2026年01月27日

ひぼろぎ逍遥 スポット317 ひぼろぎ逍遥(跡宮)646 「風呂地名」の解明へ “千葉県の例から”

ひぼろぎ逍遥 スポット317 ひぼろぎ逍遥(跡宮)646 「風呂地名」の解明へ “千葉県の例から”

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太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 先にひぼろぎ逍遥(跡宮)に以下を書きました。


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「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”A

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「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”@


まずは、 自然体で、興味を持ったことを・・平成25年6月:間質性肺炎患者に

地名:興味津々。10月30日81万ヒットに。感謝!ギターを手に!高齢・病気を機に


 というサイトから引用させて頂きました。


  千葉県千葉市   中央区生実町 風呂口(ふろぐち)        *情報頂きました。

  千葉県千葉市   緑区大木戸町 風呂ノ前(ふろのまえ)      *情報頂きました。

  千葉県千葉市   緑区大椎町  風呂口(ふろのくち)       *情報頂きました。

  千葉県市原市   喜多     風呂ノ前(ふろのまえ)      *情報頂きました。

  千葉県佐倉市   岩富     風呂下(ふろした)        *情報頂きました。

  千葉県いすみ市 岬町三門    風呂川(ふろがわ)        *情報頂きました。

  千葉県いすみ市 松丸      風呂ノ下(ふろのした)      *情報頂きました。

  千葉県長生郡  睦沢町寺崎   風呂屋(ふろや)         *情報頂きました。

  千葉県長生郡  睦沢町大谷木  風呂屋(ふろや)         *情報頂きました。


房総、常陸エリアの「風呂」地名でもあったことから、「未知の駅…」というサイトを運営されている当グループのメンバーT女史に照会したところ、以下のリポートを短時間でお送り頂きました。

無題.png

無題.png先日はデータを送っていただきありがとうございました。県内の「風呂」地名を調べ終わったので、ご連絡いたします。


千葉市中央区生実町風呂口  

千葉市緑区大木戸町風呂ノ前  

千葉市緑区大椎町風呂口


市原市喜多風呂ノ前 

市原市西国吉風呂ノ下

佐倉市岩富風呂下 

いすみ市岬町三門風呂川 

いすみ市松丸風呂ノ下 

いすみ市行川風呂下

いすみ市井沢風呂川

睦沢町寺崎風呂屋 

睦沢町大谷木風呂屋

匝瑳市八日市場イ風呂内

香取郡下総町名古屋風呂下

香取郡下総町名木水風呂

東庄町小南風呂ノ下

香取市香取フロノワキ

香取市吉原フロワキ                             以上18カ所です。


千葉市内の風呂地名については、かなり開発が進んでいる地であるため、小字が載っている地図との照らし合わせが非常に難しいと思います。

県内の外の市町村の小字地図が入手できましたら検証してみたいと思います。        ○ミ○カ


このように最初の9件に加え、半分の程度の重複はあるものの、さらに加えて合計18件の風呂地名の拾い出しをして頂きました。

 さすがは、歴史と地名に詳しい○ミ○カさん、ご協力に感謝します。

 当方は現場についての感覚、土地勘が不足しているため、データが増えただけの事かも知れませんが、既に、やたらゴルフ場開発を行なった千葉県の事、現場を確認するその現場が原型を全く残していない以上、単に現場に精通しているからと言ってどうなるというものでもありません。

 最早、国土調査による旧地名の消失も相まって大都市近郊での地名研究は、ほぼ、不可能と考えており、拾い出しが出来ただけ有難いと考えるべきでしょう。

「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった” で書いた様に、この地名は、高温多湿で汗をかきやすい日本の風土に於いて、ある時代から体を清潔に保つための方法を巡ってある傾向を持った人々の風俗、文化に関わるものであるように思えるのです。

ただ、このようなどこにでもある普通の民俗には書き留められた文献が有る訳もなく、極めて薄い情報を処理せざるを得ないのです。荒唐無稽と考えられるならそれはそれでよい事であって、逆に、では何なんでしょうか?と教えをお聴きしたいぐらいなのです。

恐らく、これは沸かしたお湯に肩までどっぷり浸かるタイプのお風呂ではなく、あくまでも半密閉空間での焼石の水桶への投入による蒸気風呂もしくは焚火によるサウナだったのではないかと考えています。

今のところ確認できる事は僅かです。

@   この手の地名が列島のかなり多くの地域に分布していること。

A   その分布にかなりの偏在があることから、列島人の中にも、この地名に相当するであろう、しかも、現在では比較的少数派となった「蒸し風呂」文化の存在とそれを好む人々と好まない人々がいた事を意識せざるを得ないのです。

少なくとも、千葉県にはこれを好む人々が広範にいた事が分かるだけです。

ここで、ネット検索を駆使して概要を掴む作業を始めました。

まず、九州では福岡、佐賀、長崎、熊本にはないことは見当がついていました。

しかし、鹿児島、宮崎、大分など東九州にはあるのです。そして、高知県、愛媛県、香川県、徳島県、山口県、広島県、岡山県にもあるのですが、島根県、鳥取県には拾えません。

畿内(兵庫県にあることは確認しています)を後回しにして、とりあえず大凡の西日本の九州、中国、四国の傾向は掴めます。

一度にはできませんので、以後、数回にわたり、畿内、中部、甲信越は次回取り組むことにします。

ネット検索を続けていると、大変有難いサイトに遭遇しました。

自分の直感によって、「風呂」(フロ)が「室」(ムロ)ではないかと気付いたような気になっていたのですが、実は、柳田國男先生と、それに連動する「風呂と日本人」(p95、p144)で解読されていたのでした。まあ半分は大家の説によって補強されたのですから悪い気持ちはしないのですが、まさに、“あらま欲しきは先達也…”で見当違いではなかった事は喜ばしい限りです。

ただ、定本柳田國男全集(第14巻)を完全に読んでいる訳でもなく、致し方ない限りです。

しかし、筒井功:「風呂と日本人」文春新書(2008年)は書店で見ていましたので読んでおくべきでした。無念です。

無題.png

よくある地名の語源 「ふ」

ふろうがたに(不老が谷)【興津】不老は「フロ」の転訛か。ふろのたに(風呂ノ谷)【風呂(与津地)、風呂ノ谷(江師)、フロノ谷(下道・下津井)、フロガ谷(大正北ノ川)、風呂ノ本(七里・親ヶ内】フロは、ムロから転じた語で「籠る所」の総称。かまどを中崎、宮崎、鹿児島でフロ。七輪を福岡、大分北西部でハヤフロ。長火鉢のことを富山県ではヤマトブロ。フロはムロに同じで土窟・洞窟・岩屋などの意味のほかムロ、ミムロと同じで、もともと神のいます所を意味するものとされている(民俗地名語彙辞典)。また、森もまたフロである(柳田国男「風呂の起源」)。

