左に天照皇大神、右にスサノウを祀っています。
元々は祇園神社であることからスサノウは良いとして、以前から天照が何故祀られているのか、そして、その神紋が桜であるという一点が理解できない不可思議な謎として漂っていました。
當社は鎮西の雄都博多の守護神とし天平寶字元年託宣により大幡主大神を鎮祭した。天照皇大神の御鎮座は之より更に古い。素盞鳴尊の奉祀は天慶4年(941)に追討使小野好古が反亂の鎮定に下向し京都祇園宮を勧請して祈願した由縁による。…
「天照皇大神の御鎮座は之より更に古い」についてはかなり疑わしいと考えています。
まず、その前に、天照が桜の神紋を使う事が理解できません。そのような例があるのでしょうか?
その上に、天照祭祀をことさら古く描こうとする上記の行は、ただのご都合主義か?つじつま合わせなのか、強弁なのか、他の権力からの圧力なのかまだ分かりません。
勿論、天照は糸島〜福岡に掛けて実際に住んでいたと思われる事から古層の伝承を残している可能性も考えておく必要はあるでしょう。
一般的に桜の神紋を使うのは大山祗、その娘のコノハナノサクヤ、多少拡げてその兄の大国主命(百嶋神代系譜による)の一族は桜の神紋を使うのです。
社伝では、天平宝字元年(757年)、松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、松坂の櫛田神社の祭神の大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられる。天慶4年(941年)、小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に当社に素盞嗚神を勧請したと伝えられるが、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼の櫛田宮を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したという説が最有力であり、櫛田神社の宮司らが編纂し昭和40年(1965年)に文部省(当時)に提出した『博多山笠記録』や昭和54年(1979年)に福岡市が発行した『福岡の歴史』はこの説を取り上げている。しかし、それは同市早良区の櫛田神社のことであるという反論もある。
戦国時代に荒廃したが、天正15年(1587年)、豊臣秀吉によって博多が復興されるときに現在の社殿が造営された。

明治元年(1868年)の神仏分離令より前の江戸時代までは東長寺に属する神護寺が櫛田神社を管理していた。 ウィキペディア(20200210 12:59)による
この問題に直面し何度も考えたのですが、櫛田神社の境内社である石堂神社を再確認した事から謎が解け始めました。
櫛田宮の神殿背後地には、石堂神社以下数社の数基の鳥居と境内社が並べられた神域があります。
神殿背後地だけに余程偉いか古い神様か、神社創立以前の祭祀が凍結されている可能性があるのです。社殿裏に並んで8社が鎮座します。この規格の揃った鳥居は松尾神社、諏訪神社、金刀比羅宮、皇大神宮、竃門神社、今熊野神社、天満宮、石堂神社のものなのでしょうか。
そして、石堂宮の神紋を見ると桜であることが分かります。
ご丁寧に大幡主系の亀甲紋と桜との合併紋なのです。とすると、櫛田宮、石堂宮、祇園社の祭祀形態が石堂宮を廃され天照皇太神に換えられた可能性が見えてくるのです。では、石堂宮とは何なのでしょうか?
博多祇園山笠では全流全参加者によるお汐井取り(おしおいとり)が行われます。
お汐井取りですが、舁き手たちは筥崎宮を参詣し心身を浄め、櫛田神社を参詣する行事であり、石堂川(御笠川の河口部分を石堂川と呼ぶ)にかかる石堂橋から箱崎浜へ「お汐井道」と呼ばれる小道をたどり箱崎浜を目指し、そして櫛田神社のある博多区まで戻ってくるのです。

