ひぼろぎ逍遥1150 2025年はあっという間に流れ去る…そしてその後は…
20251229
太宰府地名研究会 古川 清久
2025年という目まぐるしいばかりの一年がいよいよ終わろうとしています。
これはただの印象ですが、長い人生でもこれほど早く通り過ぎる一年は経験した事はなかったと感じています。それほど内外の経済、社会の変化が大きく政治情勢も動いた年だったからです。
その憂鬱さと停頓の起点を遡れば、米国民主党に連動するユダヤ系金融資本によって強要された悪魔のプラザ合意(1985年)だったのです。それ以降の日本は、経済潰しとバブル崩壊の日本経済の長期停滞、その付けを国民に廻した小泉竹中路線による賃金半減、人生の破壊だった事は皆が知るところでしょう。それこそが30年の停滞に繋がる日本経済破壊の原因だったのです。そこで頭に過るのが「jJapan as Number One NO.1」でした。

『エズラ記』はヘブライ聖書中の一書で古代ユダの歴史を記す。 ユダヤ教聖書配列では「諸書」の1つとして扱われ、キリスト教では歴史書として『歴代誌』のあとにおかれる。
ウィキペディア 20251229 11:29
当然、エヅラ・ボーゲルもアシュケナージ・ユダヤで、日本の凄さを褒め讃えたのではなく、このままでは東洋のイエロー・マンキー共に自分たちの経済が破壊される!とユダヤ金融界社会に警告を発したのでした。それをそのまま讃美と受け留め無警戒に舞い上がったのが当時の政治、経済人だったのです。お粗末…。蛇足に成りますが「エズラ記」は有名なバビロン捕囚絡みの話です。
もしも興味を持たれるような方がおられれば、当方の以下も小稿もお読みください…。
920 | ザ・ドリフターズの志村けん の同級生だったという恵面 (エズラ)さんの恵面姓とは何か?A |
919 | ザ・ドリフターズの志村けん の同級生だったという恵面 (エズラ)さんの恵面姓とは何か?@ |

思えば、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for
America)が米国の社会学者エヅラ・ヴォーゲルにより1979年に出され、日本経済がアメリカを追い落とすと警告した著書が出されて6年後の1985年にプラザ合意がプラザホテルでG5(日・米・英・独・仏の先進5カ国)の蔵相・中央銀行総裁によりドル高是正のために合意され円高・ドル安に誘導され米国の貿易赤字削減が企図されたのでした。
ここからバブル崩壊、長期の経済低迷の中で、若者は非正規雇用の中で夢どころか目先の所得と人生を奪われ今やその人々も50〜60代を目前にしているのです。彼らの犠牲で焦げ付きを消したのです。
この打ち捨てられた数世代によって、腐りきった既成政党自民(親中派)、公明、立憲民主=実質的には、糞社会党、スターリニスト日本共産党がどうやら葬り去られようとしているのです。
この問題の中心に位置していたのはソ連邦崩壊後、中国を利用して勃興した日本を潰そうとした米国ユダヤ金融資本のエージェントとしての米国民主党の存在でした。
その日本潰しの実働部隊の指揮者がヘンリー・キッシンジャーであり、それと連動したのがCIAの草とも言われた(実際、CIAへの就職試験も受けたとも聴きますが、恐らく土着の忍者=草の者と成る事を指示されたのでしょうか)のが、帝国海軍主計であった…中曾根康弘だったのです。
一方、日中国交回復、米中等距離外交の触れ込みで膨大な金額のODAを注ぎ(目的は勿論、田中
派の資金源だったとされていますが)込み、感謝の念など全くない中国共産党は直ぐに米国(美国)と組み、日本潰しで返してきたのでした。
つまり、没落農民軍としての粗野な八路軍=中共軍だったのです。
彼らはスターリン主義を基に「毛沢東主義」と言う只の「戦陣訓」程度の理論と言うのも悍ましい簡略化された思想で装った盗賊集団だったのです。