長宗我部地検帳にみられるホノギ「風呂」関連地名を四万十町内で探してみると、風呂ノモト(茂串町)、フロノタン(宮内)、風呂コウツキ池(口神ノ川)、風呂ノ谷(寺野)、フロノ谷(本在家)、フロノモト(柳瀬)、フロ(与津地)、風呂ノモト(親ヶ内)、風呂ノ段(上岡)、風呂ノ谷(江師)、風呂ノ谷(里川)、風呂ノ段(大井川)、風呂ノ北(戸川)の13か所ある。

また現在の四万十町内の字を拾うと、風呂ノ本(柳瀬)、目サフロ(勝賀野)、風呂(与津地)、風呂ノ本(親ヶ内)、フロガ谷(大正北ノ川)、風呂ノ谷(江師)、フロノ谷(下道)、フロノ谷(下津井)、一ツ風呂(戸川)の9か所ある。ホノギと字の関連で読めばうち4か所比定されることになる。

筒井功氏は、高知県の小字一覧からひろった88箇所の風呂地名を現地踏査して「フロガ谷」、「風呂ノ谷」、「フロノモト」、「不老谷」などの風呂地名と城郭地名との関連性を指摘している。「フロはもともと発汗浴を意味し石室あるいわ土室のムロがフロの語に転訛。(中略)風呂地名は中世後期の山城と深くかかわっており、多くが山城跡の直下に位置している。」(「風呂と日本人」p95、p144)と高知県下の事例を基に推察している。中世の地検帳にでてくるホノギ「フロ」地名は、風呂と解釈しても時代考証としては、今の温湯浴ではなくサウナ風呂である。井原西鶴「好色一代男(1682)」の挿絵にあるのも蒸し風呂が主流であったという。十辺舎一九「東海道中膝栗毛(1802)」で弥次さん北さんが小田原宿で初めて入る五右衛門風呂がでてくるのは江戸の後期である。風呂好きな日本人が、地名に記号として風呂を刻むのも理解できる。戦傷病者の湯治としての温泉効能は「テルマエ・ロマエ」が証明している。


概略は以下でも分かります。

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柳田國男の「風呂の起源」20110928() 延寿通信第98号 201110


風呂の発生、起源については本欄にて、いろいろな立場から取り上げてきましたが、これまでの理論とは一味違うのが、民俗学者柳田國男の「風呂の起源」です。今から100年近く前に発表されました。残念ながら、あまり深く突っ込んでなくて、結論がややあいまいなのですが、民俗学の立場からみた「風呂の起源」ということで紹介します。

柳田國男(1875-1962年)は日本の民俗学の生みの親として、民俗学に基づいた沢山の論文、随筆を発表しております。東北地方寒村の民話を集めた『遠野物語』は柳田國男の代表作で、今日も広く読まれております。柳田は大学卒業後、農商務省に勤め、官僚の職にありながら、民俗資料を集めて日本の各地を調査しました。官僚を辞めたのち、朝日新聞社に入社して本格的に民俗学分野を固めて、その一方では民俗学普及に努め、研究成果を発表しました。

民俗学というのは、風俗や習慣の言い伝えほか、有形・無形の資料を用いて日常の暮らしの歴史を明らかにして、現在の生活文化に反映させてゆく学問です。今、流行の文化人類学に近い学問領域です。

このような立場で柳田は日本各地の風呂にかかわる民話、言い伝えを集めて、入浴・風呂の起源を論じているのです。民俗学という学問を理解するうえでも、参考になるところが多いのではないかと思います。


1.風呂(ふろ)という言葉の語源

柳田國男は冒頭に、風呂という言葉の解釈にこだわります。語源というか、風呂と言う言葉が、どこから、どのように発生したか、ということです。

明治の中頃、わが国で最初に出来た近代的な国語辞書『言海』の編者大槻文彦は、風呂は茶の湯の風炉(ふうろ、ふろともいう:釜をのせて炭火で湯を沸かす小型の炉)からきているという解釈をしておりますが、この説明を柳田は否定しています。

風呂の構造上、および語句の点では、この風炉というのは風呂に近いので理解しやすいのですが、中世の上層階級の高級な茶の湯の道具は風呂には似つかわしくないと柳田は判断したのでしょう。

茶の湯説でゆくと、風呂という言葉が中世に生まれたということになりますが、古代から続いている温泉や河川で浸かる行水的入浴、あるいは仏教の浴堂は長い歴史がありますので、時代の面でずれを生じ、十分の説明が出来ません。

なぜ入浴することを風呂に入るというのでしょうか。また、入浴する場所を風呂場ともいいます。柳田は 風呂(フロ)は森と林にかかわりがあり、森が風をさえぎる暖かい場所ということから、きているのではないかということを一つの説としてあげています。森や林のことを、中国地方はじめ、紀州ではフロとよんでいるところがあるそうです。日本の各地で神の社(やしろ)もフロという地域があり、これらも、やはり風呂につながるのではないかというのが柳田説の一部です。

一方、山奥に風呂という地名がところどころにありますが、これは、もともと寺の浴場があった場所や、温泉があった所につなげることはできないので、このことは直接、風呂の語源には結びつかない、といっております。

2.入浴の始まりと風呂の形 

わが国固有の入浴法は、海や川に浸かって、身を洗い、あるいは行水のように、たらいの中で身体を洗うのが始まりですが、僧侶は水に浸かって垢をこすり落とし、心気を養うことを修行の一つとし、蒸気の立ち込めた浴室で行うようになりました。これが入浴の始まりではないか、と柳田は主張しております。

寺院の風呂は、当初は浴槽とは別の場所で湯を沸かし、その湯を浴槽に注ぎこみました。

仏教起源説は、本欄でも以前に紹介しましたが、仏教以外に、キリスト教もやはり、神聖な水で身体を清めることは行われております。洗礼というのはその一つです。一方、神道では禊(みそぎ)ということが行われ、今日でもなお、各地の神社や、神域では盛んに禊は行われております。神道から離れて、禊を心の修養として行う場合もあります。ただし、禊は水に限っており湯ではいたしません。宗教に共通するところがあるので、水浴を仏教起源というよりも、宗教起源といってもいいでしょう。

柳田は前述のように、神の森は風呂の語源の一つであると、主張しています。森の中で人の侵入を禁止していた場所を地域によってはフロといっていました。神のフロは天然の山の洞穴にあったので、これが蒸し風呂につながってゆきます。鹿児島県のある地区では、かまどのことをフロと呼んでいますが、このかまどが石で囲まれているので、蒸し風呂の形になります。対馬のある地区ではかまどのような大きな岩をフロと呼び、もともと三方を石で囲まれた場所は神を祀る神聖な場であり、地元の人は大事にしてきました。

3.室(むろ)と風呂

柳田論では風呂を取り上げる場合に、これまで本欄で取り上げてきたように、温泉や河川に浸かり、直接身体を水または湯にひたす、いわゆる温浴・入浴と、蒸し風呂すなわち蒸気浴とを明確には区別していません。

