ひぼろぎ逍遥1143 “熊本市植木町の廣住年神社とは何か“との問い合わせがありました
20251201
太宰府地名研究会 古川 清久
当会の御温泉付き中古別荘の研修所で若手メンバー4〜5名が集まっているさなか、突然、福岡県嘉麻市在住の女性メンバーから電話が入り、北海道からやって来られた廣住さんと言われる方から問われ、自分は静岡県から北海道に移っているが、そのルーツを探るために検索すると熊本の廣住神社が在るため、その起源を探るためにやって来たが、どのような神社なのかが判らないで調べているとの事で、私に尋ねたいとの話が回ってきたのでした。
と言っても、参拝していない神社でもあり、通常通るルートでもない事から場所を探すことから始める羽目に陥った訳です。
ネット検索をすると数本の情報が出て来ましたが、実質的には住所程度の情報しかなく、それでは回答には全くならないために自分で考える事しか方法が在りませんでした。

また、そのデータも住所と主神程度で、ほぼ、神社の本質に迫るようなものは全くありませんでした。
当然にも上米良純臣先生(実は我が百嶋由一郎の師匠なのです)監修の「熊本県神社誌」を見るのですが、平成の町村合併以降、正直、直ぐには探し当てることができず苦労しました。
現在、三号線沿線の旧植木町は熊本市に編入されています。昔は旧北部町だったのか?神社誌の編集時点ではどうかと言った問題があり探し出すのに苦労したのでした。
AI様も法人名も「廣住年神社」で、…法人所在地は熊本県熊本市北区植木町広住899番地と記載されています。…と書いています。
直ぐに、この「廣住年神社」の社名だけからもある程度の推定はできます。
それは、社名もネット情報にバラツキがあり、特に年が社名になっていないものもあるのです。
特に「熊本県神社誌」が廣住神社と書いているのです。
従って、「廣住」は地名で「年」は肥後に多い歳ドンor歳神社の系列だろうと考えたのです。
AIによる概要
「歳神社」は、主に「大歳神社(おおとしじんじゃ)」または「太歳神社(ださいじんじゃ)」と読まれる、五穀豊穣や諸産業繁栄を司る神様(大歳神)を祀る神社です。集金満足、心願成就、家内安全などのご利益があるとされています。
「大歳神社」(おおとしじんじゃ)
ご利益: 五穀豊穣、諸産業繁栄、家内安全、心願成就、集金満足など。
ご祭神: 大歳神(おおとしのかみ)が主祭神で、他の神様と合祀されている場合もあります。
特徴: 古くは五穀豊穣の神として祀られていましたが、商人の信仰を集め、集金満足や契約の不変を祈願する神社にもなりました。
それこそ、長年神社を見て回っていると、その経験から多少は勘が働きます。
肥後の神社を巡っておられる方にとってはそれほど難しい話ではなく、少しの経験でも分かるのですが、一般の方、しかも、静岡から北海道に移られた方にとっては見当が着かないのは道理で、自ら一族のルーツを探ろうとネット検索をすると、熊本市に廣住神社が在る事に気付かれ、北海道からおいでになられたと言うだけで、羨ましくもありご立派でもあると思ったところでした。
どなたもでしょうが高齢になってくると自分は何者でどこからやって来たのだろうか、特に大きな戦争で、死んで逝った親族をお持ちの方も居られるはずで、何処の神社に参り、父母や妻子に別れを告げたのだろうか…、そして、誰に感謝し、誰を祀り、どこで死ぬべきなのか…といった事まで考える様になるのです。
この方の場合は、当て所もなく阿蘇に御出でになり、たまたま立ち寄った場所に当会の関係者が居たことから私への照会と言うか問い合わせが寄せられたのでした。
とりあえず、阿蘇神社に行かれた事は当たらずとも遠からずだったのです。
問題は、大歳神社とか歳神社と言われるものが、阿蘇系でも傍系の我々が草部吉見系の神社であるという事までお分かりの方は中々おられないので、普通は、阿蘇系の神社の中で、歳神社とか歳禰神社と呼ばれる一群の神社が相当数あり、その偏在と地名にも関係している事はご存じの方はおられると言ったところだと思います。
それは、何やら夷さん=事代主のような表現になってはいますが、前述のAI様の話になるのです。
この歳禰(トシネ)神社は尊称ではなく、通称名かも知れませんが、その本体は、阿蘇神社の主神とされる健磐龍命の腹違いの兄になる宮崎県高千穂町に隣接する高森町草部地区の草部吉見神社の主神(この人物が後の藤原氏の祖神に成るのです)なのです。
ただ、ここで注意を要するのは、だからと言って草部吉見が問い合わせをされた廣住さんの支配者ではあったとしても、直接の先祖とか尊崇すべき御館様になるかというとそうではないのです。
この点が分からないと、あくまでも推定ですが、自分たちの先祖を殺戮し支配者となった人物を崇めるという事にもなりかねないのです。
その点は、廣住様の家伝とか墓所や家紋、廣住姓が集中する静岡県の周辺の神社を調べると言った事をやらざるを得なくなるのです。
この点、現在はインター・ネットが発達している事によって、かなり容易に調べられる場合もあるのです。この作業は、現段階では詳しい情報を得ていないため今後の作業に成ります。このため、ここからは草部吉見神の系統がどういったものであるのかをご説明し、一方、熊本市植木町の廣住神社の鎮座地の周辺の神社から見た地域の全貌を考える事に成ります。
百嶋由一郎最終神代系譜(上)阿蘇ご一家系図(下) 何れも部分