正直言って自分の年齢を考えると、生きている間には諸悪の根源でしかない吐き気も催す中共の崩壊を見る事もなく人生を終えるのかとも思っていたのですが、既に中国(ツンコー)は見るも無残な状況に在り、今後百年は立ち直れない所まで追い込まれているのです。どう考えても新な国家の再建の前には恐らく文革期を数倍規模で上回る多くの犠牲を積み上げる事になるでしょう。
振り返れば、文化大革命期にはどれほどの犠牲者が出たか分からないと言われています。飢餓による餓死、病死も含めれば数千万人から億単位には成ると言われていますが、現在でも真面な統計など出さない国家である事から、所詮は想像のレベルの話にしかならないでしょう。
1958年から62年まで無計画に進められた大躍進運動の手酷い失敗は毛沢東の大失敗とされている事は言うまでもありません。

土法高炉運動(どほうこうろうんどう)は、1958年から毛沢東が主導した中国の「大躍進政策」の一環で、農村で粘土や釜を改造した簡易な炉(土法高炉)を使い、非科学的な方法で鉄鋼増産を目指した運動
このため、毛沢東は一時失脚し、劉少奇・ケ小平らが実務を担うのですが、権力奪回のために毛沢東は文革を発動し資本主義の道を歩む実権派、走資派として攻撃し失脚させるのです。
その逆転を狙って発動されたのが、笑ってしまいますがプロレタリア文化大革命(1966〜1968年)の名を冠した富裕層を暴力的に破壊しその資産を強奪する乱暴な運動だったのです。
恐らく平等な分配ではなく、指導部の隠匿後の残り物を薄くバラ撒いただけなのです。

その実体は、実質的な都市労働者など皆無の中、何の知識もない生徒、学生、青年…だったのであり、所謂「毛沢東語録」を誇らしげに掲げた青二才の青年達だったのです。
そもそも、中国大陸に於ける社会主義運動を考える時、陳独秀(1921年中国共産党結成メンバーで、初代委員長)を無視することはできないでしょう。僅かな都市労働者を中心に社会主義革命を目指した彼らは、既にスターリンに乗っ取られたコミンターンの第一次国共合作を受け入れざるをえなかったのですが、推進した1927年の上海クーデタで壊滅したため共産党指導部から除外される事に成ったのです。その後トロツキスト派として活動し、29年には党内対立から除名されるのです。そのトロツキストの流れは僅かながら今も香港などに残っているはずですが、圧倒的少数派でしかないでしょう。二系統あったようです。
右は、王 凡西による「中国トロツキスト回想録」です。
陳独秀と別れた彭述之の流れだったのでしょうか。当然にも国家としての水準の低い韓国にはトロツキスト政党は皆無で独立系の南労働党程度なのです。
実は、私も一度だけ福岡県中津市での事でしたが、南朝鮮労働党だったと言う方をある新聞記者から紹介された経験が在ります(所謂本物のナンロウトウ活動家だった人物です)。
もう一つは、入手できずに読んでいないのですが、ご紹介だけはしておきます。
「中国トロツキスト全史」唐宝林著 鈴木博訳
1927年の中国トロツキー派の誕生から、52年に一斉逮捕されるまで、25年間にわたる苦難に満ちた闘争の歴史、その全体像を、陳独秀らの活動を軸にして大量の第一次資料を基に生き生きと描き出す。
※出版年が古いので新本ですがヤケ・シミ・痛みがございます
0120-761-285
王 凡西とは別グループだと思います。
AIモード 516兵団
ここで、プロレタリア文化大革命などと大袈裟な名称で喧伝されたのですが、実は只の毛沢東による政権奪還運動だったのです。
この文革期にも農民運動ではなく都市労働者による社会主義革命を目指した運動も存在したことを確認しておくべきでしょう。それが516兵団であり、湖南省無産者階級大連合の闘争でした。
文化大革命(文革)における「516兵団」とは、1967年に活動した極左的な紅衛兵組織(正式名称:首都紅衛兵516兵団)であり、後に「516反革命集団」として大規模な粛清の対象となった組織です。