温泉に浸かるということは、歴史的には古く、歴史以前からの習俗でありました。日本各地には古来、温泉はあり、これには湯治の目的が多かったようですが、もちろん心身を休めるために入いる場合もありました。

一方、風呂を沸かすとなると、古代では、水の供給、湯を沸かす方法、風呂釜のこと、さらに浴槽もこしらえねばならないので、簡単にはゆきませんでした。

柳田は風呂の元祖は岩屋、石室であったであろうと述べています。これは蒸し風呂です。この入浴法が民間に伝わり、やがて五右衛門風呂となって、直接、湯を湧かして身体を浸す浴槽方式に発達してゆき、そして、風呂付の家になってゆくという説明です。

 古代の風呂は山や海岸の洞穴のような所にあって、そこで草木を燃やし、大量の海水をかけて蒸気を発生させて、洞穴に蒸気を充満させた、ということが蒸し風呂の起源になっております。この様式の蒸し風呂は今日もなお残り、四国、中国地方の海辺では、一部で使われております。この洞穴をムロ(室)と呼んでおります。室という字を、フロと呼んでいる地域は多いそうです。

山に住むサンカ(深い山奥にて狩猟、木工細工で生活した人)、あるいは川原こじきは、穴を掘って底に油紙を敷いて、その水たまりに、別のところで焼いた小石を投げ込んでこれを湯にして入浴していたという話は、しばしば耳にすると柳田は言っています。また、伊勢の住民が流木を拾い集めて湯屋の燃料にする特権を有していたことも聞いたことがあると述べています。この話は江戸において伊勢地方出身者が銭湯の営業に活躍していたという話につながります。

柳田は、これらの伝え話の虚実は分からないとしつつも、風呂の発生はこのような下層階級の住民の入浴方法が元になっているのではないかと、述べています。しかし、これらは伝聞を紹介する程度で、深い追求はなされていません。少なくとも、冒頭の茶の湯起源説を否定する柳田説の背景は理解できます。

柳田國男の「風呂の起源」が発表されたのは、大正4(1915)であり、以前に本欄で紹介した蒸し風呂起源説の本、筒井功『風呂と日本人』は2008年の出版ですから、100年近く柳田説が古いので、観点は同一ではありませんが、柳田説には先発者の苦労がうかがわれます。

筒井功『風呂と日本人』は、日本各地を歩いて取材し、柳田とは違って、風呂の起源を系統的に深く調べており、結論も明快です。ご興味ある方には一読をお奨めいたします。

<参考資料>

柳田國男:定本柳田國男全集第14巻、筑摩書房(1969年)

筒井功:風呂と日本人、文春新書(2008年)

Posted by 管理者 at 1009


しかし、私が考えている事はかなり違っていますので、ここでは簡略化して箇条書きにしておきます。

それは、畿内、中部、甲信越と随時、作業を試みますので、その都度考え方も修正されて行くだろうからです。


1)

まず、各々の民族の持つ言語特性から「室」(ムロ)を「風呂」(フロ、ブロ)としか発音できない人々が、「風呂」地名を残したのではないかと考えています。従って、「室」(ムロ)と呼んでいる人々がもう一方には居るはずで、単に「風呂」地名が面白い為に問題にされていると考えています。

この背後に存在するのは、目を瞑る(ツムル)と瞑る(ツブル)や、帽子を冠る(カムル)と被る(カブル)や噛む(カム)と食む(ハム)…といくらでも拾えるのですが、M音とB音が入れ替わっても殆ど意味が変わらない言語が日本語には大量に存在するのです。

恐らく、M音が古く、B音が新しいのですが、日本語の呉音と漢音の対抗現象と対応しているはずで、今のところ、日本人が元は大陸からの移住者によって形成されている証拠なのかも知れないのです。

2)

今調べた段階で、福岡、佐賀、長崎、熊本、島根、鳥取…に「風呂」が存在しないという地名の偏在する分布を見ると、どうも九州西岸から北上、東流する対馬海流が洗う山陰の海人族=江南系(呉、越、楚人)のエリアに居る人々と、鹿児島、宮崎、大分から九州東岸から四国、中国のエリアに展開した熊襲系(大山祗系=実はトルコ系匈奴)の対抗のように見えるのです。

なお、大国主は大山祗の息子ですが、母は大幡主の妹埴安姫=ヤタガラスの母であり、実質的には大幡主系海人族への入り婿なのです。

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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 大陸の浙江省〜福建省辺りの「閩越」が蒸し風呂に入るという話は無いのであって、どうみても水と燃料が乏しいシルク・ロード周辺のサウナ、蒸気風呂の文化を持ったトルコ系匈奴、鮮卑、高句麗、モンゴル系民族の列島への進出とこの「風呂」地名が対応しているのではないかと考えているのです。


百嶋由一郎氏が残された音声CD、手書きデータスキャニングDVD、最終神代系譜を必要な方は09062983254までご連絡ください。

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2026年01月24日

ひぼろぎ逍遥 スポット316 への転載 ひぼろぎ逍遥(跡宮)645 謎の「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”(下)

ひぼろぎ逍遥 スポット316 への転載

ひぼろぎ逍遥(跡宮)645 謎の「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”(下)

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太宰府地名研究会 古川 清久


2018年の西日本豪雨災害から一転、猛烈な暑さに襲われています。

阿蘇外輪山から連続する日田の高原地帯に天然温泉付きの当会の研修所もあるのですが、温泉は涼しくなって入るとしても、夕方までは冷たい地下水を掛け流し広い岩風呂で水浴しながらブログを書き続けています。

 つまり、エアコンのテスト運転さえも行わずに何度も水風呂に入って扇風機だけで、ただ、ひたすら耐えている訳です。

 標高400メートルといった高原とは言ってもこれまでのブログで書いてきた様に、夕立が消えたために地表の蓄熱が解消されず、3035度といった高温が連続していますので、いつしか濡れた皮膚を濡れたタオルで覆い、扇風機による人工的な気化熱(潜熱)で冷を取るという伝統的な方法を取っているのです。

無題.png 恐らく、ギリギリ50代の方には理解して頂けるのではないかと思いますが、昔は街角でさえも良く見かけた風景でした。    暑くてシミズ(シュミーズと言ってももはや死語ですかね)一枚着て、背中に日本タオルだか洋タオルだかを載せて団扇で涼を取っていた事を思い出すのです。今になって分かるのですが、皮膚が濡れているから気化熱で涼しくなるのですから、濡れタオルとは実に合理的な方法だった事が良く分かるのです。

 その後、扇風機からエアコンが普及するに至ると状況は一変するのですが、昔の無題.png暑さは現在のような気違いじみたものではなく、その程度でも結構凌げていたのかも知れません。

驚かれるかもしれませんが、実際そうなのです。毎日夕方になると決まって黒い雲が現れ何やらゴロゴロと雷が鳴り始め夕立が降ってきた事から、地面は一気に温度が下がり、萱の中で母親が煽ぐ団扇で快く眠りにつくことができたのでした。