阿蘇の初代宮司家は、惟人(コレヒト)とされていますが(最終神代系譜
)、これは、神沼河耳こと贈る綏靖天皇の腹違いの兄弟=草部吉見(高木大神の次女楮幡多千々姫=母)と健磐龍(本物の初代神武天皇の本物の御后であった金山彦の娘吾平津姫、後の変名蒲池姫=母)の金山彦と木大神の両系統の血を引く阿蘇氏の血統が阿蘇氏となった事になるのです。
このように、初代神武(カムヤマトイワレヒコ)から14代仁徳天皇(若宮)でも通説派が欠史8代としたがる、皇統に、本来の呉の太伯の流れを汲む中国ナンバーワン周王朝の血を引くイスラエル系の皇統に、第2代から阿蘇系(多氏=雲南省の黎族)の第2代綏靖、第5代孝昭、第6代孝安、第10代神武僭称贈る崇神天皇…とこういった阿蘇系多氏の天皇を紛れ込ませているのが現在の藤原が創りでかした我が国の皇統譜なのです。
それは、所詮、天武系を滅ぼし天智系に加担した阿蘇氏でも草部吉見系の藤原氏が創った皇統譜を崇めさせられている我が国の悲しさなのですが、所詮、そういったものが天皇皇統譜だと言えばその通りなのです。
天武系を潰し消しただけでも、万世一系ではない上に、博多の櫛田神社の大幡主こと第3代安寧天皇も含めて、初期の九州にしかない、初代神武、第4代懿徳天皇、7〜9代の孝霊、孝元、開化…の呉の太伯王の系統こそが九州王朝の真実の皇統なのです。

欠史8代の話まで大風呂敷を拡げてしまいましたが、問題はこの廣住神社の名を冠した一族が静岡県に10家とその他の地域に81家お住まいに成られている様で、もしかしたら追放された宮司家の一族だった可能性さえあるのです。 右は「名字マップ」![]()
そう考えるのは廣住神社の在る地域=植木(新城、百済木、多良木、久多良木、津奈木…〇〇木は半島系の地名)は我々が考える大山祇系の物部系の土地であり、肥後の南半部は、どう考えても阿蘇系氏族の定住地ではないためで、阿蘇系の征服地のはずなのです。