1. 516兵団の概要と背景
名称の由来: 1966年5月16日に採択された、文革の事実上の開始宣言である「五・一六通知」にちなんでいます。
主な標的: 当初は、毛沢東の路線に反対すると見なされた実権派を攻撃していましたが、次第に周恩来総理を「中国のフルシチョフ(修正主義者)」と呼んで激しく攻撃するようになりました。
AIによる概要 湖南省無産階級革命派大連合委員会
湖南省無産階級革命派大連合委員会」(略称:省無連)は、中華人民共和国の文化大革命期に湖南省長沙で成立した、学生や工場労働者などからなる造反派(革命派)の紅衛兵組織(大衆組織)です。
概要は以下の通りです。
- 時期: 1960年代後半、文化大革命の最中に活動しました。
- 背景: 毛沢東によって動員された紅衛兵運動の一環として、地方の党委員会や政府機関を打倒し、権力を奪取することを目指す「造反」運動の中で組織されました。
- 活動: 他の紅衛兵組織と同様、「造反有理(反乱には理由がある)」をスローガンに掲げ、従来の党幹部などを攻撃し、武闘(武力闘争)も展開しました。
- 特徴: 省無連は、文化大革命の指導部によって後に非合法化、取り締まられた組織の一つである「五一六兵団」と関連していた、あるいはその影響下にあったとされ、特に急進的な活動を行ったことで知られています。彼らの活動は、当時の周恩来首相を標的とするような中央指導部の一部に対する批判も含んでいました。
最終的に、毛沢東が殺人や放火といった武闘の激化を問題視し、武闘の制止を指示したことなどもあり、省無連のような過激な組織は取り締まりの対象となっていきました。
文化大革命(文革)期の1967年に湖南省で結成された湖南省無産者階級革命派大連合委員会(通称「省無連」:Shengwulian)は、当時の極左思潮を象徴する造反派組織です。
1. 組織の概要と背景
結成: 1967年10月、長沙市を中心に複数の造反派紅衛兵や労働者組織が連合して成立しました。
中心人物: 当時高校生だった楊曦光(後の経済学者・楊小凱)が理論的指導者の一人として活動しました。
2. 独自の過激な理論:「中国はどこへ行くのか」
省無連は、楊曦光が執筆した論文「中国はどこへ行くのか(中国向何処去)」などで、毛沢東の文革理論をさらに過激化させた独自の主張を展開しました。
新階級の批判: 当時の共産党幹部層を「赤い資本家(官僚階級)」と断じ、文革を「古い官僚機構を徹底的に解体し、真の人民による直接統治(パリ・コンミューン型)を実現するための闘争」と位置づけました。
「奪権」の徹底: 既存の「革命委員会」を官僚主義の産物として批判し、さらなる革命の徹底を
訴えました。
3. 弾圧と消滅
その主張は、毛沢東が目指した党主導の秩序回復(大連合)を脅かす「極左思潮」や「無政府主義」であるとみなされました。
批判: 1968年初頭、康生や江青ら文革指導部から「反革命組織」として名指しで批判されまし
た。
解体: 1968年2月末までに組織は壊滅し、メンバーの多くが逮捕・投獄されました。
省無連の活動は、文革が単なる権力闘争にとどまらず、体制そのものの変革を求めた若者たちの過激な理想主義と、それが党秩序によって封じ込められた過程を示す重要な歴史的事例として研究されています。
これらの話は、右の「毛沢東を批判した紅衛兵」を読んでいたから知っていたもので、当時、全学連を中心とする学生運動の大半はスターリニスト毛沢東賛美の嵐の中に在り、間の抜けた日本労働党、日本共産党左派、社青同向坂協会派など教条的なスターリニストならいざ知らず、ブントから元より、社青同太田派、自称トロツキストの全国委員会、社青同解放派(青解)…まで毛沢東賛美、ベトナム反戦運動とスターリニストのホーチミン讃美に流れ、反スターリン主義でも極めて少数の、僅かに黒田(革マル)派と、一部のキャノン派(IC派)系のトロツキストだけがベトナム反戦闘争ナンセンス、スターリニスト毛沢東への批判を行っていたのでした。