この熱循環を実現していた夕立を消してしまったのが国土交通省であり下っ端の農水省でした(打ち水大作戦の大間抜け…外をご参照下さい)。

地方(佐賀県)の小都市に住んでいた私も、昔は温泉の共同浴場に家族で行っていましたが、節約のために週に二、三度であって、夏場はもっぱら行水と濡れたタオルで体を拭いていたのでした。始めは木で作られたタライ(これも死語になりましたが)でしたが、何時しか金盥(カナダライ)に変わり、とうとうプラスティックス製の盥(タライ)に置き換わりましたが、その頃には行水の風習は消えて行ったのでした。実は、エアコンどころか扇風機も一家に一台しかないこの時代の方が、まだ涼しかったという記憶を持っています。

 昭和40年代の始めの頃の記憶ですが、小学校の「夏の友」といった教材の日記欄に「今日は29.7度ですごく暑かった…」と書いているのを今でも良く覚えています。

 実際、その時代、30℃を超える日というものは一夏でも二日か三日、多くても五日を超える事はなかったのでした。この穏やかな国土を徹底的に破壊尽くした結果、上水は遠くのダムから地下管路で送られてきますし、地表の水は全てを下水道として地下に流し込み、小規模河川は三面張りの雨樋としてたちどころに乾燥化させるとんでもない国土を造りだしたのが国土交通省と下っ端の農水省だった事は書いた通りです。山の人工林化や圃場整備によって、列島が乾燥化させられ一気に気温が上がる国土となったのです。

皮膚に水分がなくなれば気化熱の発生が消え一方的に体温が上がる事になります。

これと同じですが、地表に水分がなくなると夕立が消えヒート・アイランドとなるのです。

この勢いで、史上経験した事もない数十年に一度の豪雨災害が毎年発生するようになった事によって新たな災害復旧工事を抱え込みながら東京オリンピックが熱波に襲われで破綻するのを心待ちにするこの頃です。オリンピックなどやめて国民を救済せよ!と思うと言うより夢見るのですが、早くも東京五輪の御臨終を見届けたいと考えています。くだらないヨーロッパ不良貴族の生き残り共が始めたオリンピックなど止めて国民の救済のために資金は回すべきなのです。

どうせオリンピックなど個人と国家の不正合戦であって国の名を外した小さな運動会に徐々に貶め、頭が空っぽなスポーツ選手などの活躍の場など無くしてしまえと思うこの頃です(占領軍のスポーツ戦略)。

 さて、前置きが長くなりましたが、今回は「行水」とは何かを考えることにします。


行水と風呂


 行水とお湯に入る事にはかなり違う点がある事がようやく少し分かるようになってきました。

 まず、熱いお湯を湯船に張ってその中に首までつかって湯あみをするという風習を持つ民族と言うのはそれほどいないという事に気付きました。

 まず、乱暴に言えば、温泉に毎日入るような民族は日本人と台湾人とヨーロッパ(バーデン・バーデンやアイスランド…)人の一部、それに南米のペルーの温泉地帯など極僅かしかいないのです。

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ペルーの観光スポット!クスコの温泉!日帰りできアンデス山脈を見ながら浸かれる露天風呂 La Raya


 火山が事実上存在しない中国も首まで浸かる様な浴場はない上に浴槽は無く、シャワー(冬は熱い湯が出はするのですが)が普通で、農民工などは週に一度体を洗うか拭く程度でしかないのです。

 そこでインドです。結構首まで浸かる様な浴場があるとも聴くのですが、元々は沐浴、水浴の国なのです。水浴と言ってもお湯と変わらないような太陽で熱せられた水であってそれでも良いのでしょう。

インドネシアも火山の島ジャワには堂々たる温泉がありますが、スコールに合わせた水浴が基本で、シャワーだけで事足りているようです。

ベスビオ火山で知られる火山国のイタリアですが、トロヤ戦争〜ローマの軍船それに水道橋やコロッセオなどコンクリート構造物も含め森を切ってしまったために実に水に乏しい国となり果て、チョロチョロの水でシャワーを浴びる事しかできないのです。

では、ロシアはどうでしょう。王侯貴族だけの話かも知れませんが、お湯を沸かしバスタブに入る文化が存在していました(これは凄い贅沢な事なのです)。

北欧のサウナは良く知られています。シャワーは使うのでしょうが、冬場は凍結しなかなかお湯を沸かすとしても相当の燃料が必要で、サウナが簡単である事は容易に想像が着きます。

当然、モンゴル高原のトルコ系、ツングース系、モンゴル系の遊牧民もパオ(ゲル)の中で蒸し風呂に入っていた事は知られています。トルコ風呂で知られるトルコも火山国で一応水着で入る温泉はあります。

シベリアからアラスカのイヌイット(エスキモー)も周りに薪などなく水さえもないことから風呂など全くかと思ったのですが、氷室の中の蒸し風呂が普通で、中には尿風呂にも入ると言われていますが、実感がわかずに良く分かりません。

 お隣の韓国ですが、ソウルにも温泉が幾つかあります。

ただしそれほど古いものではないようで、韓国にはバスタブで首まで浸るという風習はないようです。

無題.pngこのため、韓国勤務を命じられた社員はシャワーだけの半島生活に耐えられず、なんとかバスタブを浴室に入れて湯船として利用すると言う話を聴きました。

同じような話をもう一つ「中国戦線よもやま話」か何かだったと記憶していますが、中支戦線で大きな甕を見つけると大喜びでお湯を沸かして、お湯を入れ湯に入ったという話がありました。

勿論、中国には風呂屋などはなかったのです。

こんな話こそ日本人を考える上でよほど参考になる話ですが、現在の大陸に住む支那人なるものがどのような人々であるかが垣間見られるのです。

中東とアフリカを除く大雑把な傾向はお読み頂いた通りですが、日本人が如何に首まで浸かる風呂を好むと言うより渇望しているかは十分にお分かり頂けたのではないでしょうか?

 一つは、お湯を沸かすための十分な燃料が安定して供給できる里山が直ぐ傍に有ったと言うことや、当然にも十分な水があったこと。さらに言えば、その温度がそれほど低くはなく、冬場でも地下水ならば最低でも15度程度で、温泉でもあればそのまま入れたことがあったようです。

 ところが、ところがですが、日本人には蒸し風呂にも入る風習も同時に存在していた事に気付くのです。

 決して水を沸かして湯船に入れるというだけの文化とは異なる所謂風呂の文化が存在したようなのです。

 それは、江戸の浮世風呂が元は蒸し風呂だったという事実です。


江戸ガイド(江戸時代のさまざまなトリビアを紹介!)をお読み下さい。


江戸時代は、お家にお風呂がなかった

江戸には水道が引かれていました(これ、江戸っ子の自慢)。ただ、水は非常に貴重であり燃料の薪も高価。そのため内風呂を持っている家はほとんどありません。

武士だろうが大商店の主人だろうが貧乏長屋の家族だろうが、みんな公衆浴場=銭湯に通いました。銭湯は、江戸では「湯屋」と呼ばれていて「ゆや」「ゆうや」と読みます。ちなみに京や大坂など上方では「風呂屋」と呼ばれていました。江戸時代の銭湯の様子がこちら。