その行程は約10キロ。全参加者が一同に集まるのです。
これが、船を山越させる船越の名残であり、その実戦経験を保つ言わば軍事行動であることは、
ひぼろぎ逍遥〜新ひぼろぎ逍遥
687 | 船 越 |
でも取り上げていますが、御汐井汲み神事と繋がる海神族の祭祀と関係があると思われるのです。
この祭祀が宗像三女神の市杵島姫、豊玉姫を象徴しているとすれば、石堂宮とはその二人の女神であるウムガイヒメ、キサガイヒメをお妃とした宗像大社の本来の祭神の大国主命(コノハナノサクヤヒメの兄、大山祗の息子)を意味していることになるのです。
天御中主、大幡主、事代主、大物主…
つまり、大幡主(カミムスビ)への入婿であり、その証拠に、大国主命は「主」(ヌシ)という尊称(呼称)を使う事が許されているのです。
これが分かれば、現在の祭祀形態に先行し、大幡主+大山祗+スサノウという強力なトリオ、トリロジーが存在していた可能性が見えてくるのです。
この石堂宮が大山祗系民族(氏族)=トルコ系匈奴(大国主、コノハナノサクヤ、ミヅハノメ)を象徴するものであろうことは、これまでの事前調査である程度の推察が可能です。
詳しくは、以下をお読み下さい。
一気にドライブを掛けた話にしましたが、以下から読まれる方が無難でしょう。
770 | 熊本の二人の女性と博多の櫛田神社を二時間掛けて観察した |
ひぼろぎ逍遥(跡宮)
623 | 続)タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu |
622 | タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu (下) |
621 | タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu (上) |
623 続)タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu 20180728
現在は中国領ですが、アフガニスタン、パキスタンとの国境地帯、言いかえればアフガニスタンの
カブール回廊入口の要衝にTa Shi Ku Er Gan Luタシクルガン(中国表記:石頭城、石城山)があ
ります。
他にも幾つかありますが、ユーチューブで【新疆】タシュクルガンの石頭城、【中国】タシュクルガンの石頭城へやってきた。などと検索すればかなりの記事が出てきて鮮明な画像が確認できます。

Ta Shi Ku Er Gan Luタシクルガン(中国表記:石城山 石頭城)
古代ギリシャからは「トリスラピディア」とも呼ばれていたとか…。
さて、話をさらに進めます。故)百嶋由一郎氏によれば、“この一帯の人々(トルコ系匈奴)が、列島に侵入し「石頭城」「石城山」(いずれも中国表記)と言った地名を持ち込んでいる…。”それは、”熊本県玉名市と宮崎県西都市に同じ地名がある”とまで言われていました(玉名市の石貫地区、西都市の石貫神社の石貫も石ノ城=石城山を意味するのです)。
当然、山口県光市+多布施町の石城山神籠石もそうですし、石動=イシナリ(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町石動)もそうですし、石堂宮の石堂もこの「石頭城」「石城山」の置換えなのです(東北の岩木山も…)。それで、桜を神紋とする大山祗祭祀が先行して存在し、後に天照祭祀が割り込んだのであろうと考えるのです。

詳しく説明しても良いのですが、自分で調べなければ頭に残らないのでご自分で検索してお読み下さい。
ついでに申し上げれば、境内に置かれた「花本大神」の石碑が松尾芭蕉の俳号が起源であるという話が2〜3本ならまだしも、2〜30本、ほぼ同じトーン、同じ内容で見事にネット上に羅列されているのです。
その成否はともかくとして、自らの頭で考えようとしないのか、肖り、集りなのか、単なる安心感なのか、まず、この独創性の欠如だけには呆れてしまいます。
ひぼろぎ逍遥(跡宮)
372 | 花本大神をご存知ですか? “博多の櫛田神社の花本大神と 豊後大野の宇田姫神社について” |
参照を
博多の祇園祭と言えば山笠と併せ知らぬ人のない大祭ですが、山笠が置かれる辺りの、少し奥まった場所に、ひっそりと、しかし、かなり大きな石塔(石柱)が建てられ、そこには「花本大神」と大書されているのです。
これに関しては前述のとおり、等しく判を押したかのように「松尾芭蕉」の神号であるとされているのです。
ところが、百嶋由一郎先生だけは、「そこにはごまかしがありますね…」といったコメントを残されているのです。恐らく、全てをご理解だったのだと思います。
勿論、これについてはただの手書きメモが残されているだけで、それ以上の事は聴かされてはいませんが、ようやく大方の見当が付いた事から、後世の研究のためにも所見を残しておこうと思うものです。
真実の歴史、古代を探索するならあり得ない話であって、少しは余計な話をさせて頂きます。
もう十年近く前でしたが、大分県豊後大野市の神社調査を行っている時、同市の清川町に鎮座する宇田姫神社に参拝しました。この神社の由緒を読んで見ると、「華の本」の故事が書かれており、直ぐに博多の櫛田神社の花本大神の事が頭に過ってきたのでした。
少し込み入った話になるため、ここでは短絡する(される)ことのないように、まずは同地の
宇田姫神社の祭神である宇田姫様が「華の本」と呼ばれている(いた)事だけをお考え下さい。
さて、宇佐神宮とも覇を競った大神一族(元々緒方の一族は、祖母山の豊玉姫の遣いである大蛇が夜な夜な郷に降り、大蛇の子を宿して生まれたのが大神惟基で大蛇の化身とされたのでした)が豊後の大野郡や直入郡に蟠踞していた事は知られています。
しかもこの一族は大神比義として宇佐の宮司家でもあったのです。
特に惟基は大蛇の子として知られ、宇佐神宮焼き討ち決行し後に処断された緒方三郎惟栄(大神惟栄)、「平家物語」(巻第8「緒環」オダマキ)にも登場しているのです。
櫛田神社を筆頭に“芭蕉の神号“といった事で納得されている分には、それはそれで結構だと思うのですが、真実の歴史、古代を探索するものとしてはあり得ない話であり、ネット上に芭蕉の神号説が如何に大量に複製されていようが、孤立した旗を高く揚げておこうと思うものです。
なお、メンバーのブログ「宮原誠一の神社見聞諜」では天照は後にカミムスビと夫婦になっているという新研究を提出しておられます。これも謎解きの一環になるでしょう。注目を!
百嶋由一郎氏が残した神代系譜、講演録音声CD、手書スキャニングDVDを必要な方は090-6298-3254まで