結局、日本の左翼とは所詮この程度のもので、先年、78歳で自ら入水し命を絶った保守論客の西部邁氏も元はブントから東大全共闘、全学連中執を務め、東大教授に成るも、辞職し保守論客と成って行った事を考えれば、78歳で命を絶ったのには余程、日本と言う国家に絶望していた事が分かるのです。
もしも、高市政権の登場による現在の日本の政治情勢の一変を知るならばどう思ったかと思うとただただ考えさせられるのです。
ここまで見てくると、一部の突出した本物はいるものの決してメジャーにはなれず、日本の左翼というものが如何に底が浅く、同様にスターリン主義者とか更に陳腐で滑稽な毛沢東主義者に至っては、凡そ労働者の為に活動し一生を掛けて闘う者など皆無だった事が見えて来るのです。 勿論、十分に理解していた明晰な活動家、理論家も居たのですが、所詮は少数派に留まったのでした。
では、話を戻しますが、特に毛沢東に至っては紅衛兵運動を奪権、復権の為だけに利用し扇動しただけの事で、プロレタリア革命など全く考えていない民族主義者(評価したとしても国家統一を目指しただけ)でしかなく、良くて崩壊した清朝(外部民族政権)後の国家統一に社会主義を看板として利用しただけの人物でしかなかった事が分かるのです。
当然にも現在の中国は、共産主義社会はおろか社会主義国家の崩壊などでさえなく、工場労働者を始めとする労働者階級は一度も権力を握っておらず、それに至る労働者の運動を徹底的に破壊し粗野な農民反乱軍が文化と生産を破壊しただけの事だったとしか言いようが無いのです。
逆に言えば、労働者階級が一度も権力を握っていなかったが故に、地主と外資を接収し、僅かしかない民族資本家を合法化し、逃亡した外資を国有化し、地主の土地を国有化しただけの共産党が支配する統制国家を造り出しただけの事だったのです。
外資導入と田中派に象徴されるキック・バックだけが目的の日本の間の抜けたODAから大量の借款供与が与えられた途端、一気に資本主義が勃興したのでした。それを社会主義の勝利などと信じ込んだのが戦後左翼の馬鹿馬鹿しさであって、その一部に60〜70年安保を経験し、その後一気に就職し転向していった成功者の中に、日中戦争ではご迷惑をお掛けしましたと…ばかりに中国共産党に取り入ろうとした浅はかな経営者のひよこ共がいた事が、現在の経団連、経済同友会、商工会議所…親中派議員が中国を賛美し、金と技術を盗まれ、果ては罵声を浴びせられ、恫喝される無様な有様に陥ったのがつい最近までの日本だったのです。
未だに、中国を共産主義国家と信じて疑いを持ってない人が多いのでしょうが、そもそも、ス
ターリン主義でも最もレベルの低い日本労働党並みの頭の毛沢東主義で政治的武装を行ったと信じて疑わない連中が、堕落に堕落を重ね横暴にも人民を弾圧するに至る1989年の天安門事件を領導した首相の李鵬に象徴される人民虐殺から早くも数年で30年にならんとしているのですから、この様な国家を共産主義社会とか最低でも社会主義国家…などと信じる事がそもそも誤りで、まがりなりにもスモールヌイを拠点に都市労働者による権力奪取を行ったロシア革命とは全く異なっていたのでした。
一方、満州国建設に成功した石原莞爾は長城を越えて南には入るなと言っていたのですが、中国本土で大陸打通作戦とか北京取った南京取ったとか燥いでいた石原後の関東軍の馬鹿者共が、アメリカ民主党のフランクリン・デラノ・ルーズベルトのデラノ家の阿片利権保護のために発動された帝国陸軍潰しに利用され、米国の標的にされたのでした。
その意味では、金食い虫の蒋介石より、山奥で逃げ廻っていただけの中共軍の方が使い勝手があると判断されたのでした。