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浮世風呂が蒸し風呂だった事ですが、単に水と燃料の節約のためだけではなくステップ・ロードの残影(北方系騎馬民族)を見るのですが、これが今回の本当のテーマなのです。

 まず、現在の九州の温泉地にも蒸し風呂が存在していた事を知っています。

 もっとも集中しているのは大分県で鉄輪温泉の鉄輪むし湯が最も知られていますが杖立温泉にもありました。鹿児島県の栗野岳温泉、妙見温泉を始め杖縦温泉まで多くの蒸し風呂が存在していましたし、福岡県の東峰村にも最近まで釜風呂温泉(これは岩盤浴のようなものでした)があった事を記憶しています。

 不思議と海人族の領域には存在しないのです。これが蒸し風呂へのイメージを尚も強めています。

実は30年も前から気付いていたのですが、「風呂」と言う地名が何故か中国地方の山中などにかなりの数で拾えるのです。これは実際に室を造りサウナか蒸気風呂をやった名残ではないかと思うのです。

今回、この問題にある程度の見当が着いたので書く気になりましたが、目立つのは愛媛県今治市の桜井石風呂でこれについては今も確認できます。今さら一から「風呂地名」を拾い出す気はないため、ネット上から探すと多分京都地名研究会辺りの方だと思うのですが、「晴徨雨読」と言うサイトがあり(以前から何度か読ませて頂いていますが…)、有難く一部をご紹介させて頂くことにしました。以下…。

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筒井功 文藝春秋, 2008 - 276 ページ


貧しい炭焼きが福分をもった女性と結婚して、それが縁で財宝を発見するという「炭焼き長者」伝説は、東北地方の北端から沖縄の島々にまで、同工異曲の類話 ... そうして、よく似た筋の話が朝鮮にも中国にもあることは、決して偶然ではあるまい。か: 3 韓室とは何か石風呂と無風呂日本式サウナのことを本書では、ずっと「石風呂」と総称してき た。

ページ

この想像は、御先風呂などの地名や、森をフロという方言が多く中国地方に分布していることとも符合するように思える。胡畔の石風呂の起源日本の石風呂が朝鮮に由来する可能性が高いことは、これまでに述べてきた事実によって、おおよそはうなずけると思う ...


風呂地名の謎(1) 10/20

2016.10.20(木)曇り 

 風呂地名について綾部市周辺を調べてみた。

風呂屋(鷹栖町)、風呂ノ谷(下原町)、風呂ノ本(上原町)、風呂谷(十倉志茂町)、中風呂(睦合町)、高風呂(五泉町)、風呂ノ奥(老富町)、本風呂(市茅野)そして井倉新町と味方町の石風呂である。グーグルの地図で掲載されているところを調べてみるが、山中あり川辺あり宅地ありで地形的にも山あり谷あり平地ありで千差万別である。ということは一つのある地形から来たものではなさそうだ。

気になるのは風呂ノ本、風呂ノ奥などと位置関係を示す地名が多いことだ。「風呂と日本人」の中には風呂ノ下、風呂ノ前、風呂ノ西など位置関係を示す地名が登場する。

ということは風呂という何かが存在して、その前であったり奥であったりするわけだ。その風呂とはいったい何なのだろう。

 筒井氏が言うような石風呂の遺跡や痕跡があれば問題ない、しかしその可能性は薄いだろう。だからといって無視するわけにもいかないし、とりあえず一つ一つ現地を当たってみることにする。

 安栖里駅の南に風呂ノ元という地名がある(京丹波町安栖里)。由良川沿いに広がった河岸段丘で永正年間(1504〜1520)頃には十倉氏が居住したと言われるので、小字十倉はその地なのだろうか。風呂ノ元は駅の南側ののどかな住宅地で緩やかな斜面となりやがて山林となっている。風呂ノ元の上手、山側には竜心寺という寺院があり、堂ノ成という地名はそれに由来するものだろう。もしこの地に風呂があったとしたらこのお寺か十倉氏の居城に由来するものなのかと想像するが、それには何の根拠もない。地形的には上原町の風呂ノ本と一応は共通している。


無題.pngここで、仔猿の雑記帳というブログをご紹介します。

これに「泉福寺跡と石風呂」があります。

 既に二度ほど足を運んでいますが、一度は内倉武久氏と現地を踏んでいます。

 内倉先生は、“始めは製鉄遺構じゃないのか…”と言われましたが、風呂の遺構と受け入れられました。


「大左右」のバス停は「だいそう」と読むのだそうです。他所にも「・・左右・・」等と書いて「・・そう・・」等と読む地名もあるようです。その前にひとつお知らせです。大分県民の悲願であった、別大国道の拡幅工事が完成し、本日10時に全面運用が開始されました。車道6車線と海側には広い歩道が設置されています。かつては、なにかあると渋滞!渋滞!で酷道とさえいわれましたが、人にも、車にも、自転車にも快適な国道に生まれ変わりました。別府湾の綺麗な景色をゆっくり見ながらお散歩されては〜?さて今日は、杵築市山香町にある廃寺跡と石風呂をご紹介します。山浦地区に、周りを田圃に囲まれた小さな丘と森があります。

無題.png

泉福寺跡です。この小さな丘のすそに、国指定重要有形民俗文化財の「石風呂」が残されています。

無題.png

古墳の石室のようですが、今でいう「蒸気サウナ」でしょうか?内部の天井です


私も始めて目にした時は古墳かとも思ったのですが、解説を見て氷解しました。

やはり、中国地方にある風呂地名の事が頭に浮かびましたが、やはり現物を見るのは全く別で、臨場感が迫ってきます。

この一帯にも三嶋神社があり、我々がトルコ系匈奴と考える大山祗であることから、シルク・ロードと石風呂によるサウナとの関係が見えて来るのです。

無題.png

人(仁)聞菩薩の話が冒頭から出てきますが、8世紀の国東半島〜宇佐の一帯では良く遭遇する僧侶の名です。

無題.png

大分県杵築市山香町大字山浦字長田


付近の神社が三嶋神社ですから大山祗系と考えられそうですね…。

 これまで、ひぼろぎ逍遥を丹念に読んでこられてきた方にも多分納得して頂けるのではないかと思うのですが、もはや疑いようは無いように思います。

 恐らく大山祗に象徴されるトルコ系匈奴の全国展開とこの風呂地名が対応しているはずなのです。

 ひぼろぎ逍遥のトップ画面には、


ただし、「ひもろぎ」も「ひぼろぎ」も同一の意味で、「かむりつく」「かぶりつく」、「ねむたい」「ねぶたい」、「つむる」「つぶる」・・・とM音とB音が入れ替わっても全く意味が変わらない言葉が日本語には沢山あるのです。