あとがき
始めに櫛田神社を取り上げたのは、太宰府天満宮、宮地嶽神社に続き、九州島でも最も重要な神社と考えるからです。
一つは古いからと言う意味と、造化三神(AI様に従えば、『古事記』の冒頭、天地開闢の際に高天原に最初に出現した、万物生成の根源となる3柱の独神:性別がない神です。天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神を指し、宇宙の起源や生成化育の神として崇められます)の御一人だからです。
故)百嶋由一郎に依れば、性別がない神では勿論なく、天之御中主神は肥後の八代に上陸した妙見宮の主神、櫛田神社の主神である大幡主の父神=白川伯王の姉であり、高御産巣日神は雲仙、高千穂、久留米の高良山、彦山…に拠点を移した高木大神なのです。
そこで、櫛田神社で現在も主神とされる大幡主ですが神産巣日神その人であり、勿論、男神です。
その後継者である豊玉彦=豊国主は、京都の下賀茂神社の鴨玉依姫の父神=八咫烏なのです。
しかし、この造化三神が全て九州起源(降臨以前は、大陸、半島…)とすれば、それだけでも、奈
良はまほろば…と嘯く近畿大和など一笑に付すべきでしょう。
まあ、今更どう言っても、百嶋は古事記の95%は嘘と断言しており問題にならないのですが…。

百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
ここで、もう少し補足しておきますが、この一族は、大山祇系と金山彦系と相互に、嫁取り婿取りを繰り返し、強固な姻戚関係を形成していました。
とりわけ、大幡主系と大山祇系は中断が無い様で(金山彦系は神武=勿論、初代神武カムヤマトイワレヒコとナガスネヒコとの衝突により中断し後に復活するのです)非常に強固だったのです。
この事が、現在のシンボルに反映されている様に見えるのです。以下をご覧ください。
AI による概要によれば、福岡の櫛田神社には、祀られている三柱の神様に由来する3つの神紋があり、特に祇園宮(素戔嗚尊)の「三つ胡瓜(きゅうり)」が有名です。山笠期間中は胡瓜の輪切りに似るこの紋が避けられ、主に祇園宮と櫛田宮の紋が使用されます。 神紋の概要 祇園宮(素戔嗚尊): 三つ胡瓜(きゅうり)櫛田宮(大幡主命): 三つ銀杏(いちょう)としますが妖しいですね。
大神宮(天照皇大神): 桜紋(三つ桜)と言うのは明らかに後世の改竄でしょう。
どう見ても、櫛田宮の神紋は左から、祇園宮のスサノウは織田木瓜に、主神の大幡主は三つ盛亀甲に五三の桐、大神宮は桜ですね。

天照皇大神が桜などと言うのは如何にも妖しく、元々はコノハナノサクヤ姫の祭祀であしらわれる大山祇系のシンボルですね。スサノウにしても、金山彦の娘櫛稲田姫を八岐大蛇退治で妃としたのです。つまり、金山彦系(ナガスネヒコの乱)、大山祇(熊襲=トルコ系匈奴)のシンボルを残しているのです。


にお読み頂き有難いと思っています。
















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