こうして、大戦後のドサクサもあり毛の山賊軍に幸運にも政権が転げ込んだのです。
それが中国共産党権力の成立の秘密なのです。
一方、現在、中共が送り込むフェンタミルでアメリカが苦しんでいるのも、そもそもは悪魔のデラノ家への実質入婿となったルーズベルト(エレノア、セオドアではないので誤解されない様に…)の悪行への復讐とまでは言えるのです。ただ、中共がそれ以上に悪辣な事をやっているのは間違いないのですが。
無論、ルーズベルトも本物の共産主義者であれば慎重に排除したはずですが、実体は逃げ回っていただけの山賊集団=ただの没落農民軍と理解していたからこそ使えると踏んだのでした。
そもそも、ルーズベルトの祖母の家系こそ阿片でぼろ儲けし、ニューヨークのポトマック川河畔に大邸宅を拵え、国連事務の敷地までも提供したのでした。
だからこそ、南部仏印進駐(当時はナチス・ドイツ占領下のフランスはドイツ占領下に置かれた親独政権「ヴィシー政府」リップ・ペタン元帥でしたから侵略ではなくドイツの許可を得て行われたのです)は平和裏に行われたのですが、デラノ一族にとってはこの利権の奪還こそが重要で、元々、陸軍はイギリスと戦うため西のインドに向かう予定だったのですが、日本は海軍によって太平洋戦争に引き摺り込まれたのです。まさにこいつに嵌められた第二次世界戦争敗北だったのです。
AIによる概要(フランクリン・ルーズベルト デラノ家 阿片利権)で検索したAIデータ(以下)
フランクリン・D・ルーズベルト大統領のデラノ家(母方の家系)は、19世紀後半に中国とのアヘン貿易で莫大な富を築いたことで知られています。特に、彼の母方の祖父、ウォーレン・デラノ2世はアヘン商人で、アヘン貿易が盛んだった時代に中国で活動し、ルーズベルト家が政治的な地位を確立する基盤を作りましたが、これは後世に「アヘン利権」として批判の対象となり、ルーズベルト大統領の家系とアヘンを結びつける歴史的背景となっています。
デラノ家とアヘン貿易の背景
ウォーレン・デラノ2世の活動:ルーズベルトの母方の祖父であるウォーレン・デラノ2世は、1840年代に中国へ渡り、アヘン取引に従事しました。当時、英国がインドから中国へのアヘン密輸を独占しており、デラノはこれに加わって莫大な利益を得ました。
アヘン貿易の歴史: 19世紀の中国では、アヘン中毒が深刻化し、清朝政府はアヘン輸入を禁止しま
したが、イギリスはアヘン貿易を保護し、アヘン戦争(1839-1842年)を引き起こしました。この
時代、多くの欧米商人がアヘン貿易に関与し、その富を蓄えました。ルーズベルト家への影響: ウォーレン・デラノ2世が築いた富は、ルーズベルト家の財政的基盤となり、フランクリン・ルーズベルトが大統領になるまでの間に、彼らの社会的な地位向上に貢献しました。彼の母サラ・デラ
ノ・ルーズベルトも、この遺産を受け継いでいます。
ルーズベルト大統領とアヘン問題
フランクリン・D・ルーズベルト自身はアヘン貿易に直接関与していませんが、彼の家系がアヘン利権と深く結びついていたことは事実であり、これは彼の政治的・歴史的評価の一部としてしばしば言及されます。
特に、日中戦争時にアメリカが中国を支援したことと、ルーズベルト家の過去のアヘン貿易を結びつける陰謀論的な見方もありますが、歴史的事実としてはデラノ家の過去のビジネスがルーズベルト家の繁栄の土台となったという点が重要です。
この「デラノ家のアヘン利権」の歴史は、富の起源や家族の過去と現代の政治家の関係性を考える
上で、興味深い事例として語り継がれています。

まさにこいつに嵌められた敗北予定の太平洋戦争だったのです 300万の将兵こそ哀れ
帝国陸軍でも、関東軍の後追い参謀達も大人しく石原莞爾の言う事を理解して満州だけを確保していれば、日本人は今でもビザなし渡航ぐらいは出来ていたはずなのですが、帝国は80年の停頓を食らってしまったのでした。