これは、基本的には呉音と漢音の対抗を意味しており、これ以外にも、N音とD音の入れ替わり現象、濁音の清音化現象なども認められます。


 と書いています。

 このM音とB音の入れ替わり現象によって、この室(ムロ)が風呂(フロ、ブロ)と読み替えられているのではないでしょうか。

 彼らは(恐らくトルコ系匈奴=熊襲=大山祗系)は呉音で室(ムロ)と読む傾向が崩れ、漢音で(フロ、ブロ)と読む傾向と対応している可能性があるのです。

 それが、以下にも反映されているように見えます。鹿児島県鹿屋市の事例です。


  鹿屋市     風呂段(ふろんだん)

  鹿屋市     輝北町上百引 風呂段(ふろだん)        *情報頂きました。

                 風呂段谷(ふろだんたに)     *情報頂きました。

                 風呂段村頭(ふろだんむろがしら) *情報頂きました。

                 風呂段村下(ふろだんむろした)  *情報頂きました。


ここでは、風呂(フロ)とも言う人々と、室(ムロ)とも言う人々が共存していた事を今に伝える痕跡地名のように思えるのです。

 日本語には、M音とB音とが入れ替わっても意味が変わらない言葉が非常に多く存在します。

室(ムロ)と風呂(フロ)もその一つの例だったのです。

 面白い事に、というサイトがあり、室(ムロ)地名を拾い出しておられます。


無題.png

…以下省略。

 ここの鹿児島から熊本を見ると、確かに頷けるものがあるようです。

 私の出身地の佐賀県唐津市にもこの石室がありますね。魏志倭人伝の上陸候補地の一つとして現地をおと訪れた事もありました。

 この「石室」は、臼状地の奥まった「室」=袋地と理解していましたが、今にして思えば、「石室」サウナだった可能性も捨てがたい思いがします。

無題.png

ただ、鹿児島県の事例は全て南の島嶼部で、本土は全て風呂に置き換わっているようです。

佐賀、長崎に風呂地名が存在しないと言う現象は気づいていましたが、恐らく海人族の色濃い地域には水浴文化はあっても蒸し風呂文化は異質で定着しなかったのかも知れません。

 結局、室地名はいつしか風呂地名に浸食されたか追い立てられ棲み分けが行われたのではないかと考えていますが、遠い列島の民族成立に関わる部分であって、あくまでも想像に頼る仮説でしかありません。

 このM音とB音の入れ替わり現象について体系的に論証を試みたのは永井正範氏でしたが、素晴らしい研究内容にも拘わらず、著書も出さずブログも書かない様では、ネットが主流の世界では存在していないと同義でしかなく、業績を残すことなく消されてしまうでしょう。この論文は太宰府地名研究会のHPを。

無題.png
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2026年01月20日

ひぼろぎ逍遥 スポット315 への転載(後) ひぼろぎ逍遥(跡宮)644 謎の「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”(上)

ひぼろぎ逍遥 スポット315 への転載(後)

ひぼろぎ逍遥(跡宮)644 謎の「風呂地名」の解明へ “それは行水への思考回帰から始まった”(上)