P.P.は090-6298−3254にご連絡いただければCD,USBメモリー,SDでも送りますし、とりあえずネットで読みたいという方は、ひぼろぎ逍遥(跡宮)版から下記のタイトルで検索して下さい。
836 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か M “大帯姫か大足姫か?” |
835 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か L “ツヌガノアラシトは何を…?” |
834 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か K “スサノウは姫島に来たのか” |
833 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か J “国東の姫島から周防の柳井へ”(下) |
832 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か I “国東の姫島から周防の柳井へ”(上) |
831 | 「古事記」中つ巻 孝霊編 H “卑弥呼宗女伊予=細姫を 妃とした開化天皇の祖父神” |
830 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か H “肥後から姫島、国東へ” |
829 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か G “櫛稲田姫は山鹿の稲田村で生れた” |
828 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か F “大宮神社の境内摂社” |
827 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か E “大宮神社の本来の祭神は金山彦” |
826 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か D “玉名、山鹿から国東、姫島へ” |
825 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か C “では大帯八幡社とは何なのか” |
824 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か B “何故仲哀を祀るのか” |
823 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か A "仲哀を祀る八幡宮群” |
822 | 国東半島沖に浮かぶ姫島の古社「大帯八幡社」とは何か @ “消えた祭神を求めて” |
821 | 「古事記」中つ巻 孝安編 G “孝安は熊本県玉名市に いた景行の父神” |
820 | 「古事記」中つ巻 孝昭編 F “孝昭は阿蘇高森の 草部吉見ことヒコヤイ(ハエ)ミミ” |
819 | 「古事記」中つ巻 懿徳編 E “懿徳は安寧の子でなく 神武ので僅かに倭人伝にも登場する” |
818 | 「古事記」中つ巻 安寧編 D “謎だった安寧天皇とは 博多の櫛田神社の大幡主=カミムスビだった” |
817 | 「古事記」中つ巻 綏靖編 C “阿蘇氏の祖には 神武の血統が継承されているとは言えないのだが…” |
816 | 「古事記」中つ巻 神武編 B “槁根津日古とは 神武僭称贈る崇神の弟だった” |
815 | 「古事記」中つ巻 神武編 A “神武巡幸と 神武僭称贈る崇神の神武東征とを分離しよう” |
814 | 「古事記」中つ巻 神武編 @ “笑ってしまいますが… 宇沙都比古が神武を迎えたと言うのです” |
ここからは、「熊本県神社誌」の植木町一帯をご覧いただきます。昭和50年2月1日の集計


「熊本県神社誌」は昭和56年発行ですが、国宝となった人吉市の青井阿蘇神社の宮司もされた上米良利晴(純臣)著によるもので、その配下として菊池至誠会の福岡支部長をしていたのが、百嶋神社考古学と呼んでいる我々の特殊な神社研究グループの基礎にもなっているのです。
このため、通説とされている「古事記」「日本書紀」を、故)百嶋も古事記に至っては95%が嘘とも言っており、久留米の高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」によって100枚近い神代系譜も含め多くの手書きデータを残しており、我々の立場もそこに基礎を置いているのです。
このため、阿蘇宮司家の主張されるものとも当然にも対立している部分が多いのです。
そこで通説への蔑視は勿論あるのですが、決して不満があるのではなくどうせ教育員会とか学者とかはその程度のものですからそんなくだらない方々はどうでも良いのであって、所詮は自らの意思で調べなければ分からないものなのです。そういえば、行政に自分を売り込もうとするさもしい宮司(K県K市K八幡宮)も居ましたね。
では話を戻し、廣住年神社が草部吉見系により同地を支配地とした可能性があるかも知れないという推定についてお話ししたいと思います。
皆さんは、肥後の神社は大体阿蘇系ではないかと考えられているかもしれませんが、そうではないのです。「熊本県神社誌」の28〜29pに第5表「祭神別に見た熊本県内の神社数」があります。
熊本県内の3,237社のうち阿蘇系は294社、年神社系60社を加えても350社程度でしかなく、圧倒しているのは菅原神社系(天満)が1,012社なのです。つまり、阿蘇系は古代でも少数派の新興勢力でしかないのです。これがあまり知られていない事なのです。
重要なのは、菅公は9世紀の人物であって、藤原の一族が雷に打たれるなど祟りとして全国で道真を祀れと号令し出来たのが菅原神社系なのですから、本来は別の神々が菅原系に変えられているのです。それこそが、肥後の最大多数派だったのではないかと考えるのです。
その事を知っているからこそ阿蘇氏に反対する勢力が排斥されていると考えているのです。
それは、高千穂に近い草部吉見神社の周辺でも菅原神社の海に僅かな阿蘇系神社が在る状況を知っていたからです。
特に、この菅原神社とされているものの大半が金山彦系or博多の櫛田神社の海人系と大山祇系だったのではないかと考えているのです。
特に、山部眞澄宮司の掌就されている神社が非常に多く今後調べる価値があるのではないかと思っています。勿論、山部様ですから大山祇系の宮司ではないかと考えてもいるところです。
なお廣住姓は静岡県でも大井川水系の島田市が中心の様で非常に稲荷神社が多い地区なのです。

地理院地図の一部でしかありませんが、稲荷社が4社拾えます。あまりご存じない方が多いと思いますが、稲荷様の母神様は大山祇命の長女の神大市姫=罔象女(ミズハノメ)なのです。
情報を求めていますので、何かご存じの方は090-6298-3254まで。


にお読み頂き有難いと思っています。
















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