どうせ、皇室の財産を守るために戦わされた300万人だったのですが…真面目に議論する気にはならず、ただただスターリニスト中共の国家破滅だけを見たいだけなのです。
もう、9割方は実現していますので、後は国内の親中派と消滅して頂きたいと思うばかりです。

満州事変当時、石原莞爾は関東軍作戦主任参謀(陸軍中佐)で、その時の上司が板垣征四郎(関東軍高級参謀(大佐)でした。
実は、私も某自治体の職員として在職中に仕事で軍隊当時の話をしていたところ、その軍歴者が突然“征四郎さんの直属の部下だった”と言い出したのでした。
始めは面食らったのですが、直ぐに板垣征四郎の事だと気付きました。
確か憲兵曹長とか憲兵軍曹…とか言われていた様ですが、今は鬼籍に入っておられる事でしょう。
板垣征四郎 何をした? で検索したAIによる概要
石原莞爾と板垣征四郎 東洋のアメリカの夢|もゆるりmoyururi-island
板垣征四郎は、関東軍参謀長として満州事変の首謀者の一人となり、満州国軍政部最高顧問、陸軍大臣などを歴任した陸軍大将で、敗戦後、A級戦犯として極東国際軍事裁判で死刑判決を受け処刑されました。中国での諜報・侵略工作に関与し、日中戦争、太平洋戦争で軍の要職を務め、降伏文書に調印、そして戦争責任を問われた人物です。
主な経歴と行動
満州事変への関与:関東軍高級参謀として、石原莞爾らと共に満州事変を計画・実行しました。
満州国での活動:満州国軍政部最高顧問として、満州国建国と運営に深く関わりました。
陸軍大臣:1938年には陸軍大臣に就任し、軍部の要職を歴任しました。
戦争中の責任:朝鮮軍司令官、第7方面軍司令官などを務め、第二次世界大戦末期には、シンガポールで降伏文書に調印しました。
戦後の処刑:戦後、A級戦犯として裁かれ、絞首刑に処されました。
フランクリン・ルーズベルトは、余程、阿片利権を潰されたくなかったのでしょうね…
今回、2025年最後のブログに妙なテーマを取り上げましたが、2025年半ばから始まった日本国内の政治状況の劇的変化は驚くばかりで、何故、この普通の感覚が中国と言う史上最低最悪の国家に貶められ、国富のかなりの部分を貢ぐことになったのかと言うのが、最大の謎でした。
どうして中国に投資、捨て金、技術供与、技術窃盗…を許す事に成ったかです。
大袈裟に言えば、この疑念を払拭できなければ暫くブログも書けないという問題であり、言わば避けて通れない障壁でもあったのです。
政界、経済界が何故、この盗賊国家に余りにも大きな貢物をしたのかを考える時、青春期に60年安保〜70年安保を中途半端に経験した左翼的傾向が作用しているのではないかとの結論に行きついたのでした。
私自身も嫌ではあるのですが習 近平と同年であり、政界、経済界の方向性を決定してきた連中にも、戦後の左翼思想を自然に受け入れた(実際はマッカーサーの占領政策で米国民主党が持ち込んだものですが)素直過ぎる戦後世代の中国の本質を全く理解していなかった結果としか考えられないのです。中共政権は労働者に基盤を置いている訳でもなく社会主義者ですらないのです。
私もそれなりに極左〜極右思想に被れた人間ですが、余りにも極端なため右翼からは極左、左翼からは極右と罵声を貰った理由は、尚も真相も突き詰め様とする傾向があり、結局は誰も信用しないという(逆に信頼もされない)傾向に陥り、ソ連邦(1917〜1989寿命72年)、中国(1949〜2025年…事実上の国家崩壊、消滅へ存命74年…)と大体終わり始めており、もし体裁を変え生き延びたとしても百年停滞は間違いが無く、良くもこんな国家に多くの貢物をしたもんだと今更ながら呆れている訳です。
JAM出身の連合代表の女ダラ幹は1960年生まれで中国共産党などのへの拝跪はないでしょうが、田中角栄から経団連、経済同友会…といった中枢部は、多かれ少なかれ、日本は先の大戦で中国にご迷惑をお掛けしました…とか、私も昔は全学連の先頭を走っていた者です…さらには、毛沢東語録を携えていた時代があったのですとばかりに取り入ろうとした連中がいたはずなのです。