20180717右矢印120251206

太宰府地名研究会 古川 清久

   桑名市  下深谷部   高風呂(???)           *情報頂きました。

   熊野市  飛鳥町大又  風呂ノ谷口(ふろのたにぐち)     *情報頂きました。

                  風呂ノ谷奥(ふろのたにおく)  *情報頂きました。

   熊野市  飛鳥町神山  風呂奥(ふろおく)          *情報頂きました。

   熊野市  飛鳥町佐渡  風呂谷口(ふろたにくち)       *情報頂きました。

   熊野市  育生町赤倉  風呂谷(ふろたに)          *情報頂きました。

   熊野市  育生町長井  風呂谷(ふろたに)          *情報頂きました。

   熊野市  紀和町小野  風呂ノ谷(ふろのたに)風呂ノ本(ふろのもと)   *同上

   熊野市  紀和町楊枝  風呂ノ谷(ふろのたに)        *情報頂きました。

   熊野市  紀和町小森  風呂ノ谷(ふろのたに)        *情報頂きました。

   津市   安濃町草生  風呂山(ふろやま)          *情報頂きました。

   津市   芸濃町北神山 風呂屋谷(ふろやだに)        *情報頂きました。

   津市   芸濃町雲林院 風呂ノ谷(ふろのたに)        *情報頂きました。

   津市   美里北長野  風呂ノ谷(???)          *情報頂きました。

   津市   木造町    風呂屋口(ふろやぐち)        *情報頂きました。

   津市   高野尾町   風呂山(ふろやま)          *情報頂きました。

   名張市  安部田    風呂面(???)           *情報頂きました。

   名張市  滝之原    風呂免(???)           *情報頂きました。

   名張市  八幡     風呂谷(???)           *情報頂きました。

   四日市市 小牧町    風呂屋(ふろや)           *情報頂きました。

   四日市市 松本     風呂田(ふろでん)          *情報頂きました。

   四日市市 楠町本郷   風呂屋(ふろや)            *情報頂きました。

   多気郡  多気町色太  風呂ノ谷(ふろのたに)        *情報頂きました。

   多気郡  多気町鍬形  風呂世古(ふろせこ)         *情報頂きました。

   多気郡  大台町小切畑 風呂谷(???)           *情報頂きました。

   多気郡  大台町御棟  風呂谷(ふろのたに)         *情報頂きました。

   多気郡  大台町御棟  風呂谷西上(ふろのたににしうえ)   *情報頂きました。

   多気郡  大台町神滝  風呂谷(ふろのたに)         *情報頂きました。

   多気郡  大台町小滝  風呂谷(ふろだに)          *情報頂きました。

   多気郡  大台町小滝  風呂谷東(ふろだにひがし)      *情報頂きました。

   多気郡  大台町南   風呂ノ谷(ふろのたに)        *情報頂きました。

   多気郡  大台町桧原  風呂ノ谷(ふろのたに)        *情報頂きました。

   多気郡  明知町新茶屋 風呂屋ノ谷(ふろやだに)       *情報頂きました。

   多気郡  大台町神瀬  風呂屋谷(ふろやのたに)       *情報頂きました。

   多気郡  大台町栃原  風呂屋(ふろや)           *情報頂きました。

   多気郡  大台町大ヶ所 風呂ノ谷(ふろのたに)風呂ノ谷口(ふろのたにぐち)*同上

   多気郡  大台町下三瀬 風呂屋(ふろや)           *情報頂きました。

   多気郡  大台町高奈  風呂屋(ふろや)           *情報頂きました。

   多気郡  大台町下楠  風呂屋谷(ふろやたに)        *情報頂きました。

   多気郡  大台町上楠  風呂谷(ふろのたに)         *情報頂きました。

   南牟婁郡 紀宝町大里  石風呂(いしぶろ)          *情報頂きました。

   南牟婁郡 御浜町上野  風呂谷(ふろたに)          *情報頂きました。

   南牟婁郡 御浜町志原  風呂ノ元(ふろのもと)        *情報頂きました。

   南牟婁郡 大紀町野原  風呂谷(ふろや)           *情報頂きました。

   南牟婁郡 大紀町永会  風呂ノ谷(ふろのたに)        *情報頂きました。

   北牟婁郡 紀北町海山区船津    風呂谷(ふろだに)     *情報頂きました。

   北牟婁郡 紀北町紀伊長島区東長島 風呂ヶ谷(ふろがたに)   *情報頂きました。

   度会郡  玉城町原    中風呂谷(なかぶろ)風呂山(ふろやま)*情報頂きました。

                風呂屋垣外(ふろやがいと)     *情報頂きました。

   度会郡  玉城町積良   小風呂(こぶろ)風呂山(ふろやま) *情報頂きました。

   度会郡  南伊勢町切原  風呂屋敷(ふろやしき)       *情報頂きました。

   度会郡  南伊勢町伊勢路 風呂ノ尾(ふろのお)風呂ノ谷(ふろのたに)  *同上

   度会郡  南伊勢町慥柄浦 風呂屋川(ふろやがわ)       *情報頂きました。

   度会郡  南伊勢町河内  風呂谷(ふろだに)         *情報頂きました。

   滋賀県高島市  武曽横山   風呂ノ本(ふろのもと)   *情報頂きました。

   滋賀県高島市  新旭町安井川 風呂ノ本(ふろのもと)   *情報頂きました。

   滋賀県高島市  マキノ町新保 風呂田(ふろでん)     *情報頂きました。

   滋賀県高島市  朽木市場   風呂ノ上(ふろのうえ)   *情報頂きました。

   滋賀県米原市  上平寺    風呂屋谷(ふろやたに)   *情報頂きました。

   滋賀県東近江市 宮川町    風呂山(ふろやま)     *情報頂きました。

   滋賀県甲賀市  信楽町神山  唐風呂(???)      *情報頂きました。

   滋賀県甲賀市  甲賀町岩室  風呂山(ふろやま)風呂脇(ふろわき)*同上

   滋賀県甲賀市  甲賀町油日  風呂ヶ谷(ふろがたに)   *情報頂きました。

   滋賀県甲賀市  甲賀町田堵野 風呂ヶ前(ふろがまえ)   *情報頂きました。

   滋賀県甲賀市  土山町南土山 風呂ノ脇(ふろのわき)   *情報頂きました。

   滋賀県甲賀市  土山町山中  風呂垣外(ふろかいと)   *情報頂きました。

   滋賀県甲賀市  水口町酒人  風呂後(ふろのうしろ)   *情報頂きました。

   滋賀県守山市  守山     風呂の図子(ふろのえい)  *情報頂きました。

   滋賀県草津市  野路     風呂海道(ふろかいどう)  *情報頂きました。

   滋賀県草津市  川原     風呂前(ふろまえ)     *情報頂きました。

   滋賀県犬上郡  多賀町桃原  風呂谷(ふろたに)     *情報頂きました。

   滋賀県蒲生郡  日野町小井口 風呂ヶ谷(ふろがたち)   *情報頂きました。

   滋賀県蒲生郡  日野町寺尻  風呂流(ふろながれ)    *情報頂きました。

   滋賀県蒲生郡  日野町蔵王  風呂前(ふろまえ)     *情報頂きました。

   滋賀県蒲生郡  日野町深山口 風呂ノ本(ふろのもと)   *情報頂きました。

   滋賀県蒲生郡  日野町小谷  越風呂(えちふろ)     *情報頂きました。

   京都府京都市  上京区    丁子風呂町(ちょうじふろまち)風呂屋町(ふろやまち)

                  柳風呂町(やなぎふろまち)裏風呂町(うらふろまち)

   京都府京都市  西京区嵐山  風呂ノ橋町(ふろのはしまち)

   京都府京都市  左京区    一乗寺 風呂ケ谷(ふろがだに)

                  南禅寺 風呂山町(ふろやまちょう)

   京都府京都市  右京区    京北片波町 風呂ノ本(ふろのもと)

                  京北周山町 風呂谷(ふろだに)

                  京北細野町 風呂ケ谷(ふろがたに)

   京都府京都市  伏見区    日野西風呂町(ひのにしふろちよう)

   京都府京都市  伏見区    風呂屋町(ふろやまち)

   京都府京都市  山科区    勧修寺風呂尻町(かんしゅうじふろじりちょう)

   京都府福知山市 報恩寺    大風呂(おおぶろ)

   京都府福知山市 前田     風呂坂(???)      *情報頂きました。

   京都府福知山市 川北     風呂川(???)風呂畑(???)*同上

   京都府福知山市 石原     風呂ノ下(???)     *情報頂きました。

   京都府福知山市 北山     風呂ノ奥(???)     *情報頂きました。

   京都府福知山市 宮      風呂本(???)      *情報頂きました。

   京都府福知山市 大内     長谷西風呂(???)    *情報頂きました。

   京都府福知山市 上大内    風呂ノ元(???)     *情報頂きました。

   京都府福知山市 大呂    風呂ノ下(???)風呂屋ヶ谷(???)*同上

   京都府福知山市 田和     風呂本(???)      *情報頂きました。

   京都府福知山市 夜久野町小倉 風呂ノ奥(ふろのおく)   *情報頂きました。

   京都府福知山市 夜久野町畑  風呂屋(ふろや)      *情報頂きました。

   京都府福知山市 夜久野町直見 風呂ヶ谷(ふろがたに)   *情報頂きました。

   京都府福知山市 大江町尾藤  風呂ノ谷(???)松風呂(まつぶろ)*同上

   京都府福知山市 喜多     風呂ヶ谷(???)     *情報頂きました。

   京都府福知山市 長尾     風呂貝(???)      *情報頂きました。

   京都府舞鶴市  伊佐津 鎌風呂(かまぶろ)

   京都府舞鶴市  大俣  風呂ヤ(ふろや)         *情報頂きました。

   京都府舞鶴市  久田美 栃風呂(とちぶろ)栃風呂口(とちぶろぐち)*同上

   京都府舞鶴市  公文名 蒲風呂 (かまぶろ)

   京都府舞鶴市  西神崎 風呂屋元(ふろやもと)

   京都府宮津市  小田  風呂ヤノ谷(???)風呂ヶ谷(???)  *同上

   京都府宮津市  成相寺 風呂ヶ谷(???)風呂ヶ谷上切(???) *同上

               風呂小谷(???)        *情報頂きました。

   京都府京丹後市 久美浜町三分 石風呂(???)      *情報頂きました。

   京都府京丹後市 大宮町下常吉 風呂屋谷(ふろやだに)   *情報頂きました。

   京都府京丹後市 大宮町森本  風呂屋(ふろや)      *情報頂きました。

   京都府京丹後市 大宮町善王寺 石風呂(いしぶろ)鍬風呂(くわぶろ)*同上

   京都府京丹後市 峰山町五箇  風呂屋谷(???)     *情報頂きました。

   京都府綾部市  井倉新町 石風呂(いしぶろ) 