そこには、モンロー主義を打破して戦争経済に踏み込むために、何とか日本を太平洋に引き摺り出し殲滅し、米国を戦時経済に持ち込んで、29年恐慌以来のニューディール政策によっても全く経済回復が出来ない事から戦時経済に持ち込み、多くの失業を吸収し、フランクリン・ルーズベルトが、景気回復を図りたいとして日本を太平洋に引き摺り出そうとした結果、まんまと引っ掛かると言う無様な結果に陥った訳で、贖罪などありえず、むしろ、陸軍の当初の予定道理、西に進み大英帝国の資源の元であったインドへ向かっていればそんなことにはなっていないはずだったのです。
それらも含め、嵌められた第二次世界大戦と言う認識も持たず、中国共産党も、スターリン主義のソ連邦も労働者の国家などという大嘘を信じ込んだ自滅だったとまでは言えそうなのです。
そもそも、戦後左翼とは進駐軍(=米国民主党)に協力する事を前提に生存を許されたもので、NHK、朝日を筆頭とする転向新聞社、入れ替えられた大学関係者、日本共産党でさえ、六全協で米軍=解放軍と位置付け、社会主義革命の前段として民族民主解放を前段階として位置付け米軍に協力することを前提に政界に戻るのです。社会党、旧労農党までが米国協讃勢力として生き延びたのであって、2.1電産ストも自主的に中止するのでした。結局、本物の左翼が登場するのは日共東大細胞〜全学連の中にトロツキズムが持ち込まれるまで待たなければならならず、それも最後は内ゲバ…壊滅する訳で、それ以前、それ以外の連中は全て親米偽装左翼でしかなかったのでした。
長々と御付き合い頂きました。かなり一般的ではない話でしたが、要は戦後左翼の大半は、米国民主党に尻尾を振り、お零れを貰おうとしたさもしい犬に過ぎず、その代表格が社会党、共産党でしかなかったのです。これに真っ向から反対し離脱したのが60年安保の全学連であり、70年安保の新左翼だったのですが、トロツキズムに接近しつつも、大半はスターリニスト毛沢東の中共に社会主義革命を錯覚し、紅衛兵運動に夢を見、この只の農民反乱軍=山賊共に無批判な讃美を送り、米ソ冷戦のどさくさに紛れ、チベット、ウイグル、満州という「化外(けがい)の地」占領し、とうとう、一度も支配した事のない台湾、沖縄までも自国の領土と言い始めたのです。その上、人身売買から臓器移植を産業化させた最悪の悪魔集団=中共に対する政治的武装に失敗し、中国を自らの故地であり(これ自体間違いではないのですが)、その世代の大半が中国に錯覚し、左傾化したマスコミに騙され、商売と利益だけに目が眩んだ、財界人、政治屋、官僚という悪のトライ・アングルが形成され、左翼と呼ぶのも悍ましい連中の長期戦略に絡めとられ、中国の増長に手を貸し続けたのでした。それに水路を開いた田中角栄もロッキード事件で米国から追い落とされ、更なる長期停滞へと追い落とされたのですが、漸く高市政権の登場によって復活の兆しを見せ始めたのです。関東大震災辺りから日本の百年の現代史については、やはり落合莞爾、鹿島 昇、斎藤充功〜鬼塚英明、林 千勝に至り、陸軍の西進が正しく海軍の東進で日本は百年を失ったと確信しています。ただ、伊藤 貫の中国への警告だけが尚も気がかりなこの頃です。
新年明けましておめでとうございます。正月の買い出しには岡田のイオンには絶対行きませんが


にお読み頂き有難いと思っています。






霊能者のF女史から、熊本市の金峰山中腹に劉邦と後漢の霊帝(





実質、漢族と言われるのはこの辺りまでの人々であって、その後の、魏、呉、蜀の辺りに成ると、


















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