   京都府綾部市  老富町  本風呂(もとぶろ)

   京都府綾部市  上原町  風呂ノ本(ふろのもと)

   京都府綾部市  新庄町  風呂谷(ふろたに)

   京都府綾部市  鷹栖町  風呂屋(ふろや)

   京都府綾部市  十倉志茂町 風呂谷(ふろんだに)

   京都府綾部市  味方町  石風呂(いしぶろ)

   京都府綾部市  睦寄町  高風呂(???)中風呂(???)*情報頂きました。

   京都府綾部市  老富町  風呂ノ奥(???)       *情報頂きました。

   京都府宇治市  広野町  風呂垣外(ふろがいど)

   京都府亀岡市  篠町王子 風呂ノ谷(ふろのたに)

   京都府亀岡市  西別院町 笑路 風呂ケ谷(ふろがたに)

   京都府亀岡市  東別院町 鎌倉 風呂ノ本(ふろのもと)

   京都府亀岡市  保津町  風呂ノ本(ふろのもと)

   京都府長岡京市 粟生   風呂阻(ふろそ)

   京都府南丹市  日吉町四ツ谷 風呂ノ本(ふろのもと)

   京都府南丹市  美山町安掛  風呂ノ元(ふろのもと)

   京都府南丹市  美山町芦生  風呂ノ上(ふろのうえ)

   京都府南丹市  美山町大野  風呂ノ元(ふろのもと)

   京都府南丹市  美山町高野  新元風呂(しんもとぶろ)元風呂(もとぶろ)

   京都府南丹市  美山町長尾  風呂ノ向(ふろのむかい)

   京都府南丹市  八木町西田  風呂ノ下(ふろのした)

   京都府木津川市 加茂町井平尾 風呂向(ふろむかい)

   京都府木津川市 加茂町奥畑  風呂ノ谷(ふろのたに)

   京都府木津川市 加茂町法花寺野 風呂田(???)

   京都府木津川市 山城町上狛  風呂田(ふろだ)

   京都府久世郡  久御山町北川顔 風呂田(ふろでん)

   京都府相楽郡  笠置町笠置  風呂鼻(ふろのはな)

   京都府相楽郡  和束町釜塚  風呂谷(ふろたに)

   京都府船井郡  京丹波町安栖里 風呂ノ本(ふろのもと)

   京都府船井郡  京丹波町妙楽寺 風呂ノ本(ふろのもと)

   京都府与謝郡  与謝野町岩滝 大風呂(おおぶろ)     *情報頂きました。


***鹿児島県の「風呂」地名 別記事にしました。TBです。

鹿児島市    犬迫町  風呂ノ前(ふろのまえ)        *情報頂きました。

  鹿児島市    西佐多町 風呂宇都(ふろうと)         *情報頂きました。

  鹿児島市    東佐多町 風呂宇都(ふろうと)         *情報頂きました。

  鹿児島市    本名町  風呂元(ふろもと)          *情報頂きました。

  鹿児島市    川上町  風呂元(ふろもと)          *情報頂きました。

  鹿児島市    福山町  風呂口(???)           *情報頂きました。

  鹿屋市     風呂段(ふろんだん)


無題.png   鹿屋市     輝北町上百引 風呂段(ふろだん)        *情報頂きました。

                 風呂段谷(ふろだんたに)     *情報頂きました。

                 風呂段村頭(ふろだんむろがしら) *情報頂きました。

                 風呂段村下(ふろだんむろした)  *情報頂きました。

  鹿屋市     輝北町平房  風呂元(ふろもと)        *情報頂きました。

  曽於市     末吉町南之郷 風呂ノ口(???)        *情報頂きました。

  曽於市     末吉町諏訪方 風呂ノ元(???)風呂谷ノ上(???)  *同上

  曽於市     末吉町深川  風呂ノ元(???)風呂ノ下(???)   *同上

  日置市     伊集院町下谷口 風呂口(???)        *情報頂きました。

  阿久根市    多田   風呂迫(???)           *情報頂きました。

  伊佐市     大口山野 風呂元(ふろのもと)         *情報頂きました。

  伊佐市     下手   風呂ノ元(???)          *情報頂きました。

  いちき串木野市 下名   大津風呂(???)          *情報頂きました。

  いちき串木野市 大里   風呂山(ふろやま)          *情報頂きました。

  いちき串木野市 下名   風呂之山(???)風呂之元(???) *情報頂きました。

  垂水市     海潟   風呂ヶ谷(ふろがたに)        *情報頂きました。

               津風呂ヶ谷(つふろがたに)      *情報頂きました。

               炭津風呂(すみつふろ)        *情報頂きました。

  姶良市     加治木町西別府 風呂ヶ宇都(???)      *情報頂きました。

  霧島市     隼人町嘉例川 津風呂(つふろ)         *情報頂きました。

  霧島市     牧園町三体堂 風呂谷(???)         *情報頂きました。

  霧島市     横川町下ノ  風呂元(???)         *情報頂きました。

  西之表市    伊関   屏風呂(???)           *情報頂きました。

  枕崎市     西鹿篭 上岩風呂(???)下岩風呂(???)  *情報頂きました。

              岩風呂前鼻(???)岩風呂後平(???)*情報頂きました。

  南さつま市   加世田唐仁原 風呂ヶ谷(???)        *情報頂きました。

  南さつま市   金峰町大野  津風呂ヶ仁田(つぶろがにた)   *情報頂きました。

                 津風呂ヶ仁田下(つぶろがにたした)*情報頂きました。

  南さつま市   金峰町尾下  風呂ヶ迫(ふろがさこ)      *情報頂きました。

  姶良郡     姶良町下名  風呂(ふろ)           *情報頂きました。

  姶良郡     姶良町鍋倉  風呂谷(ふろたに)        *情報頂きました。

  姶良郡     姶良町平松  風呂宇都(ふろうと)       *情報頂きました。

  姶良郡     湧水町中津川 風呂坂(???)         *情報頂きました。

  姶良郡     湧水町川添  風呂元(???)         *情報頂きました。

  出水郡     長島町平尾  風呂迫(ふろんさこ)       *情報頂きました


 引用が長くなり過ぎましたが研究のためとご容赦ください。

結論ではないのですが、非常に粗いながら仮説を提出しておきます。

 多分、溶鉱炉の室(ムロ)か、サウナか蒸風呂の室(ムロ)が風呂(フロ、ブロ)と呼ばれているのではないかと考えている無題.pngところです。

もう一つ、以下は姓名分布&ランキングによる「風呂」姓の分布です。

 通常、姓名には地名が反映されることはかなりある現象ですから、絶対視はできませんが、補足的な資料としてはある程度の傾向を反映しているのではないかと考えます。

 目立つのは鹿児島、広島、兵庫、大阪、富山、岩手…ですが、必ずしも完全な対応を見せているとまでは言えないようです。結論を急げば、 室(ムロ)を風呂(フロ、ブロ)としか発音できない人々が好んで風呂を利用していたのではないかと考えているのです。


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